第56話 シーソー・ゲーム

 開幕戦でスタンドに運ばれた初球のスライダー。

 それで空振りを取った今日の斎藤には、心に潜む弱気の虫も鳴りを潜めていた。


 初回は難なく切り抜けた斎藤だったが、2回裏にタイムリーヒットを打たれロイヤルズに先制点を奪われる。

 いつもの斎藤なら、こんな大事な試合で先制されれば、そのまま大崩れして大量失点しているところだ。


 だが、


「ドンマイです! すぐ取り返すから安心してください!」

「まだまだ! ここで切っていこう!」


内田や谷口らからかけられる声、そしてエースを信じるスタンドのファンの声援。それらのすべてが斎藤の心に届いていた。


 この回を1失点で乗り切ると、今度は7番谷口の同点タイムリーですかさず追いつくドルフィンズ。

 その後も点を取っては取られの展開を見せ、試合は両チームの今シーズンを象徴するかのようなシーソーゲームとなる。


◆試合経過(10月10日火曜日・湘南-大阪25回戦・湘南スタジアム)

大阪 010 20=3

湘南 010 20=3


 こうなってくると、先発投手をリリーフに回すこともあり得る展開だったが、両チームの監督の目には違う光景が映っていた。

 すでに中3日空けて行われるCSを勝ち抜くことを見据えていたのだ。

 その結果、両監督は先発投手のボールに陰りが見え始めると、リリーフ陣の総動員体制に入る。


「はいよ。そういうことね。わかった。」


 そういってブルペンの内線電話を切ると、河本投手コーチがリリーフ陣に告げる。


「抑えの山内以外、全員、順番で肩作っとけ!」


 皆、開幕戦で同じセリフを聞いていた。

 だが、これは3月のように「試合を壊さないため」ではない。「勝つため」に発された言葉だ。


「あいあい、わかりましたー。」


 開幕戦のときとまったく同じトーンで伊藤が答え、真っ先にブルペン内のマウンドに向かう。


(これ、この人のキャラだったんだよなあ……。)


 楓の目に、当時はただのやる気がない人と映っていた伊藤の受け答えも、今は違う。


 これが伊藤なりの平常心の保ち方なのだ。

 プロには十人十色の自己管理方法がある。この世界で生き残るため、それぞれ必死で見つけ出した生存戦略のひとつ。


「よし! 私そのとなりー!」


 負けじと楓もその隣のマウンドに向かおうとするが、


「立花、お前はちょっと待て。」


河本コーチに止められる。


「えー。せっかくやる気になったのにー。」

「お前はいつもやる気満々だからいいんだよ。それより、もっと後の大事な場面にピークを合わせろ。」


 そういうと、少し深く呼吸を挟んで、


「俺も、後悔しないようにやりたいんだ。頼む。」


と楓にいう。河本コーチもまた、この試合の押しつぶされそうなプレッシャーに耐えながら、必死に戦っているのだった。


 楓はブルペンのマウンドを神田に譲ると、神田、バワードが肩を温めていく。

 勝ちパターンの投手も同点だろうと惜しげなくつぎ込む。その覚悟が首脳陣にも表れていた。


 6回表で斎藤がさらに1失点を喫し、4対5とリードを許したところで、再びブルペンの電話が鳴った。


◆試合経過(10月10日火曜日・湘南-大阪25回戦・湘南スタジアム)

大阪 010 201=4

湘南 010 20 =3


「伊藤!」

「あいよー。」


 声がかかるとすでに伊藤はブルペン脇に駐車されていた、無人のリリーフカーに乗り込んでいた。


「はええよ!」


 思わず河本コーチが突っ込むのと同時に、ぬぐえぬ緊張が張り詰めていたブルペンに笑いが起こる。


「この裏の攻撃が終わったら、次の回からいくからな。頼むぞ。」


 先ほどよりもやや力の抜けた声でいう河本コーチだけでなく、伊藤の行動でリリーフ陣も少し肩の力が抜けたようだ。

 楓もその1人だ。


(ひとりひとり、まったく違う個性の選手が集まって、こんなバランスのいいチームになった。ドルフィンズって、改めていいチームなのかもしれない。)


