第59話 可憐な秘密兵器

 12回裏、最終回の攻撃は、4番田村からの好打順だった。

 総勢7人の投手をつぎ込んで12回表を乗り切ったドルフィンズのムードはまさにイケイケだ。

 レフトスタンド以外をぐるりと囲んだスタンドが大きく揺れ、回の先頭からチャンステーマが鳴り響く。


◆試合経過(10月10日火曜日・湘南-大阪25回戦・湘南スタジアム)

大阪 010 201 020 000=6

湘南 100 202 010 00 =6

ドルフィンズの継投 斎藤、伊藤、バワード、山内、神田、須藤、立花-谷口、戸高


 CS制度が導入されてから一度も出場経験のないドルフィンズが、初出場を懸けて最終回の攻撃を始めるのだ。

 いつのまにかスタジアムの中だけではく、入りきれなかったファンたちも、スタジアム外に設置されたパブリックビューイング会場から田村コールを送っていた。


(泣いても笑っても、最後の攻撃。ここで得点しなければCSはない。)


 ベンチで肩をアイシングしながら試合の行く末を見守る楓にとっても、右打席に立つ田村の緊張感は伝わってきていた。


 ロイヤルズもこれで8人目の投手を登板させ、もう調整要員のローテ投手1人を除いて駒は使い切っている。

 マウンドには150km/h前後の速球で押す投手、篠崎。


 まさに最後の力を振り絞って雌雄を決する時がきたのだ。


「あれ? 田村さん……」


 ふと楓が気づくと、隣に座っていた内田が補足する。


「あんなにグリップを余して持ってる田村は、僕も初めて見る。」


 短くバットを持ち、まるで最後の夏を迎えた高校球児のような形相で打席に立つ田村は、必死にボールに食らいつく。絶対に塁に出てやるという気迫が溢れている。


 そしてファウルで粘った8球目、3−2からインコースのストレートをはじき返し、打球は三遊間を破った。


 無死1塁の状況で、ホワイトラン監督はすかさず代走に俊足の石村を送る。

 中盤以降、投手に打順が回るたびに代打や代走を出していたため、ベンチにいる野手では、もう出場していない者は見当たらない。


「内田さん、これでもう全員出ましたよね?」


 ベンチ入り最大人数は25人なのだが、どうも足し算が合わない気がした楓は、ふと内田に尋ねる。


「そうだよな……あれ? でも今日、人数少なくないか?」


「そういえば、そんな気もしますね……おお! 間に合え!」


 内田と会話をするさなかだったが、楓は石村の盗塁に目を奪われた。

 警戒されていながらも盗塁を成功させるのは、まさに代走職人・石村の真骨頂だった。


「まあ、いいか。チャンスチャンス! このままサヨナラだー!」


 シーズン終盤は毎日のように選手の調子に合わせて一・二軍の昇降格をする「ホワイトラン・マジック」は、相手チームだけでなく自チームの選手たちすら翻弄し、いつの間にか誰が昇格してきたかなどあまり気にしなくなっていた。

 まさに支配下選手70人の総力戦だった。


 無死2塁の大チャンスに、ベンチのテンションもさらに上がる。


 しかし続くフェルナンデスが三振し、6番ボルトンもセカンドフライに倒れる。


 ここで打順は7番・捕手の戸高に回ってくる。

 ということは、次の打順は投手の楓だ。


「え? あれ? これは……」


 戸惑う楓。慌てて横山ヘッドコーチが声をかける。


「立花! とりあえずでいいからネクスト入って!」


(とりあえず? いやいやいや……。)


 よもや、この状況で自分に打席が回ってくるとは思ってもいなかった。

 楓は慣れない手つきで投手用の共有バットとヘルメットを探し出すと、そそくさとネクストバッターズサークルへ向かった。


(ってことは、戸高くんが打ってランナーが3塁に行った場合は……いや、これはまずい!)


 状況を理解し、慌てる楓。


(戸高くん! できれば外野の深いところにヒットを打って! ホームランでもいい! この打席で決めて!)


 2死になったが依然として走者は2塁。サヨナラのチャンスには変わりない。

 スタンドのファンたちも、「タイムリータイムリー戸高」の大合唱で戸高を後押しする。


(そうだ、タイムリー! 戸高くんお願い! タイムリー!)


