第26話 友達のアキオくん

「――おい、見ろ!」


 マツリカに母のことを訪ねようかと懊悩おうのうしていたルイカは、中年の声に引き戻された。


 先ほどから両者が何やら密談しているだけだった画面に、動きが合ったのだ。


 見れば、「ママ」とそれに詰め寄るように笑顔を浮かべていた巨漢「ドライバー」のそのすぐそばに、もう一人のプレイヤーが出現していたのだ。


「アレ? このヒトいつから居たんでスかね?」


「オレも今気付いた。存在感がねぇからかな?」


 確かにコイツは派手な格好はしてない。だが、目立たないかと言えばそんな事は無いように、ルイカには思えた。


 そいつは、いかにも冴えない風貌の男だった。

 

 いや、冴えないどころではない。まるで浮浪者だ。


 ぼさぼさの長髪に、色あせて、見るからに使い古されたスエットを着た男だった。


 歳は良くわからない。とっくに成人した人間なのだろうとは思えるが、長い髪に隠された容姿・表情はつるりとして、いかにも幼げで、或いは十代の若者に見えなくもない。


 そいつはサイドアームの中でも特に強力な「サブマシンガン」を両手で抱えるようにして武装していたのだが、それは傍目にも頼りなく映る。


 遠目にも解るくらい、ぶるぶると震えているからだ。


 恐怖なのかなんなのか、ここからでは察しようがないのだが、とにかくコイツ一人だけが真冬の寒空の下に放り出されているかのように、全身を震わせている。


 その上でなおのこと不可解なのが、そんな有様でありがら、この男はなぜか母と巨漢に、自分から近づいていくのだ。


 なんともおぼつかない足取りで、しかし転びそうな勢いで。


「なんだコイツは……」


 またもや母との関連が想像できない闖入者の登場に、ルイカは困惑を通り越して放心しそうな心持ちだった。


 どうしてこう、次から次に……。

 

「えーと、プレイヤー名は『ニート』。うへぇ、見たまんまだねぇ」


「引きこもりってやつか……なんか見るからにって感じだな。言いたかないが、こうなっちゃうと人間、悲惨だよなぁ」


「だよねぇ、だよねぇ。さすがにこれはねぇ?」


 一方でなぜか中年と着ぐるみが饒舌じょうぜつに息を合わせている。


 しかし、ルイカからすると妙なゲームサイト運営者や高齢フリーターとそこまで違うとも思えなかった。


「俺も見たこともない奴だ。マツリカ、お前は……」


 と言って、マツリカを見たルイカは、そこで言葉を失った。


 顔を蒼白にしたマツリカは、自分の口元を小さな手で押さえている。まるで声を漏らしてしまうのを必死に押さえこんでいるかのように。


「お前……何か知ってるのか? コイツのことを」


 まさか、と思いながら掛けたルイカの言葉に、マツリカは応えない。


 一方、画面の向こうでは巨漢の「ドライバー」が目に見えて表情を一変させていた。


 まるで、逆さまにすると笑い顔が怒り顔になるだまし絵みたいに、顔をいからせている。


 マツリカが身を震わせる。


 確かに、ここから見ていても人を引かせるには十分な変貌だった。


 さっきの笑顔も作り物っぽかったが、やはり、この男「ドライバー」は安易に信用していい種類の人間とは思えなかった。


 だが、今のマツリカの動揺は、本当のこの「ドライバー」の豹変によるものなのだろうか? それとも……。


「あらら……このヒト、今度はヤル気なんでスかね? みんなで協力してくスタイルじゃなかったのォ?」


「できれば協力そうしてほしいとこなんだけどなぁ……」


 ゲームマスターたちの願いもむなしく、「ドライバー」は今度は鬼のようになったカオを、さらにへの字に歪めて、ぶるぶると震えている「ニート」に近づく。


 そしてなんの躊躇もなく、これを殴りつけた。


 萎れたようなぼさぼさ髪の「ニート」は交通事故にでもあったかのように吹き飛び、壁に、床にと転がって、そのまま這いつくばってしまった。


 その後は起きて反撃するでもなく、ぶるぶると総身を戦慄かせたまま、ただ泣き始めた。


 そう、泣いているのだ。


 一同は唖然としてこれを見守るしかない。


 恐怖も苦痛も、もちろん理解はできる。


 しかし、そんな状況でないことは、いくらなんでも解るはずだろう。泣いているうちに殺されてしまったらどうするつもりなんだ!?


