第61話 長生きイルカの長い1日
CS初戦、ドルフィンズは斎藤武、タイタンズは川中の予告先発で始まった。
右の本格派・エース斎藤をぶつけてきたドルフィンズに対し、王者タイタンズは夏から一軍に合流したルーキー左腕の川中を先発させるという意外な展開で試合はスタートする。
しかし、この先発にも意味があった。
川中は開幕こそ二軍スタートだったが、6月頃からドラ1のポテンシャルをめきめきと発揮し、二軍では6月の月間防御率は0点台という驚異のピッチングを見せていた。
その活躍を買われて一軍に合流してからも、自慢の速球とキレのいいスライダーで一軍の打者たちをも翻弄した。
そして、川中が先発を任された理由はもう1つある。
ドルフィンズとの対戦が未だになかったのだ。ドルフィンズには、二軍時代の川中のデータしかない。
一発勝負のCSでぶつけるには格好の投手だった。
「百戦錬磨の巨神(タイタンズ)と言えども、イルカ1頭狩るのに本気出すってことね。大層なこって。」
先発オーダーが表示されたスコアボードを見ながら、谷口が自嘲気味につぶやく。
「でも——」
そういうと、今日もベンチスタートの戸高とキャッチボールをする斎藤を見ながら、
「イルカってのは、意外と長生きでしぶといんだよ。」
と唇の端をニヒルにあげてみせた。
先発投手同様、ドルフィンズのスターティングメンバーはいつも通りだった。
ホワイトラン監督としても、ここまで来たら初戦は正攻法でぶつかるしかないという考えだ。
◆ドルフィンズスターティングメンバー
1番 センター 金村虎之介
2番 セカンド 内田俊介
3番 ショート 新川佐
4番 サード 田村翔一
5番 ファースト フェルナンデス
6番 ライト ボルトン
7番 キャッチャー谷口繁
8番 レフト 高橋紘一
9番 ピッチャー 斎藤武
試合が始まると、両先発は序盤からフルスロットルの投げ合いを見せた。
FAで獲得した選手や、去年までメジャーリーガーだった選手、そして生え抜きのエリートがずらりと並ぶ超強力打線を相手に、斎藤が持ち前のスライダーとフォークを織り交ぜた老練なピッチングで交わすと、負けじと川中も150km/hの力強い直球とキレのいいスライダーでドルフィンズ打線をねじ伏せる。
「っしゃあ! どうじゃおらァ!」
川中は6回表も最後の打者となる4番田村を直球でねじ伏せて、空振り三振に打ち取ると、マウンド上で大げさにガッツポーズして見せた。
ここまでドルフィンズ打線に散発3安打しか許さず、3塁を踏ませない快投ぶりだ。
◆試合経過(東京ー湘南・CSファイナル1回戦)
湘南 000 000=0
東京 000 00 =0
◆◇◆◇◆
「相変わらずだなあ。川中は。」
ブルペンのモニターを見つめながら、楓は懐かしそうにつぶやいた。
敵チームとはいえ、そして日本シリーズ出場を賭けて戦う相手とはいえ、大学同期の川中がこうしてマウンドで躍動する姿を見るのは嬉しい気持ちもあった。
「ずいぶん余裕なんだな。」
いつもより低い声のトーンで、投球練習のボールを返球しながら戸高が言う。
「どうしたの? 戸高くん、今日なんか変だよ?」
「試合中の相手投手に抑えられて、嬉しそうな顔をする方が変だろ。どうかしてる。」
素朴な疑問を向ける楓に対し、さらに戸高は食ってかかる。
「まあ、そりゃあね。4年間一緒に野球をやってた仲だからね。」
そういうと、楓はセットポジションから、戸高の要求通りのコースへスライダーを放る。
「今は敵だ。」
故意なのか、いつもより大きめの音を立ててキャッチングしてから、戸高はぼそりと返す。
それを見て、
「立花! 次の回、ピンチになったらいくからな!」
2人の険悪な雰囲気を察知した河本コーチが、あえて水を差すように大きな声で楓に話しかけた。
「はーい! がんばりまっす!」
いつも通り元気よく答える楓に対して、戸高はいつもより強くグラブを叩いてからミットを構えた。
◆◇◆◇◆
試合は6回裏。
超強力なタイタンズ打線を相手に毎回のランナーを出しながらも、なんとか0点に抑えてきた斎藤がついにここで捕まる。
3番リーチ、4番太田にヒットを打たれ、2死1・2塁のピンチを迎えた。
ここで左打席には5番・捕手の上尾。
リーチの足なら外野の前に落とされれば失点の可能性がある。バッテリーとしては慎重を期する場面だ。
谷口の頭には、これまでの上尾との対戦の歴史が駆け巡っていた。
上尾がプロ入りしてから10年、幾度となく対戦してきた相手だったが、何度も辛酸をなめさせられてきた。
(これまでお前に打たれてきた歴史は、今日ここで抑えるためだったんだよ……!)