 戸高は2−1からの4球目をコンパクトに振り抜く。

 打球は矢のようなライナーでセンター前へ。


(うん、すごくいいバッティングだね! 打球が速い! ようするに……)


 3塁コーチャーが大げさにストップのアクションをして、ランナーを止める。

 これで2死1・3塁。


(ですよねーーーーーーーー。)


 大学野球でもほとんどヒットを打ったことがない楓に、打順が回る。


(私のデータ知ってたら、こんな采配振るわないと思うんだど……私のせいでCS消えるのとか、ありえないでしょ……。)


 と、楓が絶望したそのときだった。


「すみません! 遅くなりました!」


 ダグアウトからベンチに1人の選手が飛び込んでくる。


 浅黒く焼けた肌に、引き締まった腕。

 男子選手にしては明らかに小柄な姿態と、ショートボブの髪。

 そして、髪型や肌が変わってもなお際立つ、目鼻立ちの整った顔。


「希!!」


 思わずサークルから声を上げる楓。


「楓、久しぶり。」


 希は楓の方に向けて微笑むと、軽くVサイン。

 そしてホワイトラン監督の方に向き直る。


「よかった、間に合ったね。自分で指示しておきながら、さすがにヒヤヒヤしたよ。」


「すみません、こんなときに限ってちょっと飛行機が遅れて。」


 実は、ドルフィンズのベンチにいた選手は、24人だった。

 今日付で、昨日まで二軍でファーム日本一決定戦をしていた希を一軍登録していたのだ。


 希は試合会場の福岡から急遽飛行機で駆けつけていた。

 空港からタクシーを飛ばして1時間30分。ようやくこのタイミングで湘南スタジアムにたどり着いたのだった。


 おそるおそるホワイトラン監督に尋ねる楓。


「とりあえずネクスト入っててっていうのは……」


「君、大学でもヒットほとんど打ってなかったでしょ。さすがに打席には立たさないよ。」


「ですよねー……。」


 2人のやりとりをよそに、慣れた手つきでヘルメットとバットを用意すると、希は小走りに打席に向かう。

 後を追うようにして、ホワイトラン監督もベンチを出て審判に交代を告げる。


《8番、立花に代わりまして、バッター……江川。バッターは、江川。背番号77。》


「江川? 誰だ?」

「江川、江川……ああ、『希』だあれ!」


 慣れ親しまれた下の名前での登録名であれば、彼女が女子選手・江川希であることをドルフィンズファンで知らぬ者はいなかった。


 女子選手に替えて、女子選手を代打に出すという、プロ野球界初の采配。

 これまでの希しか知らないドルフィンズファンたちは、一斉にどよめく。


 そのどよめきが決してポジティブなものではないことは、希自身も分かっていた。

 希はうつむいて少し唇をかむと、バットをぐっと強く握り直して打席へ向かう。


 右打席に立つと、3回体の前でバットをくるくると回して、ゆっくりとバットを肩の高さに立てて構える。

 今までとまったく違うルーティンに、ドルフィンズの選手たちも違和感を覚えていた。


「あれ、希ちゃんって、あんなフォームだっけ?」

「いや、あれは……」


 何人かのベテラン選手が気づいたのと同時に、谷口が答えを発する。


「藤堂さん……。」


 藤堂剣剛。

 二軍監督を務める代田とともに、かつてクリーンナップを打ったドルフィンズの花形選手の名だ。


 希のフォームは、藤堂に瓜二つだった。


 篠崎は初球から自慢のストレートで押してきた。

 体格差のある希に対して、パワー勝負を挑むのは定石中の定石だ。


「ストライク!」


 希のバットが空を切り、カウントは0−1。


 しかし——


「なんだあれ……。」

「あれが……『希』?」


スタジアムのファンたちも息を飲む、異様な雰囲気に包まれた。


 希のスイングスピードが、明らかに女子選手のものではなかったのだ。


 コンパクトに振り抜かれたバットは、たとえ150km/hの速球であっても、もしかするとという期待を抱かせた。

 一気にドルフィンズファンの声援とチャンステーマの音が大きくなる。


 希は素知らぬ顔をして、再びバットを立ててゆらゆらと揺らす。

 その立ち姿は、スラッガーのような威圧感すら放っていた。


 セットポジションから、篠崎が第2球を投じる。


 さすがに先ほどのスイングに警戒したのか、外角に外れる変化球だ。

 これを希は悠々と見逃して、カウントは1−1。


 第3球は落ちるボールだったが、これも希は少し肩を動かして見送る。

 カウントは2−1。


 第4球、今度は再びストレートだったが、希のバットはボールをかすめただけだった。

 真後ろにボールが飛んで、バックネットに当たる。

 カウントはこれで2−2。