「……なんか、オーバーなヤツだな」


 中年が言った。たしかに、相手はレスラーかとみまがう巨漢だが、殴りつけられたらと言ってあんなに飛ぶわけがない。


 つまり、殴られた方がオーバーリアクションでだけのことなのだろう。


 それに、そこまで怯えているなら、なぜ自分から巨漢に近づこうとしているのだろうか?


「なんスかねぇコレ? なんかの演技じゃないでス?」


 キグルミが言うが、だとしてもその演技の意味は良くわからない。


 「ニート」を殴り飛ばして気を良くしたのか、「ドライバー」は怒り顔をそのまま笑顔じみて捻じ曲げると、シーサーみたいになった顔面をぬらぬらと紅潮させてニートに近づき、これを踏みつけ、蹴り上げる。


 ――なんだコイツ等、スマホは使わないのか? 


 武器を使わない方が確かに平和的ではあるのだろうが、こちらからすれば、生身の暴力を見せられる方が、むしろ気分が悪い。


 ルイカが鼻白んだような顔でその光景を見ていると。


「――アキオくん!」


 意外な場所から声が上がった。


 マツリカだ。マツリカは誰のものかもわからぬ名前を呼びつつ、顔を覆い、ボロボロと涙を流しはじめた。


「やだ――やだよぉ! ひどいことしないで!!」


 ルイカを始め、皆何のことなのかが変わらず困惑するばかりだ。


「アキオって、誰のことだ? この、……この「ニート」のことか?」


 おずおずと声を掛けたルイカに、マツリカは一瞬だけ、刺すような視線を返した。


 この花のような少女には似つかわしくない、怒りと拒絶がそこにはあった。


「お前……」


「やめて! アキオくん、嫌いだから。……だって、ひどいこと言われると、泣いちゃうからぁ……」


 言って、マツリカ自身も、とうとう声を上げて泣き始めてしまった。


「ええ!? あー、ご、ごめんね? じゃあ、ニートはやめよう。うん、確かに良くない言葉だよアレは。なんて呼べばいい?」


 ルイカは中年と顔を見合わせ、キグルミは泣き出したマツリカの肩を抱いてあやし始める。


 訳が解らない――が、解らないなりに、推論は立つ。


 しかし同時に、その推論は、ルイカにとっても見過ごせぬ感情を呼び起こすこととなった。


「――お前、そのアキオってやつと、どういう関係なんだ?」


「やややッ! やめ! 今はやめなよ今は!」


 キグルミが声を押さえるようにして言ってくるが、ルイカは構わずマツリカをにらみつける。


「……」

 

 マツリカは応えず、わずかにだが、ルイカをむような目を向けてくる。


 ――フン! 上等じゃねぇか。


 ルイカは眼を血走らせて立ち上がった。


 感じたことの無い嫌悪感と憤怒で、自制が効かない。


「ちょっと! だからやめなってば! マジで!」


「わかるだろ! おまえにも、おかしいって!」


 キグルミの制止も、今のルイカには通じない。


 だって、これは見逃せない。そうだろ!? 違うか!?


「そんなこと言ったら君こそ……」


「おかしく……ないもん。おかしいって何ッ?」


 マツリカのつぶやきが、しかし今のルイカには耳元でささやかれたかのように聞こえる。


「おまえ……ッ!!」


 ルイカはマツリカに、大股で近づく。まるで倒れ込むみたいな勢いだ。――自分でも何をしようとしてるのかが分からない。


「そこまでだ!!」


 間に割り込もうとしてきたキグルミと押し合いになりかけたところで、――パァン! と手を打ち鳴らす音が聞こえ、皆が中年を見た。


「席に戻ってくれ! 全員だ! その話は、今は切り上げてくれ! この通りだ! ここでゴタつくと、大事なことを見逃すかもしれない。それでも困るのはオレ達だ! そうだろ!?」


 視線が中年に集まる。誰も言葉を発しなかった。


 言うとおりにするのが一番だと解ってはいても、ルイカは自分を押さえるのが難しかった。


「みんないろいろあるとは思うが、まずは画面を見てくれ。何かあってからじゃオレ達でもどうしようもない。殺し合いゲームが起ってるのは向こうなんだ!」


 言われて、一同は画面を見る。


 わずかに歪んだ画面の向こうでは、「母」もマツリカと同じように、巨漢を制止しようとしている。


「母さん……」


  ルイカは思わず声を漏らす。母さんも、この「ニート」を知ってるのか? 