 そのとき、ブルペンの頭上にあるライトスタンドから大歓声が沸いた。


 モニターには、金村、高橋の超攻撃的1・2番コンビが作ったチャンスを3番新川が広げ、2死1・3塁とチャンスの場面が映し出されていた。

 4番の田村が打席に入る。


 いつの間にか、「1塁が埋まった状態で田村に回す」というのがドルフィンズの得点パターンになっていた。

 太田がFAで抜けた後、なかなか勝負してもらいにくい田村に自由なバッティングをさせるため、チーム全体でチャンスを演出しようとしてきたのだ。


 チームメイトたちの期待をしっかりと受け取った田村は、右中間に逆転の一打となる2点タイムリー2塁打を放った。


◆試合経過(10月10日火曜日・湘南-大阪25回戦・湘南スタジアム)

大阪 010 201=4

湘南 010 202=5


 頭上のスタンドはさらに大きく盛り上がり、ドルフィンズのチャンステーマとともに床を踏み鳴らす音が響く。


「この球場、こんなにスタンド揺れるんすね。」


 ミシミシと軋む天井を見上げながら、クローザーの山内がぽつりとつぶやく。


「球場自体も応援され慣れてないからな。今日勝ったら、この天井抜けるんじゃねえの?」


 それに合わせて、須藤も軽口を叩いた。

 この男もドルフィンズ一筋。FA権を取得しても、(手を上げる球団がなさそうとの懸念はさておき)ドルフィンズで投げ続けてきた。

 今日はまさかの事態に備えてベンチ入りしていたローテ投手の須藤にとっても、この状況は心躍るものなのだろう。


 そして満を持して、伊藤は7回表のマウンドへ。


「っしゃあ! やっぱり全力投球って気持ちいいわ!」


 普段回跨ぎやロングリリーフの多い伊藤は、「この回だけ」と言われて久しぶりにした全力投球で、3人をピシャリと抑える。

 しかし、ドルフィンズはその裏の攻撃も3人で終えてしまう。


◆試合経過(10月10日火曜日・湘南-大阪25回戦・湘南スタジアム)

大阪 010 201 0=4

湘南 100 202 0=5

ドルフィンズの継投 斎藤、伊藤-谷口


「よし、次バワード! 頼むぞ!」


 8回表はセットアッパー、バワードがマウンドに上がる。

 いつも通りの勝ちパターン継投だ。


 しかし、ロイヤルズはこれまで3年間でバワード対策は十分にしてきていた。

 無死2塁からロイヤルズの4番福本に、痛恨の逆転2ランを浴びてしまう。


「Shit!」


 バワーズがマウンドにグラブを叩きつける様子がブルペンのモニターに映っていた。


◆試合経過(10月10日火曜日・湘南-大阪25回戦・湘南スタジアム)

大阪 010 201 02=6

湘南 100 202 0 =5

ドルフィンズの継投 斎藤、伊藤、バワード-谷口


「山内! 準備できてるか?!」


 8回表、無死ランナーなし、1点ビハインドの状況で、今度はなんとクローザーの山内に声がかかる。


「はい! 今日は日付変わるまで投げますよ!」


「その展開は勘弁してくれ……。」


 逆転され、チームの大ピンチにもかかわらず、ブルペンにいる選手たちの脳内はアドレナリンで満たされていた。

 再び起きた笑いに背中を押されて、クローザーの山内が8回表からマウンドに上がる。


 グラウンドで守る選手たちや、ベンチにいる選手たちの脳内も同じような状況だったのだろう。

 内野陣はいつもよりも強いハイタッチで、マウンドに上がる山内を迎える。


 そして山内は続く3人の打者をバッサリと切り捨て、最少点差の1点で8回裏の攻撃へ。

 いつもはピンチを乗り切るとマウンドでガッツポーズをとる山内だが、今日はうつむいたまま無言でマウンドを降りる。


 ホワイトラン監督から、「同点か逆転なら回跨ぎで」という指示が出ていたのだ。

 集中力を切らすわけにはいかなかった。


 その裏、今度はここまで3三振を喫していた7番谷口が同点ソロを放つ。


◆試合経過(10月10日火曜日・湘南-大阪25回戦・湘南スタジアム)