 希は一度打席を外すと、大きく息を吐いてバットを振る。

 バッターボックスの土を足でならして、体の前で再び3回バットを回す。


「すげえな……どこまでも藤堂さんじゃねえか。」


 谷口も感心するほどのようだった。


「何がですか?」


 希が打席を外したことで自分も緊張感が解け、楓もふと尋ねる。


「藤堂さんも、サヨナラのチャンスで2ストライクになると1回打席を外すんだよ。そんで同じルーティンをやって、次の球は——」


 谷口がそこまで言うと、篠崎が渾身のストレートを投じる。


「きまって打つんだ。」


 そう言うのと、バットがボールに当たる乾いた音がするのと同時だった。


 打球は左中間の深いところにライナーで落ち、転々と転がる。

 それをみて、ゆっくりと3塁ランナーの石村がホームへ向けて走り出す。


 そして、


「よっしゃあああああああああああああああああああああああ!!!」

「勝ったーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」

「サヨナラだああああああああああああああああああああああ!!!」


ドルフィンズの選手、首脳陣の全員が、グラウンドへ向けてベンチから駆け出す。


 この瞬間、ドルフィンズ初のCS進出が決まったのだった。


◆試合結果(10月10日火曜日・湘南-大阪25回戦・湘南スタジアム)

大阪 010 201 020 000 =6

湘南 100 202 010 001X=7

ドルフィンズの継投 斎藤、伊藤、バワード、山内、神田、須藤、立花-谷口、戸高


 希が1塁キャンバスを回ったところで、全員が希のところへ集まっていく。


 本来ならこのままサヨナラの立役者がもみくちゃにされるのだが、間近に近寄ったところで全員戸惑って、立ち止まる。真っ先に駆けだした谷口がおもむろに両手を差し出した。


「えっと……なんですか? それ。」


「ほら、なんていうか。コンプライアンス?」


「あー、セクハラ防止、的な?」


「まあ……」


「ここまできて、なにいってんすか!」


 いきなり谷口にヘッドロックをする希。


「いってててて! やめろって!」


「いつもサヨナラのときやってたじゃないですか、谷口さん!」


「何すんだよ! 先輩だぞ!」


「知りません! 食らえ、無礼講ロック!」


 希のヘッドロックを皮切りに、全員がそこへ覆い被さり、結果的に手洗い祝福が男女分け立てなく完成した。


 ほとぼりが冷めた頃、そばで笑ってみていた楓のところへ希が歩み寄る。


「おかえり。」


 楓が声をかける。


「うん、ただいま。」


 希が笑顔で答えると、一言付け加える。


「遅くなったけど、果たせたよ——約束。」


「うん——さすがに、このタイミングとは思わなかったけどね。」


「私も。」


 そう言って笑い合う2人。


 楓と希が初めて対戦したドルフィンズの練習場で、2人がこうして笑い合う日が来ることを、誰が予想し得ただろうか。

 改めて、いつもより高い位置で2人はハイタッチをした。


 その様子を祝福するかのように、一斉にフラッシュとシャッター音が向けられる。


「じゃあ、今日のヒロインは、立花さんと江川さんで!」


 そこへ記者から声がかかる。


 お立ち台には、女子選手が2人。

 ヒーローインタビューを女子選手がする光景が当たり前になった今のプロ野球界では、異様な光景だ。


「放送席、放送席。今日の『ヒロイン』・インタビューは、このお2人に来ていただきました! 立花楓選手と、江川希選手です!」


◆◇◆◇◆


 翌日、スポーツ紙だけでなく、一般紙にも「ドルフィンズCS進出」は大々的に取り上げられた。


 史上最弱球団の大躍進。しかもその立役者は2人の女子選手。

 大きな話題性のあるツーショットが駅のキオスクにずらりと並ぶ。

 このときばかりは、さすがの東洋スポーツも普通の記事を書いていたようだった。


 とはいえ、これにドルフィンズの選手たちは満足してはいない。


 彼らの目標はあくまで「日本一」だ。


◆ナショナルリーグ最終順位表

 ※括弧内は首位とのゲーム差

1 東京タイタンズ   88勝51敗4分    

2 広島カブス     77勝61敗5分(10.5)

3 湘南ドルフィンズ  72勝66敗6分(15.5)

4 大阪ロイヤルズ   72勝68敗4分(16.5)

5 中京ドジャース   58勝79敗6分(29.0)

6 東京城南フェニックス45勝96敗2分(44.0)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る