第77話 最悪の展開
斎藤の立ち上がりの悪さは、今に始まったことではない。
プロ入り前の高校生時代から折り紙付きだ。
地方大会でも毎年、いいところまで行っては序盤で試合を壊して敗退してきた。
試合序盤の気合が乗らないボールは、もともとの自信のない性格からくるものだった。
登板するたびに、初回は青ざめた顔でマウンドへ向かっていた。先頭打者に初級本塁打を浴びた開幕戦のマウンドもそうだった。
しかし――
「よし、次の回も頼むぞ!」
谷口からリリーフのマウンドへ送り出されるには不自然な声掛けを受けて、斎藤は上気した顔でリリーフカーを見据える。
最終戦へ登板しようとする斎藤の顔は、闘争心に満ちていた。
《ドルフィンズのピッチャー、山内に代わりまして、斎藤武。ピッチャー、斎藤武。背番号11。》
場内アナウンスとともにオーロラビジョンに投影された斎藤の顔を見て、ホワイトラン監督はにんまりと笑いながら顎を撫でる。すでに「してやったり」の表情だ。
「なんか、いつもと顔つきが違いますね。斎藤さん。」
「もう『立ち上がり』終わってるからね。」
不思議そうに斎藤の立ち姿を見つめる希に、視線の向きを変えずにホワイトラン監督は答える。
斎藤は、山内が投げた2回の間、同じ球数をブルペンで投げていたのだ。
それも山内が投げたのと同じ球種と配球で。
持ち前の性格通り、ブルペンで投げたボールはそれはひどいものだった。
伸びない直球、曲がり切らないスライダー、落ち始めの遅いフォーク。どれをとってもタイタンズ打線につかまっていたであろうボールだ。
しかし、実際にマウンドで投げていたのは山内だ。2回を無失点に抑えている。
斎藤は2回を投げて、3回のマウンドに無失点で上がったのと同じ状況で登板することになった。
「なにそれ……長い投球練習ってこと?」
「そうではないよ。斎藤は確かに、2回を投げ切ってマウンドに上がっている。」
ホワイトラン監督は、斎藤の立ち上がりの悪さが単にメンタルの問題でしかないことを見抜いていた。
シーズン中なら、それでもオープナーを使って2回を疑似的に投げさせるようなことはできない。本来の先発投手である斎藤の球数を無駄に増やし、さらにブルペンからオープナーに指名した投手を1枚失うからだ。
だが、今日は勝っても負けてもこれ限りの大一番。どんな形であれ、9回を抑えきり、リードして終えればよいのだ。
日本シリーズへの出場権を手に入れるためなら、リリーフエースを1枚序盤で失うことくらい安いものだった。
もともと斎藤の真骨頂は、エンジンがかかってからの試合中盤だ。
3回の裏から登板した斎藤は、まるで序盤2回を完璧に抑えた試合のようにマウンドで大きく躍動した。
その自信に満ちた表情は、ブルペンの楓たちからにもはっきりと分かった。
「すごい……完全にタイタンズ打線を抑え込んでる。」
ブルペンにいた全員が、思わず感嘆の声を上げる楓と同じ心持ちだった。
エースとは、ただ実力や勝利数が最も優れた投手ではない。
チームが追い込まれたとき、展開の読めないとき、そして、絶対に勝たねばらないとき――そんな試合でもチームに安心感を与えることができる、絶対的な精神的主柱だ。
モニタの向こうで躍動する背番号11は、もう史上最弱球団の矮小なエースではなかった。
◆◆◆
斎藤が登板してからも、ドルフィンズはタイタンズ打線を完全に抑え込んだ。
7回裏までスコアリング・ポジションにランナーが進んだのもわずか2回。散発5安打にタイタンズ打線を押さえて、無失点を続けていた。
しかし、タイタンズも総力戦であることは言うまでもない。
FAで獲得した各球団のエース級や、メジャーリーグからきた助っ人外国人を次から次にリリーフ投入し、ドルフィンズ打線もまた完全に抑え込まれていた。
「追い込んだと思ったら次から次にエース級が出てきて……これじゃオールスターだな。」
内田がベンチでぼやいた通り、その継投はさながらオールスター戦のような豪華さで、球界の盟主が泥臭い総力戦も辞さない覚悟で戦っていることを意味していた。
結局、ドルフィンズも散発4安打、長打なしで7回表の攻撃を終えた。
◆試合結果(東京−湘南・CSファイナル6回戦)
湘南 000 000 0=0
東京 000 000 0=0
湘南の継投:山内(2回)、斎藤(5回)
◆◆◆
そして迎えた8回表、ドルフィンズは2死3塁の千載一遇のチャンスを迎えたところで、8番投手・斎藤に打順が回る。
ここでホワイトラン監督は代打・谷口の奇策で勝負に出るが、あえなくセンターフライに終わり、この回もドルフィンズは無得点で終わってしまう。
しかしまだドルフィンズの集中力は切れていなかった。
まだまだ同点で緊迫する展開に、守備につく選手たちには大きな気合の声が響く。
「まずいな……。」
その覇気が、うつむいたまま考え込むホワイトラン監督の姿とより対照的だった。
「まずいって?」
いつもベンチでホワイトラン監督の隣をキープしていた希も、こんな追い詰められた表情を見るのは初めてだった。
「こんなときにも日本語でぼやくのか」という驚きをかくして、希が尋ねる。
「山内をオープナーに使ったからね。本当は8回まで斎藤でいくか……この回でリードしておきたかった。」
そういうと、ホワイトラン監督は唇を噛んで、決意したような表情を見せる。
「ここからは、ギャンブルだ。」
珍しく弱気なコメントに、反射的に希が尋ねる。
「一応聞きますけど、このあとのピッチャーが捕まったら、勝算は?」
「最悪だね。ちなみに……」
ホワイトラン監督はうつむいたまま答える。
「私の悪い予想はよく当たる。」
「知ってます。」
◆◆◆
これまで、「逆転のドルフィンズ」といわれた彼らにとって、試合終盤にクローザーの山内を投入することで、失点しない状況を作ることは大前提だった。
そしてホワイトラン監督の予想通り、8回裏2アウト満塁で、山内の代わりに登板した神田が捕まってしまう。
神田もこのCSで大車輪の活躍。誰も責められたものではなかった。
結局ドルフィンズは、8回に6安打を浴び、痛恨の2失点を喫する。
もちろん、タイタンズの勝ち継投は盤石だった。
◆試合結果(東京−湘南・CSファイナル6回戦)
湘南 000 000 00=0
東京 000 000 02=2
湘南の継投:山内(2回)、斎藤(5回)、神田(1回)
「伊藤! 次の回いくぞ!」
神田の状況を見ると、すかさず伊藤に声がかかる。
緊急登板は伊藤の得意分野だ。
9回表に2点以上取らなければ、そこで試合は終わり。
しかし、まだ誰一人としてあきらめてはいない。
雄たけびにも似た気合を叫び、伊藤がブルペンのマウンドに上がる。
楓はそれを見ながらキャッチボールを続けて、前の試合で登板せずに軽くなった肩がはやるのを抑えるので精一杯だった。
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