第69話 二人三脚
6回裏の守備につくと、戸高のリードは一変した。
これまでの「首脳陣に言い訳が立つリード」から、「自分と投手が納得のいくリード」へと変貌を遂げた配球は、タイタンズ打線を翻弄した。
それまで毎回のようにスコアリング・ポジションにランナーを背負いながら、苦しそうに投げていたダグラスも、のびのびとした投球を見せた。
6回裏、ダグラスはこの日初めてタイタンズ打線を三者凡退に切って取った。
◆試合経過(東京−湘南・CSファイナル3回戦)
湘南 010 000=1
東京 000 020=2
だが、試合はまだビハインドのままだ。
タイタンズ先発の天田に5回まで1失点に抑えられ、続く6回もドルフィンズのお株を奪うような小刻みな2人の投手リレーで無得点に終わっていた。
続く7回表、この回に得点しなければ、8回、9回とタイタンズの勝ち継投が投入されることになる。
「逆転のドルフィンズ」といえども、そうなれば勝利の可能性は大きくそがれてしまう。
タイタンズの王手を阻止するためには、この回に同点に追いつくことが至上命題だった。
しかし、タイタンズの強さは、強力打線やローテ投手だけではない。
球界最高年俸額をもって、潤沢な資金でFAや海外選手の補強で積み重ねた、層の厚さだ。
長いシーズンでも短期決戦でも、順次好調な選手を試合に出場させることができるだけの層の厚さが、常勝軍団の「負けない野球」を可能にしていた。
「ああ、惜っしい!」
ベンチでまだ出場していない谷口も、思うようにつながらないドルフィンズ打線にいらだちをあらわにした。
この回、6番のボルトンが死球で出塁したものの、7番・宮川の打球はいい当たりなのが災いして、4−6−3の併殺打となってしまった。
2死走者なしで、打席は8番・戸高に回ってくる。
「戸高!」
先ほどまで悔しがっていた谷口が、ネクストバッターズ・サークルを出ようとする戸高に声をかける。
そして戸高の視線がこちらへ向くのを見ると、ベンチの端の方を顎で指した。
その先には、ヘルメットとバットを用意するダグラスの姿。
谷口は、「まだダグラスの勝ちを取り戻すチャンスは残ってるぞ」と戸高に伝えたのだ。
戸高はヘルメットのつばを触って、ブロックサインのときに使う「アンサー」のサインを出すと、無言のままくるりと背中を向けて打席へ向かった。
「あいつめ……気取りやがって。」
谷口はそれを見て苦々しく笑った。
それは、浮き足立っていた新人捕手が、「小生意気な野球エリート」へ戻ったことを意味していた。
戸高は打席に入ると、耳の後ろからバットを投手の方へ少し傾けるような、いつも通りの構えに入る。
視線の先には、この回からマウンドに上がった右のサイドスロー投手・堀之内。
変則的なフォームから多彩な変化球で、長打を許さずに確実なリリーフを続けてきたベテラン投手だ。
堀之内と戸高は、今シーズン6度目の対戦だった。
対戦成績は打率.243。比較的苦手にしている相手だった。
今日2打数0安打2三振といいところがなかった戸高だが、リード方針の転換は打撃のリズムも変えていた。
(堀之内さん相手に今シーズンは考えすぎて打ち取られてきた。球数が増えれば増えるほど、考えるべき選択肢は増える。逆に、一番迷うのはファーストストライクの取り方だ。)
戸高の頭の中は、先ほどまでの苦悩が不自然なほどクリアだった。
(得意にしている俺に対しては、1ストライクを取ったら勝ちだと思われてるだろう。だったら……)
長身の堀之内がノーワインドアップのモーションから、大きく体を縦に折って、ボールを投じる。
(初球にヤマを張って、叩くしかない!)
少年野球の頃から染みついている、1、2の3のリズムでバットを思い切り振り抜く。
(きた……!!)