大阪 010 201 02=6

湘南 100 202 01=6

ドルフィンズの継投 斎藤、伊藤、バワード、山内-谷口


 9回裏のマウンドにも上がる山内を、ライトスタンドの大歓声が迎える。


 負ければ今シーズンは終わり。

 明日以降の試合はない。


 両チームの投手、野手、そしてファンの声援……お互いにすべてを懸けた総力戦がまさに展開されているのだ。


 山内は2本の安打を許して2死1・2塁のピンチを招きつつも9回表も抑えるが、負けじとロイヤルズも同点でクローザーを投入してきた。

 これに対してドルフィンズもスコアリング・ポジションにランナーを進めるが、得点には至らない。


 まさに意地の張り合いを続けたまま、両チームは6対6で延長戦に入った。


◆試合経過(10月10日火曜日・湘南-大阪25回戦・湘南スタジアム)

大阪 010 201 020=6

湘南 100 202 010=6

ドルフィンズの継投 斎藤、伊藤、バワード、山内-谷口


「はい、はい。わかりました。」


 河本コーチが電話口で答える。


「俺っすね!」


 河本コーチから呼ばれる前に、神田は視線を感じてリリーフカーへ向かう。

 山内を使った後は、もう1枚のセットアッパー、神田に声がかかる。

 ここまでの総力戦であれば、誰もが予想した展開だ。


「おう、頼む。」


 河本コーチは落ち着いた口調で神田を送り出す。

 すでにセットアッパーとしての実績を挙げつつあった神田を、もう十分信頼していた。

 その根拠は、実績だけではなく、神田自身が新たにスリークオーター投法を見つけるに至った精神的な成長にもあった。


「それから、あと立花――」


 今度は急に楓の方に向き直る。

 このリリーフ総動員体制に、ドルフィンズのブルペンは大忙しだった。


「今日なんだけどな……申し訳ないんだけど……」


 河本コーチがバツの悪そうな顔で言いかけるのを見ると、楓はそれを遮って口を開いた。


「『どこで行くかわかんないから、いい感じに肩作っといて』でしょ? わかってますよ!」


「すまん! 頼む!」


 言葉を聞くまでもなかった。


「わかってますよ。それが、私の役割です。ワンポイントって、そういうものですから!」


 楓は力強く河本コーチに言い放つ。


「どこで立花が行くかわからんが、それがきっと正念場だ。しっかりな。」


 河本コーチも楓を信頼しているのがわかった。

 その様子が見て取れるのがうれしくて、試合中にもかからず楓はつい感傷に浸ってしまう。


 入ったときはバラバラに見えたこのチームのピッチング・スタッフ。

 もうみんな、まるで家族みたいだ。

 伊藤さんはああみえて、本当に強い気持ちでマウンドに上がってる。

 最初苦手だった大久保さんも、実はすごい信念の強い人だった。

 神田さんの復活劇は、自分のことみたいに嬉しかった。

 山内さんのガッツポーズは、張り詰めた気持ちの反動だって知った。

 だから……


「来るかもしれないそのピンチ、私に任せてください!」


 そう力強く答えた。


 一方試合は、同点のまま迎えた延長10回表を神田で難なく抑えると、膠着状態に入る。

 ドルフィンズもチャンスを作れないまま、10回裏の攻撃を終えた。


 こうなると再び意地の張り合いが始まる。

 両チームは総力戦の構えを崩さず、神田は回跨ぎで11回表も無失点に抑えた。

 しかし結局その裏もチャンスらしいチャンスは作れない。


 試合はついに最終の12回に突入する。


◆試合経過(10月10日火曜日・湘南-大阪25回戦・湘南スタジアム)

大阪 010 201 020 00=6

湘南 100 202 010 00=6

ドルフィンズの継投 斎藤、伊藤、バワード、山内、神田-谷口


 12回表のマウンドに上がったのは、短期決戦では先発で起用しないと監督が告げていたローテ投手の須藤だった。

 この総力戦で苦しくなった台所事情から、どうしてもベテラン須藤の力を借りざるを得なかったのだ。


 しかし、これまで当たりまくっていたホワイトラン采配がついに裏目に出る。

 須藤がレフト前安打と四球で無死1・2塁のピンチを作ってしまい、クリーンナップを迎えたのだ。

 迎える打者は、3番レフト細井。


 もう残っている投手は、メンバー調整で入っている先発の大久保を除くと、楓しかいない。

 そして迎える打者は、左、左、右の順だ。

 そして回は最終イニング。

 誰もが楓のワンポイントと、続く2人への大久保のリリーフを予想していた。


 今日何度目かわからぬブルペンの電話が、またけたたましくなる。


「はい、ブルペン!」


 人気のなくなったブルペンに、河本コーチの声がこだました。

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