第68話 信頼商売

 プロ野球ファンの間では、今シーズンのドルフィンズによる快進撃を評した言葉がささやかれていた。


「逆転のドルフィンズ」


 史上最弱球団に訪れたもっとも大きな変化をよく表した言い方だった。


 昨シーズンまでなら先制された後ずるずると失点し、敗色を濃厚にしていた試合展開とは裏腹に、今シーズンのドルフィンズは多くの逆転勝利を重ねた。

 その「諦めないマインド」がCS初出場の原動力であり、ドルフィンズの勝ちパターンになっていた。


 そして、逆転という勝ちパターンを容易に実現できたのは、戦力の成長やマインドの変革だけではない。

 「追いかける展開」に慣れきった体質のチームには、その勝ちパターンが一番なじみやすかったのだ。


 しかし、今日の試合はいつもとは展開が違った。


 格上のタイタンズ相手に先制したドルフィンズ打線は、まだ慣れぬ「逃げる展開」とタイタンズの先発・天田の好調も相まって、拙攻を重ねてしまう。

 喉から手が出るほど欲しい追加点を取ることができず、両先発が我慢の投球を続けた結果、試合は1点差のまま5回表まで進んだ。


◆試合経過(東京−湘南・CSファイナル3回戦)

湘南 010 00=1

東京 000 0 =0


 そして迎えて5回裏、タイタンズの攻撃。

 この回を終えればダグラスは勝利投手の権利を得て、ひとまずは役割を果たしたことになる。


 その気の緩みからか、ダグラスはこの回アウトを2つ取ったところで、先頭の3番・上尾にストレートの四球を与えてしまい、2死1塁のピンチを招く。

 ここでバッターボックスには4番・太田。


 毎回のランナーを出しながら無失点で切り抜けてきたダグラスも、あとアウト1つを取ればこの回をしのげる。


(5回をリードしたまま折り返せば、試合の流れをさらに大きく引き寄せられる……ここは絶対に打ち取りたい。)


 右打席に太田が入ったのを見るや、戸高は一度タイムをかけてマウンドへ向かった。


 明らかに長打を狙ってくるであろう太田の打ち気をそらす、絶妙のタイミングだった。


「前のフォアボールは気にしなくていい。球種をフルに使って抑えたい。」


 戸高は通訳を通して、単刀直入にリード方針を告げる。


 セットアッパーのバワードとのやりとりで見つけた、戸高なりの外国人投手リード法だった。


「スライダーが思うように指にかからない、って。」


 通訳がダグラスの言葉を返す。


「大丈夫。多少コースを外れても、ちゃんと止めるから。思い切って腕を振って。」


 戸高は通訳ではなく、ダグラスの目をしっかりと見てそう言うと、ミットを一度ぱんと叩いた。

 こういうときに弱気になるのは、国籍など関係ない。

 投げるフォームやボール以上に、精神面がものをいうことはよく分かっていた。


 ダグラスの左肩をぽんぽんと叩いてから、自分の守備位置に戻る。


(とはいえ……)


 気丈に振る舞った後、戸高はダグラスに悟られないように後ろを向いて足下をならしながら、深く思い悩んだ。


(インコースのスライダーが甘く入ったら、間違いなく持っていかれる。インコースで使える球種が余りに少ない……。)


 ダグラスはMAX150km/hを越える速球とチェンジアップを中心に、カーブ、スライダーと右打者の外に流れる変化球を投げる投手だ。

 横の変化を計算できないというのは、リードの幅を大きく縮める要因になる。


(こういうときは、得意なボールを投げさせるのが一番だよな。)


 戸高はいろいろと思案したが、結局最初に思いついたサインを出した。


(インローに、ストライクにする真っ直ぐ)


 不安要素のない球種を要求されたダグラスは安心したようにゆっくり頷くと、独特の大きなフォームからボールを投じる。


 ストレートを待っていた太田がここぞとばかりにスイングするが、そのバットは豪快に空を切った。カウントは0−1。

 よろけるほどの大きな空振りに、スタジアム全体がざわめくのが分かった。


(やっぱり、待ってるよなあ……でも、たぶん頭の中にスライダーがあった。だから振り出しが一瞬遅れた。)


 試合前の緊張はどこへやら、自分でも驚くほど冷静な分析をすると、戸高は太田に考える暇を与えないよう、すかさず次のサインを出す。


(アウトコースに、ストライクになるチェンジアップ)


 おそらく太田の頭の中には、横の変化で空振りを取りに来るという予測がある。

 逆転の2ランだけは許してはならないこの場面で、なるべくストライクゾーンで勝負したくないというのがセオリーだからだ。


 セオリーの裏をかいた、一見危険なボールで勝負に行くのが、戸高の持ち味になっていた。

 球速の遅い楓をリードする中でつちかわれた経験だった。


 ダグラスは要求されたとおりのコースへチェンジアップを投じる。

 だが、


(やば……!)


