第5章 決戦!クライマックス・ステージ

第60話 いちたの挑戦状

 CSに出場したドルフィンズは、シーズン最終戦の勢いそのままに、広島カブスとのファーストステージを2勝1敗で勝ち上がった。

 そして、移動日なしで東京へ戻り、タイタンズとのファイナルステージを戦うことになる。


 この過酷なスケジュールにもかかわらず、チームの士気は最高潮だった。


「立花、これ見て。タイタンズのここ1ヶ月の打撃成績。」


「ふぇ?」


 移動中の席に着いた直後、戸高はノートPCを開くと、すかさず弁当を頬張った楓に話しかける。

 行きも帰りも、通路側が戸高、窓側が楓で2人は隣の座席だった。


「打順を毎日のように入れ替えてるけど、毎試合のように打線がつながってるんだ。どうやら狙い球を絞って配球を読んでるみたいなんだけど……」


 カブス戦でも2連投中だった楓は、さっさと弁当を食べて眠りにつこうと思っていたが、戸高は寝かせてくれなかった。

 楓に映像とデータを見せながら作戦会議を始めようとする。


「ここでスクリューを織り交ぜれば、最後のシンカーを際立たせられると思うんだ。そこでなんだけど、このコース、投げれる?」


 新幹線が岐阜羽島駅を通過するあたりまで、かれこれ1時間以上にわたって、楓に問いかけつつづけている。


「戸高くん、その辺にしといてあげたら?」


 船をこぎ始めた楓を見かねて、通路を隔てて戸高の隣に座っていた希が声をかける。


「楓、2試合も投げて、精神的にもかなり疲労してるみたい。そうやって周りが見えなくなるの、悪い癖だよ?」


「ああ、ごめん……。」


 同い年の男女プロ野球選手。一軍に昇格してから、一風変わった組み合わせの3人は行動を共にすることが多くなっていた。希もすっかり戸高とも打ち解けた様子だ。


「ま、戸高くんの気持ちも分かるけどね。タイタンズ戦、これまでみたいに簡単にはいかない。」


「そうなんだ。短期決戦とはいえ、4勝しなきゃいけない。しかも、2敗しかできない。勢いだけで勝てる相手だとは思えない……。」


 CSのファイナルステージは、リーグ1位のタイタンズに1勝のアドバンテージ与えられる。

 3位から上がったドルフィンズは、0勝1敗の状態から始めて、タイタンズの本拠地・後楽園ドームで4勝しなければならない。しかも、前日までファーストステージを戦って、移動日なしで試合を続けなければならないのだ。


 ただでさえ自力に勝り、選手層の厚いタイタンズ相手にこのハンデ戦を戦うとあっては、戸高が焦るのももっともだった。


「じゃあさ、私が話し相手になってあげる。ちょっと見せて?」


 そういうと、通路に身を乗り出して希が戸高のノートPCをのぞき込む。


「すっご……これ、1人で分析したの? いつ?」


「まあ……オフの日とか。別にやることもないし。」


 平然と答える。

 PCには、スコアラーが分析したデータに、楓の持ち球との相性を分析した結果が書き加えられている。

 戸高は、楓に対する日替わりリードをするため、全チームに対してこの分析を加えていたのだった。


「なるほど。これが野球サイコパスか……。」


「ん? なに?」


「や、なんでもない! こっちの話!」


 楓から聞いた戸高のあだ名をごまかすと、希は戸高とタイタンズ打線の分析を始めた。

 そして、ちょうど浜松駅を過ぎたあたりで、希は戸高に1つの大きなインスピレーションを与えていた。


「そうか……上尾さんの配球読みをデータに加えるから、こんなに正確なのか。それなら合点がいく。」


「たぶんね。確証はないけど。」


「いや、江川の言うとおりだ。データの傾向だけじゃ読み取れないところも、これなら説明がつく。」


 タイタンズの配球読みは、どう考えても相手のデータ分析だけでは説明がつかないものだった。そこが戸高には解けない謎の本質で、楓を質問攻めにしていた理由もそのためだった。

 だが、試合に出ずにベンチから毎試合「お飾り」として試合を見ていた希からは、その正体がタイタンズ不動の正捕手・上尾信吾の経験から来る配球読みだと一目で分かった。


「オカルトみたいな話だけど、選択肢を2つに絞れば、上尾さんの配球読みはほぼ確実だよ。うちのチームも何度もそれにやられてる。」


「確かにその通りだ。データ上、狙い球を2つまで絞れる局面になると、打ち損じ以外みんなヒットになってる。それにしても……どうしてわかったんだ?」


「それ、私に聞く?」


「うん。教えてほしい。」


 まったく気づくそぶりも見せず、こういうときだけキラキラした野球少年のような目で尋ねる戸高に、希もつい面食らってしまう。大きなため息をつくと、


「あのねえ、私、女子選手。元お飾り。」


「ん?」


「だーかーらー、ずっと試合に出ないのに一軍のベンチにいるの! 一番近くにいるのに、当事者にはなってない。嫌でも一番冷静に試合見れるでしょ! で、これ、本人に言わせる?!」


