第79話 本物の資格
「いつまでも俺の真似事をするんじゃねえ!」
先輩に怒鳴られたのも、こわいという気持ちになったのも、田村にとっては初めてだった。
3年前の初春、田村が、いつも一人で自主トレをする太田に頼み込んで同伴したときのことだった。
田村はすべてにおいて太田を尊敬していた。
ドルフィンズに入団して以来、田村の教育係に任命され、同じ長距離砲の先輩としていつも面倒を見てくれていたのは太田だった。
「田村を一人前のスラッガーにしてやってくれ」とフロントからの命を受け、太田は田村と共に練習をすることが多かった。
プロでの体の作り方、コンディショニング、勝負所の心構え、オフの年俸交渉の仕方、女子アナと合コンした後の誘い方――プロ野球選手としての生き方をすべて教えてくれたのは、田村が兄貴と慕う、ドルフィンズ不動の四番打者・太田だった。
「あの――すいません!」
不慣れな謝り方をする田村に対して、太田は諭すようにいう。
「あのな、田村。俺の後の四番はお前なんだよ。いつまでも俺のフォームとか配球読みをまねすんな。コピーは本物を超えられねえぞ。『本物』になれ。お前には、『本物』になる資格がある。」
その言葉は、田村にその日から深く刻まれていた。
選ばれた人間だけが集まるプロ野球の世界で、限られた人間だけが許される
◆◇◆
《四番、サード、田村――背番号25》
結局1年シーズンを過ごしても、CSを戦い終えても、そして日本シリーズを迎えても、やはりコールされた後はぎこちなく打席に入る。
「やっぱり、慣れないもんは慣れないですけどね。」
自嘲気味に小さな独り言を言うと、田村は慣れた足つきで右バッターボックスをならしていく。
日本シリーズ第6戦、9回表、2対2。
1死で、2塁上には殊勲の同点打を放った田村。
誰もが四番打者の逆転打に期待するこの場面で、田村の脳裏には太田の影がよぎる。
(こんなとき、太田さんなら何を待つんだろう。)
グラウンド上の太田に目をやると、まるで赤の他人のように落ち着いた様子で田村の方を見つめている。
その意に関せずな様子に無性に腹が立って、思わずバットを握る手に力がこもるのが分かった。
「ここで逆転しなきゃ、後がない。」
誰もが分かっているその言葉をつぶやくいてから、バットを構える。
タイタンズ不動のストッパーがセットポジションから第1球を投じる。
予想通りの内角ストレート。
待ってましたとばかりにフルスイングするが、バットは空を切った。
なんだかしっくりきていないのは、誰が見ても明らかだった。
第2球、外角へのスライダー。ボール。カウント1-1。
第3球、内角へのフォーク。ボール。カウント2-1。
第4球、内角へのストレート。ファウル。カウント2-2。
完全に相手のシナリオ通りに追いこまれていく流れに、球場もベンチも、次の展開が予想できるかのようだった。そして、田村にとってもそれは同じだった。
「タイム!」
中断のコールをかけ、一度打席を外す。
田村は大きなため息をついて、天を仰いだ。
(この場面で、太田さんなら――)
こういう場面で、太田は決まって初球をホームランにしてきた。
その一振りが、ドルフィンズを救ってきた。
逆に、初球を打てなかった時の太田は、決まって凡退した。そのむらっ気が、太田の弱点でもあり、例年のドルフィンズ低迷の原因でもあった。
(どうする? 一体どうしたら――)
過去の太田にもこの場面を切り抜けるヒントを見いだせず、田村は思いを駆け巡らせる。
なぜかこんな時に、これまでの思い出が走馬灯のように駆け巡ってきた。
太田がまだドルフィンズに在籍していたとき、太田・田村の2枚看板はドルフィンズファンの希望だった。
もちろん主役は太田で、田村はいつまでも「ポスト太田」と呼ばれる日々。
本塁打を打っても太田が打点を挙げていれば、ニュースや新聞で取り上げられるのはいつも太田だった。
それを見てきた田村にとって、プロ野球選手として一人前になることは、「太田のようになること」に他ならなかった。
だから、毎日のように太田の真似事をしてきたのだ。
幸い、田村にはセンスがあった。
太田の真似事をしていると、本塁打数も伸びた。出場機会も増えた。年棒も上がった。
周りも、自分には「太田の後継者」を求めていた。
プロ野球選手として、何一つ間違った成長はしていないはずだった。
それを、「真似をするな」だと?