投げた瞬間、置きに行ったのが戸高にも分かった。

 2球団で4番を打つ太田の目をごまかせるはずもなく、左の脇を開きながら押し込むように外角のボールを打ちにいく。


 バットに触れた瞬間、真芯で捉えた打球はピンポン球のように大きくライト方向へ舞い上がった。


 スタジアムをぐるりと囲むタイタンズファンの歓声が打球を後押しする。


 しかし、その歓声は次の瞬間、ため息に変わった。


 打球はポールのギリギリ外側へ逸れてったのだ。


 とはいえ、逆転を予感させる大飛球に、タイタンズファンの声援は一層大きくなる。


 戸高がふとマウンドに目をやると、明らかにダグラスの表情は青ざめていた。

 首から提げたネックレスを、ユニフォーム越しに祈るように握っている。


 しかし先ほど一度タイムは使ってしまった。

 もう直接ダグラスにアドバイスすることはできない。


 申し訳程度に1球の遊び球で外して時間を稼ぎ、カウントを1−2と整える。

 結果的には追い込んだ格好だが、あの打球を見せられた直後の危険な場面だ。


(このコースを打たれたら、どこに投げればいい? 太田さんの傾向からすると次は……ここしかない!)


 戸高の脳裏に、「インコースへのスライダー」というサインがよぎった。

 リスクを冒してでも太田の想定にない球種を投げることで、ここを抑えるしかない。

 ダグラスよりもボールの遅い楓が相手でもこのサインを出しただろう。


(でも、さっきからスライダーが内側に入る。これを持っていかれたら、試合の流れを一気に持っていかれる……。)


 なりを潜めていた弱気の虫が首をもたげる。


(ここでもし打たれたら、首脳陣は「やはり戸高にはまだ早かった」と思うんだろうか? そしたら次のチャンスはいつだろう? 今シーズンは、今日よりも大事な試合しかない。)


 これは自分の正捕手をも賭けた試合だったことを思い出す。


(さすがにリスクが高すぎないか? インコースのスライダーと同じような意表を突く方法、他にもあるんじゃないだろうか? たとえば……そうだ!)


 頭をフル回転させているうちに、妙案が舞い降りた。

 やはり毎日研究ばかりしている成果だ。こういうときに天啓が舞い降りるものだ。


(インローに、ストライクになるカーブ)


 おそらくインコースは太田の頭にはないだろうと考えてのリードだった。


 スライダーでリスクを冒さなくても、ダグラスの真っ直ぐを見せられた後なら、タイミングを外すだけで打ちとれる。

 ましてやさっきの大飛球。

 遅いボールで勝負してくるとは思わないはず。


(それに、太田さんはこのコースのカーブは打率が低かったはず。このサインなら、誰にでも説明が付く。自信を持てるリードだ。)


 戸高がしっかりと腰を据えて構えるのを見て、ダグラスが勝負球を投じた。


 太田の肩口辺りまで真っ直ぐに進んだボールは、空中で強くブレーキが掛かり、外角へ流れながら落ちてくる。


 しかし、落ちてきた先には、太田のバットが待っていた。


 ど真ん中に不用意に飛び込んだ遅球をバットが捉えると、ボールは弾丸のようなライナーでドルフィンズファンが占めるレフトスタンドの一角に突き刺さった。


 マウンドのダグラスは帽子を深くかぶり直し、平静を装っている。

 だがその背中には明らかに動揺が見て取れた。


(しまった……今更だけど、たとえばあそこでスライダーを要求してたら……。)


 戸高は、今すぐにでもベンチへ逃げ帰ってデータを確認したい気分だった。


 たしかに、客観的なデータを見ても、太田はインコースのカーブを苦手にしていた。

 だが、実はランナーが1塁にいる状態では、なぜか太田はこのコースの全球種に対して打率も長打率も上がっていたのだった。


 戸高が最初にスライダーを想定したのは、これまで何百回、何千回と分析してきた太田のデータから、「経験値として読み取っていた苦手球種」だった。

 実際に同じケースでのスライダーは大きく打率が下がっている。


 自分の体に「勘」となって染みついていた経験値を無視し、脳内で証明できる数字だけを信じたことが敗因だった。


 次の打者はなんとか打ち取ったが、結局ダグラスが勝利投手の権利を得る直前で逆転を許してしまった。


◆試合経過(東京−湘南・CSファイナル3回戦)

