第2話 三人目 中年男

「日本史上最大の獣害事件である『三毛別ヒグマ事件』をモチーフにしたマスコットキャラだ。当時から不謹慎だってクレームが相次いで、すぐに使われなくなったんだよな。反面今でも一部ではカルト的な人気があるんだ。にしても再現度たけーなオイ」


「そう! 微妙にグロいのがいいんですよ! かわいいのに口から血が滴ってるとことか!!」


 そう言ってこの着ぐるみと「イェーイッ」とばかりにハイタッチしたのは、上背の有る中年の男だった。


 30歳ぐらいか? もうちょっと上だろうか? この着ぐるみ同様、ルイカには見覚えのない男だった。


「……知り合いなのか」


 妙に親密そうな二人を見てルイカは問う。


「……いやぜんぜん。こんなん着て出歩くヤツ、知り合いにいねぇわ」


「僕も全く知らないッス。実は今もヒザが震えている。――正直コワイ。好意的な中年マジでヤバい……」


 両者はそう言うと、ハイタッチの姿勢のまま、静かに距離を取った。


 しばし全員が無言。気まずいような空気が流れた。


「――失礼なクマだな。kithi熊キチクマくんはそんなこと言わんぞ」


kithi熊キチクマくんはそもそも喋んないですよ!」


「はぁぁ!? じゃあなんでしゃべってるんですかぁ!? 設定ブレてんですけどぉ?」


「そんな設定背負ってない! お部屋にいたとこを連れてこられたってだけで、べつにkithi熊キチクマくんとして生きていきたいわけじゃないよ!!」


 子供のような言いがかりをつける中年男に、着ぐるみはギャーギャーとわめくように反論する。


「だいたい、格好で言ったらそっちだってなんなんスか!?」


 ……確かにこの中年の恰好もまともとは言い難かった。


 つやの無い伸ばし放題の髪を乱雑に縛り、生白い肌に生えかけの無精ひげが目立つ。


 その上洗いざらしのTシャツにハーフパンツといった身姿だ。


 なんだか、田舎の中学生がそのまま大人になったかのようで、どうにも年相応の姿とは思えない。


「い、いや――いや、これは部屋着なんだよ! 別にいいだろ! 物持ちが良いんだよ!」


 視線を感じ取ったのか、何やら自己弁護を始めた。


 まぁ、ルイカとしても別に格段の興味があるわけではない。


 一方、着ぐるみは遊園地のマスコットキャラよろしく、大仰に首を捻る様なポースを取る。


「いえねぇ? でもねぇ? それでもねぇ? 流石に何十年も着てそうな服じゃねぇ。みんな部屋着でスけど、そんな格好してるのおじさんだけですよぉ?」


「誰がおじさんだ! お前だって洗ってもなさそうな着ぐるみじゃねぇか、そっちのお前だって――」


 言って、無言のルイカに水を向けようとしたところで、その中年男は「うっ」っと息を呑んで固まった。


「――なんだお前は、――それは、その、ブ、ブランドものってヤツ……か?」


 中年は掠れるような声で、そう絞り出した。


 当のルイカは首をひねる。別に妙なところはないハズだ。普通の部屋着だ。


 別に自分で選んだものでもなく、家政婦が揃えて置いたものを着ただけだ。


 ――自分で選ぶ余裕さえなかったからだ。


 あらためて自分の装束を確認する。普通のデニムにポロシャツ。別にこのままどこかに出かけてもおかしくないような、至って普通の普段着だろう。


 しかし、こうして改めて見てみれば、これがお気に入りの服だったことに気が付いた。――これはハルに選んでもらった服だ。


「いや、まぁ――確かそうだったはずだ。ただ、こういうのは――」


 ハルに選んでもらっただけのものだから、どこのブランドかは詳しく知らないけれど。


 そうして思わず、言葉に詰まった。


 ハルにせがまれて、長々と買い物に付き合わされた時の記憶がよみがえってくる。


 あいつ、ブランドものとか好きだったんだよな。


 でも、俺が買ってやったのなんて数えるほどだ。きっと遠慮してたんだ。俺が親父の金を使うのを嫌ってたから……。


 ――そうだ。俺はこんなことをしてる場合じゃないんだ!


「あれ、『ラルフローレン』っていうんですよ。おじさんわかります? いわゆる高級ブランドっス」


「ら、らるふろ? 全然わからん。ヴィトンとかエルメスじゃねぇのかよぉ……」


「にしてもセンスいいっすねぇ。自分で選んだんでス?」


 着ぐるみも声を掛けてくる。


「いや、まぁ……」


 ルイカは言葉を持て余したまま、あいまいに答えた。初対面の奴らに、ハルのことまで話していいのか迷ったからだ。


「わ、若いうちからそんなん、全身ブランド品とか教育によくないんじゃないかと……」


「いや、やめときなってww。なに言っても悲しいだけだよォ。おじさんのどうせそれシマムラでしょ?」


「シ、シマムラをバカにすんなよ! シマムラさんを舐めんなよ! 庶民はみんなお世話になってんだよ!」


「さん付けwww。草生えるゥ!」


 言葉を切って押し黙ったルイカを余所に、着ぐるみと中年は、喧々ごうごうとした、或いは和気あいあいとした応酬を続けている。


「……」


 本来なら「ふざけるな!」と怒鳴りつけてやるところだが、ルイカはそうしなかった。


 自分の機嫌などどうでもいいことだと、あらためて気がついたからだ。


 最も大事なことを思い出した。いや、なぜ今の今まで失念していたのか!


 急いでスマホを取り出す。今は何時だ!? 連絡を取らないと。


 ハルは今どうなっている!? 


 自分はどのくらい、時間を無駄にしたのだ!?


 ハル! 無事なのだろうか!? あの父のところになど行っていないだろうか?

 

 止めなければならないのに!


 ルイカの父の元へと赴こうとするハルを、ルイカは止めなければならないのだ。


 ハルはわかっていない。


 あの冷血な父が何をするのか。


 金にモノを言わせて、あの人でなしがどんなことをするのか!


 なんてことだ! ハル、無事でいてくれ!


 だが、無情にも表示は圏外だった。どことも通信が出来ない。


「――なんだ、コレ」


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