あんたがいるからいつまでも俺は「ポスト太田」のままなんだ。
あんたがいるから、あんたのまねをすることを求められてきたんだ。
そんな環境を作っておいて、何を勝手にFA宣言してるんだ。
なんで何も言わずに出て行ったんだ。
ふつふつと怒りがわいてくる。
出て行くんなら、この場面を切り抜けるヒントくらいおいていってくれてもいいじゃないか。
周りだって、太田さんだって、ずっと「ポスト太田」を求めてきたくせに……。
ちくしょう。
ちくしょう、ちくしょう。
ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう。
「ちくしょう!!!」
天に向かって叫んでいたことを自覚して、田村ははっとなった。
当然ながら、周囲は不思議そうにこちらを見ている。
しかし、やっと閉じ込めてきた思いを吐き出せたのだ。
こうなれば自棄だ。
視線の遠く向こうにいる太田に向けて、田村は叫んだ。
「俺はあんたの真似事なんてしてねえ! 俺は、本物の田村翔一だ!!」
言われた太田が一番きょとんとしている。
しかし、田村は何かが吹っ切れたような軽やかな足取りで、顔を上気させたまま打席に戻った。
カウントは2-2。
追い込まれていることは変わりない。
自分との勝負を避けて、この後のフェルナンデスで勝負することも考えられるが、このクローザーは勝負をしてくるだろう。
何せ、ドルフィンズは“格下”なのだから。
タイタンズに対する悔しさと太田に対する(自分勝手な)怒りに任せて、頭を巡らせる。
9回表、同点。
クローザーの山内は序盤で使っている。
そして、チームの自力は圧倒的にタイタンズが上。
しかし、自分は今日、本塁打を打っている。
ならば――
相手投手がランナーにもかまわずゆっくりと投球フォームに入る。
予想通り、剛速球の直球が内角を襲う。
分かっていても打てないのがこの投手のボールだ。
普通にやっても打てないかもしれない。
打てなければ、マスコミやファンはいうだろう。
「やっぱり太田じゃなければダメだった」と。
まるで自分が「太田の偽物」のように扱われる日々はもうごめんだ!
太田の後を継ぐために俺は努力してきたんじゃない!
田村は思いを込めて思い切りバットを振り抜く。
当たった瞬間、ぐしゃりという鈍い音をバットが立てるのが分かった。
ボールが手元で伸び、芯を外れたのだ。
それでも力負けしまいと、田村は無理矢理バットを前に押し込む。
気がつけば、「うおおおお」という叫び声とともにバットを思い切り振り抜いていた。打球は折れたバットとともにセンター方向へ飛んでいく。
芯を外され、バットも折られながらの打球である。決して矢のような打球ではない。
ハーフライナー状でセカンドベース手前に落ちると、そのまま転がっていく。
セカンドキャンバスよりややライト寄りあたりで、セカンドの名手・寺谷が横っ飛びでこれを捕りにいく。
万事休すかと思われたが、わずかにグラブをかすめて打球はセンター前へ転がった。
捕球したセンターがすかさずバックホームの体制に入るが、2塁ランナーの戸高は迷わず3塁キャンバスを蹴る。本塁上でのクロスプレイだ。
戸高もまた叫び声を上げながら、本塁へヘッドスライディングの体制に入る。
代打で谷口を起用しているため控えの捕手はもういないが、そんなことは頭になかった。
しかし、すでにセンターからの送球を受け取っていた捕手・上尾が、すかさずブロックに入った。
そのときだった。
本塁に飛び込む瞬間、上尾と目が合った戸高は、わずかにニヤリと笑ったように見えた。
戸高はヘッドスライディングの姿勢のまま右手だけ伸ばして地面につくと、左足を大きく蹴って、うつ伏せになったまま本塁を中心にぐるりと回り込むように滑ってみせた。
慌てて針路を塞ぎながら上尾もブロックに入る。
戸高の変速スライディングは、本塁周辺のアンツーカー部分で土を巻き上げ、土煙を立てていた。
「どっちだ――?!」
ベンチにいた希とホワイトラン監督も身を乗り出し主審の挙動を見守る。
数秒の沈黙が流れる――。
ベンチから2人が目にしたのは、両手を大きく拡げた審判の姿だった。
「逆転だああああああああああ!!!」
ベンチで見守っていた選手たちは、完成とともにハイタッチで喜びを分かち合う。
上尾は信じられないといった顔で審判を見るが、その直後に足下を見て唇をかみしめた。
足の間から、わずかに戸高の左手指先がホームに触れていたのだ。
右手だけ伸ばすことでその手をブロックさせにいき、すかさず反対の手で本塁に触れていた。
戸高の作戦勝ちだった。
「よっしゃあああああああ!!!」
戸高はうつ伏せになったまま、子供が駄々をこねるように手足をジタバタさせて喜びを爆発させた。
そしてひとしきり喜ぶと、またいつものクールな顔立ちに戻り、立ってユニフォームの土を払う。
立ち去る際、一切上尾とは目を合わさなかった。
そしてしばらく歩いて距離を置くと、独り言のように言った。
「俺はね、わりと根に持つタイプなんだよ。」
ドルフィンズに待望の逆転打が生まれたのだ。
◆試合経過(東京−湘南・CSファイナル6回戦)
湘南 000 000 003=3
東京 000 000 02 =2
湘南の継投:山内(2回)、斎藤(5回)、神田(1回)
試合はこのままドルフィンズ1点リードで、ついに最終回の守りを迎える。
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