戸高の予想通りの直球だった。
ドンピシャリのタイミングで振り抜いた打球は、センター方向へ一直線に飛んでいった。
堅いもの同士がぶつかり合う、ドカンという大きな音を立てて、戸高の打球はバックスクリーンに突き刺さった。
「おっしゃあ!!」
2塁キャンバスを蹴りながら、高々と拳を突き上げた。
初戦でプロ初本塁打を記録した戸高の中で、何かが変化していたのが自分でも分かった。
ホームランが必要なときは、思い切り振り抜けばいい。
たとえそれで三振しても構わない。
打撃だけではなく、投手からの信頼でもレギュラーは勝ち取れるからだ。
それは捕手だけに許された「特権」だ。
3塁ベースコーチとハイタッチして本塁を踏むと、自軍ベンチに向かう前に真っ先にダグラスへ手を差し出した。
「Excellent!」
長身のダグラスと高い位置でハイタッチを交わす。
これでダグラスの負けはいったん消えた。
だがまだ戸高の仕事は終わっていない。
チームが勝ち越すまで、ダグラスを続投させたいと思わせるリードをするという仕事が残っていた。
◆試合経過(東京−湘南・CSファイナル3回戦)
湘南 010 000 1=2
東京 000 020 =2
戸高の同点ソロで同点に追いついたドルフィンズだが、ホワイトラン監督はなんとダグラスをそのまま打席に向かわせた。
一見愚策にも思えるその采配だが、戸高にとっては好都合だった。
このままダグラスが凡退しても、8回表の攻撃で勝ち越せば、勝ちをつけてやることができる。
短期決戦で責任投手が誰かにこだわる余裕などないはずだが、それが「信頼商売」を生業とする者のけじめだった。
戸高は次の回の守備に備えて、急いでプロテクターをつけ始める。
次の回、打席から直接マウンドへ向かうダグラスを、どう気遣おうか。
手元の感覚が狂わないように、ボールを長めに握らせてみようか。
自分のバッティングのことを気にしているなら、なんと声をかけようか。
そのとき、頭を巡らせる戸高の思考は、大歓声とどよめきにかき消された。
大きな体を子供のように躍動させながら、両手を挙げてベースランをするダグラスの姿が、そこにはあった。
「うそ……だろ……?!」
戸惑いながらスコアボードを見ると、「H」の文字が点滅している。
主審は右手を大きく回していた。
なんと、ダグラスが自ら勝ち越しホームランを放ったのだ。
慌ててマウンドへ集まるタイタンズ内野陣と首脳陣を尻目に、スキップでもするような軽やかな足取りで3塁キャンバスを蹴るダグラス。
まだ起こった出来事が受け入れられずにいる戸高が、ベンチの奥にいるホワイトラン監督を見ると、「してやったり」の表情で口角をわずかに上げるのが見えた。
実は、ダグラスはプロ2年目まで外野手だった。
高卒でメジャーリーグ傘下の3Aに入団した後、結果が出なかった若き日のダグラスは、選手生命を賭して投手へ転向したのだ。
2死走者なしで、確実な打撃が必要がない場面。
しかもできれば、調子の上がってきた先発を続投させたいという思惑とも両立したため、ホワイトラン監督は「一発狙いで思い切り振ってこい」という指示をダグラスに出していたのだった。
思わぬ逆転劇に、ドルフィンズベンチは当然色めき立った。
ダグラスは選手たちの祝福を受けると、ホワイトラン監督と最後にハイタッチした。
選手たちの祝福が予想よりも手荒いものでなかったのは、この後の続投に配慮したものだったのだろう。
その裏のマウンドにも上がったダグラスは、本塁打の余韻を味わうかのように、さらに快投を見せた。
さらに8回も続投し、7回から打者6人を凡打で打ち取った。
「逆転のドルフィンズ」が再び発現した瞬間だった。
◆試合経過(東京−湘南・CSファイナル3回戦)
湘南 010 000 20=3
東京 000 020 00=2
9回裏は、クローザーの山内がマウンドに上がる。
いつも通りの盤石な継投だ。
しかし、波乱含みの逆転劇は、ただでは完結しなかった。
CSファーストステージから連投が続く山内が、ここに来てついに捕まってしまう。
2死までこぎ着けたものの、満塁のピンチを招いてしまったのだ。
ここでバッターは、3番・上尾。
◆◇◆◇◆
「残念! 今日の休みはナシになりましたー!」
河本コーチがブルペンの内線電話を切ると、大げさに両手を広げて、投球練習をしていた楓に言う。
「えー! せっかくの調整日が……。」
「まあまあ、忙しいうちが華だっていうからさ?」
ぼやく楓を谷口がなだめる。
「谷口さん、戸高くんみたいなこと言うようになりましたね……。」
いつもとは違い、ブルペンでボールを受ける谷口を楓が茶化す。
「立花さあ、俺が戸高みたいなこと言うんじゃないの。戸高が、俺みたいなこと言うようになったの。」
谷口がこうして楓とじゃれてやるのも、普段ブルペンにいない自分に萎縮しないようにと配慮してのことだった。
「じゃあ、いってきますかね。」
「はいよ、いってらっしゃい。ちなみにこれで抑えたら、初セーブな。」