 しかし、それを見るマツリカの表情は固い。むしろこの映像に恐れさえ感じているかのようにも見える。


 ――知らないんだ。母さんは、この「ニート」を知らない。


 ルイカは直観的に悟った。母は単純に「ドライバー」の暴力を見かねて止めようとしてるのだろう。


 それはそうだ。あの母なら、目の前でこんなことがあれば、そりゃあ止めるだろう。


 どんな状況だって、暴力を看過できる人じゃない。――優しい。いや、ダメなくらい優しすぎる人なんだよ。


 だから、親父のところに居られなくなったんだろ?


 そうじゃなきゃ、おかしい。


 なのに、――なのにコイツは、このガキは!


 母さんに内緒で、こんなわけのわからない男と!


 心配させるだけって解らねぇのかよ!? 俺が子供のころは、もっと弁えてた!


 母さんに、心配かけちゃいけないって、思ってて……


 ――――いや、何を考えてんだオレは!?


 母さん――あの母親のことなんて、どうでもいいだろ。


 オレが第一に助けなきゃならないのは、ハルじゃないか。


 まずは、それを考えなきゃいけないんだ。――しっかりしろ!


「……大丈夫か?」


 迷いを振り払おうとするルイカに、中年が声を掛ける。――そうだ、空中分解だけは避けなければいけない。


 大事なのは、ハルを助けることなんだ。


「……つーか、自分は言いたくないけど人には突っかかるってのは、どうなんでス?」


「だからお前もやめろって。――――あー、そうだ! それならさ、このあと一段落したとことでさ。みんな1つずつ秘密を打ち明けようじゃねーか。1人1つずつ。それならいいだろ?」


 重苦しい空気の中、中年が無理に明るい声を上げて、提案した。


「んふぅ? おじさんも何か隠し事あるんでス?」


 率先して、キグルミが反応する。


「おうよ。たくさんあるぜェ」


「アハハハハ。きょうみ無ぇ~」


「いやなんかあるだろ! ちょっとぐらいさぁ」


 ルイカは何も言えない。中年が呑気に構えているからこんな事を言っているのではないことくらいわかっている。それを無碍にすることはできない。


 しかし、いくら振り払おうとしても、その疑念はどこからか沸き起こってくる。


 マツリカがあの男ニートとどんな関係なのか、そして、それを知ったら母さんはどう思うのか。――どれほど、悲しむのか。


 以前も増して、さらにどす黒い感情まで交えて、ルイカはマツリカを問い質したい気持ちでいっぱいだった。


 マツリカの方も、小さな体を強張らせている。


 ルイカが視線を向けても、もう花の咲くような笑顔を見せてはくれなかった。


 良くない傾向なのだろう。また、危うく空中分解だ。中年が気を利かせてくれなかったら、今度こそ結束は崩れてしまう所だった。


 だいたい、ルイカ自身もハルとアザミの件で隠し事をしたままだ。


 そんな人間が、自分を棚に上げてマツリカを詰問することなどできないのだろう。


 正論を言うならそうだろうさ! ――だが、それでも、ルイカにはこれは見過ごしてはならないことだと思えた。


 確かに自分勝手な話なのかもしれない。それでも!


「――友達」


 すると、マツリカはこぼすようにつぶやいた。


「アキオ君は、友達」


 しかし他の三者はお互い顔を見合わせることしかできない。


 おそらくは小学生になったばかりのマツリカと、あのどう見ても成人済みの「ニート」ことアキオとやらが、一般的な意味での「友達」だとは思えない。


 だいたい、どこでどう接点を持ったのかも想像が及ばない話だ。


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