湘南 010 00=1

東京 000 02=2


「ダグラスさん! すみませんでした!」


 戸高はベンチへ戻ると、通訳も伴わずに、仰々しくダグラスに頭を下げた。


 日本に来たばかりのダグラスは、戸高の行動の意味もよく分からず、不思議そうな顔をしている。

 そこへ通訳が飛んできて、戸高の意図を伝える。


「打たれたのは僕のコントロールミスだから、仕方ない、って言ってます。」


 通訳の言葉が、戸高の胸にトゲのように突き刺さった。


「それは違います。原因は俺のリードです。ダグラスさん、あなたには、本当に申し訳ないことをした。負け投手になったら、それは俺の責任です。」


 もう一度仰々しく頭を下げた。

 自分の情けなさに、そうしていたいと心から思った。


「お前、もうちょっと他にあるんじゃねえか?」


 戸高が声のする方を見ると、すぐそばに谷口が立っていた。

 ブルペンからベンチに様子を見に来ていたらしい。


「谷口さん、俺……やっぱりまだまだ力不足かもしれません。」


 半分以上本気だった。


 本塁打という最悪の形で流れを持っていかれて、正直このあとどうやってタイタンズ打線を抑えていいか分からない。

 懲罰交代でもいいから、ベンチに下がってしまいたい。

 そうすれば、もう自分のせいで打たれることはない。


「バカかお前は。」


 そんな甘えも、谷口は許してくれなかった。

 呆れたような顔で言うと、戸高に自分の顔をぐっと近づけた。


「いいから、そこ座れや。」


 谷口は鬼のような形相で喧嘩でも始めるように言うと、ベンチの一番奥のシートに戸高の肩を押して座らせ、自分もその隣に座った。


「いいか、お前の敗因は球種の選択でも、コースの選択でもねえ。『迷い』だ。」


 谷口はいきなり核心に切り込んだ。


「お前のリードには、迷いがあった。そんなもん、誰から見ても明らかなんだよ。ダグラスにも、ましてや太田にもな。」


 先ほどまでとは対照的な穏やかな口調になると、淡々と説明を始める。


「一番打てそうにないピッチャーって、どんなかわかるか?」


「そりゃあ、真っ直ぐが速くて、変化球がキレてて……」


「じゃあ、全部真っ直ぐだったら、真ん中に160km/h投げりゃ打たれないか?」


「いや、それは……予想されるから。」


「だろ? 答え出てんじゃねえか。」


 口ごもりながら返答する戸高に対して、谷口は質問を通じて答えにたどり着くのを伴走するように尋ね続けた。


「じゃあ逆に、真っ直ぐが130km/h台の須藤とか、ましてやもっと遅い立花は何で抑えられるんだよ。」


「緩急とか球種とかで、バッターの裏をかけるからです。」


 優等生らしい模範解答を聞いて、谷口はまだ守備用のヘルメットをかぶっていた戸高の頭をひっぱたいた。


「いって!」


 思わず戸高は声を上げる。


「目の前のバッターとピッチャーを見て、一番抑えられそうな球を投げる! キャッチャーなんてそれでいいんだよ! どうせ打たれたってピッチャーにしか成績つかねーんだから。」


「ええ……。」


 試合中にもかかわらず戸惑う優等生に構わず、谷口は不良をたしなめる教師のように優しく言葉を続ける。


「でもな、キャッチャーってのは信頼商売だ。ピッチャーからの信頼がなきゃ務まらねえ。たとえ打たれて信頼を失うとして、それが自分が信じた球以外で納得いくか?」


 戸高の脳裏には、楓との日々がよみがえっていた。


 自分の居場所を守るために、ワンポイントで登板する楓を誰にも打たせるわけにはいかなかった。

 常に楓とセットでしか起用されないからこそ、自分自身が納得のいくリードを追求してきた。


 ピッチャーだけでなく、自分自身も後悔のないリードをすることが、何よりのキャッチャーの務め。


 戸高は、初めてマスクをかぶった日に感じたことを、いつの間にか忘れていた。


「なら、もうやることは1つだよな?」


 安心したような谷口の目を見ると、


「はい!」


とだけ答え、戸高はダグラスに再び駆け寄っていった。

 まだ2失点、連日総動員のリリーフ陣を休ませるため、ホワイトラン監督はダグラスの続投を決めている。


「ダグラスさん、今日一番いい球、教えてください! 俺からも思ってること言います!」


 またしても通訳を伴わずに話しかけ、慌てて通訳が戸高に駆け寄る。


 6回表の攻撃が終わるまで、戸高とダグラスの臨時ミーティングは続いた。


◆試合経過(東京−湘南・CSファイナル3回戦)

湘南 010 000=1

東京 000 02 =2

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