「またそうやってプレッシャーかける! そういうところまで戸高くんそっくりですね!」
「だから逆だって!」
じゃれ合いながら最後に大きなシンカーを投げると、楓は小走りにベンチの方へ走っていった。
◆◇◆◇◆
「おう。」
戸高はマウンドで、楓を簡単な言葉で迎えた。
しかし楓はニッと笑って、
「バーカバーカ。結局弱気になって打たれるリードしてやんの!」
開口一番ホームランのことをいじってきた。
「いいんだよ。ダグラスさんと2人がかりで逆転したんだから。」
戸高は、ばつ悪そうに顔を背けながら言葉を返す。
内野陣との打ち合わせが終わり、マウンドに2人だけになると、楓は一言だけ尋ねる。
「で、もう大丈夫なの?」
ブルペンのモニターからしか様子を見ていなかった楓は、純粋に戸高を心配しているようだった。
それもそのはずだ。試合前の戸高の浮き足立ち方といったら、楓まで動揺してはじめブルペンでコントロールを乱すほどだった。
楓はその出来事については、話さないことにしていた。
「ああ、心配かけた。もう大丈夫だ。ダグラスさんと違って、立花が打たれても俺はそんなに傷つかない。」
「なにそれ! ひっど!」
そう言って2人は声を出して笑うと、互いの守備位置についた。
さっきまで笑い合っていた戸高と自分の周りには、3人のランナー。
点差は1点。
本当は笑っている場合などではない。
(でも、こういうときに私が笑ってないと、きっとまた考え過ぎちゃうでしょ。)
楓はここぞ恩返しをするチャンスとばかりに、ゆったりとした動きで戸高のサインを覗き込む。
(こういうときこそ俺が笑ってないと、初セーブがかかるだけで緊張しそうだからな。立花は。)
先ほどまで自分が追い込まれていたことなど忘れて、戸高はマウンド上の楓を気遣いながら、いつもより少し丁寧な動きでサインを出した。
(アウトコースに、ボールになるスライダー)
普段の上尾に対してはしたことがない初球の入り方だった。
しかも、塁が埋まった状態でボール球から入るというのもセオリー外だ。
だが、楓には戸高の考えることが、手に取るように分かった。
(はいはい。「満塁名物・いつストライクが来るか逆に心配になる作戦」ね。)
楓は戸高がミットを構えた場所——思わず左打者が手を出してしまいたくなる、ギリギリボールに外れるところにスライダーを投じた。
しかしこれを上尾はピクリと右肩を動かしただけで見送る。
カウントは1−0。
(ほほーん。さすが。)
楓は余裕の笑みを見せたくなるのをこらえて、一瞬顔が曇ったように眉をしかめて見せた。
(わざとらしいんだよ、バカ。)
戸高は楓のバレバレな顔芸に呆れながら、ヘルメット越しに頭をかいて返球する。
(じゃあ、次のサインは……これな。)
インローにボールになるスクリューのサインを出した。
上尾は今度はさっきよりも少し大きく肩を動かしてこれを見送る。
カウントは2−0。
押し出し四球でも同点となる状況でのボール先行に、タイタンズファンから大きな歓声が上がる。
しかし楓の心には、依然として動揺はなかった。
(インローに、ボールになる大きなシンカー)
次のサインの意味をしっかりと読み取る。
(出たー。策士・戸高一平。真面目そうな顔してほんとに性格が悪い!)
口に出したら怒られそうな褒め言葉を内心でつぶやいて、楓は戸高の意図通りのボールを投じる。
(今日の立花楓さんは調子が悪いので、コントロールが定まりませーん!)
実際に口にしたら舌を出して言いたくなるようなことを念じながら、リリースした。
戸高の「計算された大胆なリード」が、すっかり戻っていた。
まさに「どうしてもストライクが欲しいけれど、こわくてしょうがないから決め球でストライクを取りに来た」シンカーを演出して、ギリギリボールになるコースへ。
((かかった!))
2人が同時に確信した瞬間、これを打ちにきた上尾は、予想よりも低めへ外れたボールを引っかけ、ファーストゴロに倒れた。
「いっちょあがりー!」
ベースカバーに入っていた楓は嬉しそうにそう叫ぶと、駆け寄った戸高とハイタッチする。
◆試合結果(東京−湘南・CSファイナル3回戦)
湘南 010 000 200=3
東京 000 020 000=2
ドルフィンズの継投:ダグラス(8回)、山内(2/3回)、立花(1/3回)
これでドルフィンズはようやく2勝2敗のイーブンまでこぎ着けた。
翌日のスポーツ新聞は、まさかのアベック・ホームランを見せた戸高とダグラス、そして初セーブをつけた楓の3人が一面を飾っていた。
新人捕手の活躍と、ワンポイント女子投手の快投、そして選手層の薄さをカバーする一丸となったチームに、プロ野球ファンたちは「まだまだドルフィンズの快進撃は止まらない」と期待するのだった。
「王者の貫禄」という言葉の、真の意味を忘れていることには気づかずに。
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