「ああ、そういうことか……。」


「分かってくれた?」


「それ、すごくいいな! 1年間ずっと相手チームの分析に使えるなんてさ!」


「もういい……二度と分かってもらえないことが分かった……。」


 そこまで聞いて、希は頭を抱えた。自分がお飾りだった過去は、今になっても余り思い出したくない出来事だった。

 戸高はしばらく不思議そうに希の様子を見ていたが、今度はぶつぶつ言いながら上尾のリードを分析し始めた。どうやら上尾の配球読みの秘訣がそこにあると読んだようだ。


 無心でノートPCに向かい合う戸高を見ながら、希は一風変わったバッテリーに思いを馳せる。


(でも、戸高くんは楓と一緒に生き残るために、こんなに頑張ってるんだね。いいキャッチャーに出会えたね、楓。)


 なお、当の楓は東京駅まで目を覚ますことはなかった。


◆◇◆◇◆


 東京駅に着くと、迎えに来ていたバスに乗り換えてすぐに後楽園ドームに向かう。

「よーーし! やるぞー!」


 新幹線とバスで2時間ぐっすりと眠った楓はすっかり元気になったようだ。

 すぐ後ろについてバスを降りた戸高は、まだノートPCを開いてぶつぶつ言っている。


「ほんと、いいコンビだよ。ふたりとも。」


 先に降りていた希は、苦笑気味に笑いながら2人を見る。


 ぞろぞろと一列で後楽園ドームのグラウンドに降り立ったドルフィンズの面々の目に映ったのは、ぐるりと取り囲むタイタンズファン。

 ビジターゲームだけあって、ドルフィンズの応援団はレフトスタンドの一角を占めるだけだ。


 そこへ、


「待っていたぞ! 戸高一平!」


 思わず息を飲みそうになる戸高に声をかけたのは、意外な人物だった。


「ええと、たしか、川……川……」


 そこまで言って口ごもる戸高に、その人物はイライラを前面に出して畳みかける。


「東京タイタンズ、ドラフト1位投手の川中一太だ!」


 戸高に向かって吠えた。


「ああ、そうだそうだ。たしか今日の予告先発の。」


「そうだ。今日は俺が先発だ。お前に話があってきた。」


 いつの間にか他のチームメイトはさっさと練習を始めてしまうが、戸高を呼び止めて川中は話を続ける。


「話?」


「ちょっと、戸高くん、時間ないから……。」


 希が止めるが、戸高もいぶかしげな顔をしつつも、話し相手になってしまう。


「そうだ。お前が立花楓をどう思っているか、今日は聞きにきた。」


「はぁ?!」


 希の反応をよそに、戸高はなぜそんなことを聞くのかと言いたげな不思議な顔をした後、真面目な顔で答える。


「俺にとって、特別なピッチャーだ。」


「はぁ?!?!」


 希は戸高の反応に戸惑うが、戸高と川中の間には違和感はないようだった。


「そうか、なら……」


 何かを決意したように言うと、川中は戸高に啖呵を切る。


「今日の試合、立花楓を賭けて勝負だ!!!」


「勝負? まあ、いいけど。」


「必ず抑えてやるからな! 戸高一平!」


「望むところだ。」


 戸高が答えるのを待たずに、川中は自軍のベンチに走って戻ってしまった。


「ちょ、ちょっと! 何いっちゃってんの?! 楓を賭けるって……」


「よくわかんないけど、あいつ、キャッチャーに転向するつもりなのかな? まあ、負けるつもりはないけどな。」


「え……? 戸高さん……? いま、なんて?」


「だってさっき、立花を賭けて勝負だって。」


「あのぅ……一応聞きますけど、立花を賭けてっていうのは……」


「立花とのバッテリーを組む相手は俺だって、いいたいんでしょ?」


(楓、野球サイコパスじゃなかった……「野球ザウルス」だよ……。)


 希が今日頭を抱えるのは2回目だった。


「希、どうしたの? こわい顔して。」


 ちょうどそこへ、アップを終えた楓が現れる。


「いや、さっき川中ってやつが——」


「わー! わー! なんでもない! なんでもない! はい、戸高くんはブルペンブリーフィング行きなさい! 早く! 先輩命令!」


 慌てて希は戸高をブルペンに追いやると、楓を人気のないグラウンドの隅に呼び出して告げる。


「楓、今日の相手ピッチャー、私絶対打つからね!」


「どうしたの? いきなり。」


「どうしても!」


 それぞれの思惑を抱えながら、ドルフィンズ斎藤、タイタンズ川中の先発で、CSファイナルステージ初戦の火蓋は切って落とされた。

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