谷口はそう念じると、初球に強い上尾が一番多く空振りしてきたフォークを要求する。
そして思惑通り空振りを取ってカウントを0-1とすると、マスクの奥でニヤリと笑って見せた。
初球、2球目、3球目……それぞれどの場面で上尾がどのようなボールを苦手としてきたか、その経験値が谷口の中にはあった。
2球目、外角へ直球。ボール。1-1。
3球目、内角へカット。ファウル。1-2。
4球目、高めへ直球。ボール2-2。
ここまで、すべては計算通りだった。
(これで高めの釣り球を振らないのはたいしたもんだよ。だが……)
谷口は上尾の顔色をちらりと守備位置から伺うと、
(2-2からこのボールを投げて、お前に打たれたことはない!)
外角へカーブを要求した。斎藤の緩急を生かした盤石なリードだった。
斎藤はセットポジションの体制から2塁ランナーを目でちらりと牽制すると、クイックモーションでカーブを投じる。
谷口の位置からも、要求したよりボール0.5個分内側に入るのが見えた。
(ちっ……あのブルペン番長、本番でこういうことやるんだよ。でも……)
谷口は内心で舌打ちするが、その邪心を正面から受けたかのように、斎藤が投じたカーブは大きく縦に弧を描く。
(斎藤のカーブは甘く入るときに限って、大きく曲がるんだ!)
上尾がスイングの体勢に入るのを見て、谷口は唇の端を再び上げた。
だが、
「えっ?」
思わず谷口が驚きを声に出してしまったときだった。
上尾のバットが予期していたスイング軌道よりも大きく下に伸び、真芯でボールを捉えるのが、誰よりも近くから見えた。
そのまま外角寄りのカーブを無理矢理ボールを引っ張るようなアッパースイングを見せると、上尾の打球はラインドライブで右中間を破る。
2塁走者のリーチが手を叩きながら悠々とホームインし、1塁走者の太田は3塁へ、打者走者の上尾も2塁に到達した。
◆試合経過(東京ー湘南・CSファイナル1回戦)
湘南 000 000=0
東京 000 001=1
「ちっくしょう!」
谷口はホームベースにかかった土を乱暴に蹴り上げながら、3塁上で親指を立てる太田を見た。
こういうときに打者の上尾ではなく、とっさにFAで移籍した太田を見てしまうのが、自分の性格の悪さを自覚させるようで腹が立った。
(データを取ってたのは、俺だけじゃなかったってことか……。)
谷口のデータ分析は完璧だった。
これまでの上尾の傾向から、2−2からの投球は、外角へカーブかフォークを投げていれば間違いなかった。
(要するに、俺が上尾の選択肢を2つに絞っちまったってことかよ。しかもどっちも縦の変化球で。)
球種とコースを読んでいたからこそ、外角へいつもより大きく腕を伸ばしてスイングしたのだ。
まさに上尾の「配球読み」勝ちだった。
「やばいやばいやばいやばいやばい!」
それを見てベンチで大声を上げていたのは、希だ。
「なんだよ。そりゃやばい展開だけどさ。焦りすぎじゃね?」
同じくベンチスタートだったベテランの宮川が冷静な口調でなだめる。
「違うんですよ! このままじゃ——」
そう言って1塁側ベンチの前を見ると、投球練習中の川中は希の位置からでも分かるほどニヤニヤと笑っていた。
「あのときの顔だ……。」
ドラフトでタイタンズから指名されたときの川中を見ていた希は、苦虫を噛みつぶしたような顔をする。
「何が違うんだよ。試合はこっからだろ。それにしても希ちゃん……すげえ顔してるよ?」
「なんていうか、ややこしいことになるんですよ! あと、『希ちゃん』はやめてください。」
「あ、ああ、はい……。」
そのままの表情を希に向けられて、さすがの宮川も気圧される。
これまでアイドル的な枠だった希にいつもの呼び方をしても怒られなかったのだが、今になって突然怒られたことに疑問を持ちつつも、再び試合の行く末を見守っていた。
「ああ、ダメだ! じれったくなってきた! 私、バット振ってきます!」
希はそう言うと、ベンチの裏へ駆けていった。
◆◇◆◇◆
「立花! 次敬遠で、次の次から!」
けたたましくなった内線電話の受話器をガチャリと音を立てて叩きつけると、河本コーチが楓に向かって叫んだ。
投手戦で6回裏、1点を取られてなお2死2・3塁。
次の1点を取られれば、一気に試合の流れを持って行かれてしまうことは誰よりも明白だった。
次の1点だけは与えてはならない。
そのためには、申告敬遠で6番打者を歩かせ、塁を埋めて左の7番・垂井に楓をぶつけるというのが、いまのドルフィンズにとって最良の選択肢だった。
「立花——」
ブルペンからベンチに向かおうとする楓に、戸高が声をかける。
「今日、俺、変なリードするから。」
「へ?」
先ほどからの仏頂面のままそう言うと、戸高は背を向けてベンチへ走っていった。
「なんだあれ……? ねえ。」
思わず河本コーチの方を見る。
「さあ……。」
河本コーチも両掌を天井に向けて、まったくわからないという仕草をする。
《ドルフィンズ、選手の交代をお知らせいたします。キャッチャーの谷口に代わりまして、戸高。背番号27。ピッチャーの斎藤に代わりまして、ピッチャー、立花。背番号98。》
前の打者への申告敬遠に対するブーイングの鳴り止まぬ中、楓がマウンドへ向かうと、いち早く着いていた戸高が内野陣と何やら話していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます