第53話 強者の風格
「すっごー! さすがプロ野球選手!」
東京都大田区の高級住宅街にある神田の家を訪れた楓は、感嘆の声を上げる。
「なーにいってんだ。お前もプロ野球選手だろうが。」
出迎えた神田がすかさずツッコミを入れる。
「だってこの庭ですよ。もう1軒家建てられるじゃないですか!」
「子供とキャッチボールするのが夢でさ。それに……」
神田がそういったところで、門を1台の車がくぐってくる。日本の道には明らかにそぐわないアメリカの高級車ハマーだ。
車を見つけると、神田の長男と長女がすかさずはしゃぎながら駆け寄っていく。聞けば6歳と4歳、遊びたい盛りのようだ。
「Hey! Tachibana-san! ハヤイネ。」
神田の子供を力こぶを作った両腕にぶら下げて歩いてきたのは、フェルナンデスだ。その隣には日本人の妻と、目鼻立ちのハッキリしたヒスパニック系の顔立ちの子供。10歳くらいだろうか。
そばかすがかわいらしいその少女は、恥ずかしそうに母親の陰に隠れている。
「こんにちは! 今日はよろしくね!」
楓は母親の陰に隠れた子供に話しかける。
4人兄妹の末っ子で、近所の子供たちとも野球を通して仲良くしてきた楓は、子供と打ち解けるのも得意だ。
はじめはよそよそしかった子供たちともすぐに打ち解け、神田家の大きな庭で子供3人と楓の野球教室が始まっていた。
「で、ホセ。このチームに足りないのは、結局何なんだろうな。勝ち星だってついてきてるのに。」
「Well……ズバリ、mental。コレネ。」
子供たちと約1名の大人に肉を焼き続けるパパ家業に精を出しながら、2人は傭兵として与するチームの課題を話し合う。
「長年の最下位ってのは、こんなにも人の心をむしばむものかね。勝ちたいって、普通は思うんじゃねーのかな。」
まったく理解できないという表情で、神田はトングで肉をつかみ、フェルナンデスが持つ皿に乗せながら言う。
「ホセさ、昔独立リーグにいたとき、弱小チームが途端に優勝した経験あるっていってたよな? そんときは?」
「Mmm……charisma、ヒツヨウ、カモ。」
「カリスマ?」
「Overwhelming leaderダネ。ヒトヲヒキツケル、アットウテキ、ソンザイ。」
そこから、フェルナンデスは20代のとき所属していた独立リーグで、万年最下位の弱小球団のが成し遂げた奇跡の優勝劇の話をした。
ある日、弱小球団にロートル化した元メジャーリーガーが流れ着いた。
周りは彼の余生などに興味はなく、ロッカーでハンバーガーをほおばりながら昨日
しかし、その元メジャーリーガーは、黙々と懸命なプレーを続けた。
毎日誰よりも早く練習場に現れ、誰よりも遅く残る。
きわどいボールには老いとケガを抱えた体に鞭打って飛び込む。
心配する声にも、「俺は野球が好きだから」と答え、また黙々と野球に打ち込む。
そしていつしか他の選手たちはそれに感化され、「野球が好きでプロになった」という気持ちを思い出す。
最後には、チーム全体の精神が、「戦う集団」のそれに変わっていた。
「なるほどなあ……ただ、俺たちがそれをやっても響くかね。現にホセがクリーンナップでバリバリやってても響いてないじゃんさ。」
「NoNo. マーダマーダネ。センリノミチモ、イッポカラ。」
「継続が大事ってか。しっかし、お前よくそんな言葉知ってんな。」
「Sophiaト、イッショニ、ベンキョウ、ベンキョウ。」
フェルナンデスは真っ白な歯を見せてにっと笑って、遊ぶ子供たちの方を見る。
ソフィアというのは、フェルナンデスの一人娘の名前だ。
おとなしい性格で運動も苦手なソフィアは、日本の学校になかなかなじめなかったが、妻の慶子のおかげで徐々に自分を出せるようになってきたという。
「ソフィアちゃん、いけー!」
子供たちの方から、楓の声が聞こえた。
ソフィアは楓の投げたゴムボールをプラスチックのバットで打って、1塁ベース代わりに置かれたクッションに向けて懸命に走っている。
神田の息子がとったボールを、娘に向かって投げる。タイミングはきわどい。
次の瞬間、ソフィアが思い切りヘッドスライディングをした。
「セーーーーフ!! すごいね! やった、初ヒットだ!」
ソフィアのもとに2人の子供と楓が駆け寄って、はしゃいでいる。
「Hey! Good try!」
フェルナンデスからかけられた言葉に、ソフィアも誇らしげに親指を立てて見せる。
その様子を見た神田とフェルナンデスは、思わず顔を見合わせた。
「これだーーーー!!!」
「There was an answer!!!」
思わずまた固い握手を交わす2人。
「なんですか? いきなり。」
怪訝な顔をして2人を見る楓。
「立花、ありがとな。ちょっと光が見えてきた。」
「は、はあ……」
「お前におごった肉の分、だいぶ元とらせてもらったわ。今日はまだまだ好きなだけ食べていいぞ!」
「よくわかんないけど、ありがとうございます!」
◆◇◆◇◆
8月15日火曜日。
この日から再び後楽園ドームでのタイタンズ3連戦が行われる。
あのバーベキューの日から2人に変わった様子はない。
しいて言えば、ロッカールームの雰囲気が悪くなると、たまにケータリングの食事を楓のためにとり置いてくれるようになったくらいだ。
必ず横に添えられた、「立花さんのエサ・くうな」との書置きは余計だが。
前回タイタンズに3連敗してから、チームはずるずると負けが込んでいき、気が付けば3位ロイヤルズとは2.5ゲーム差まで離されていた。
例年のドルフィンズなら、ここからのタイタンズ戦でさらに調子を崩し、再浮上することなく後退していくところだ。
加えて、タイタンズの先発投手は絶対的エース・大貫。
ドルフィンズの先発もエースである斎藤武だったが、6回終わって0対2とリードされている。
一方、ドルフィンズ打線は散発3安打に抑え込まれ、逆転の目はなかなか見えない。
◆試合経過(東京-湘南19回戦・後楽園ドーム)
湘南 000 000 0=0
東京 100 010 0=2
両先発が展開する投手戦の中、ドルフィンズは8回表に2死から3番新川が四球、4番田村がレフト前ヒットを打ち、2死1・2塁のチャンスを迎える。
バッターは5番フェルナンデス。
フェルナンデスは大貫に対してとにかく相性が悪かった。
元はチームメイトだが、大貫の癖を見抜く以上に、フェルナンデスの苦手コースを押さえられてしまっている。
この打席も早々に追い込まれてしまい、カウントは1-2。
バッテリーとしては、右打席に立つフェルナンデスの苦手な外に逃げるスライダーで一丁上がりといったところだろう。
予想通り、大貫はアウトローギリギリに入るスライダーを投じる。
このコースに、大貫のキレでスライダーを投げられると、フェルナンデスはわかっていても打てない。手の内は完全に知られてしまっていた。
なんとかフェルナンデスもバットをを出すが、打球はボテボテのセカンドゴロ。
飛んだコースはやや良かったが、2塁手が一塁側に大きく回り込んで捕球すると、1塁へ送球態勢に入る。
普通の選手なら内野安打になったかもしれないが、鈍足のフェルナンデスならアウトになるだろう。早くもレフトスタンドからはため息がこぼれる。
しかし、直後に球場全体からざわめきが起こった。
「ウオオオオオオオオオオオ!!」
怒り狂った牡牛のように叫びながら、猛然と1塁キャンバスへダッシュするフェルナンデスの姿がそこにあった。
その姿に1塁手だけでなく、2塁手も圧倒されて一瞬送球が遅れる。
次の瞬間、フェルナンデスは1塁へ向けてヘッドスライディングした。
「セーフ! セーフ!」
審判のコールを、レフトスタンドの大歓声がかき消す。
1塁のクロスプレーは、ヘッドスライディングするよりもそのまま駆け抜けるほうが早いと言われている。
しかし、フェルナンデスの気迫が2塁手の送球を遅らせ、1塁手がグラブを目いっぱい伸ばすのを一瞬とどまらせたのだ。
「よっしゃあああああ!」
「これでツーアウト満塁だ!」
ドルフィンズベンチの雰囲気は、一瞬で変わった。
俺たちはまだ戦える、それを外様の2人が証明して見せた。
こうなると若手中心のドルフィンズの勢いは止まらず、この回さらに3連打を重ねて、一気に3対2と逆転に成功した。
◆試合経過(東京-湘南19回戦・後楽園ドーム)
湘南 000 000 03=3
東京 100 010 0 =2
しかし、相手は現在首位独走中の球界の盟主。簡単に星を取らせてくれる相手ではない。
得点直後の守りは危険が多いというが、そのジンクス通りだった。
今度はセットアッパーのバワーズが捕まり、無死満塁の大ピンチを迎える。
相手はタイタンズ、リードは1点、そして無死満塁。バッターは好調で今日4番に抜擢された太田。
しかもここからは右打者が続くため、楓のワンポイント起用もリスクが大きい。
考えられる策は、クローザー山内の回跨ぎくらい。
状況は絶望的だった。
と、ベンチの電話が鳴る。
電話の主は神田だ。
「わりーけど、監督出してくれ!」
そう告げると、電話を代わった監督に、
「監督、タイタンズ打線を誰より知ってる俺ならここを押さえられる。頼む、俺を出してくれ!」
と登板を直訴する。
「まだ投球練習の指示はしていないはずだが?」
冷静に答えるホワイトラン監督。
「それは……すまねえ。ルール違反なのはわかってたけど……肩はできてる。」
ブルペンで投球練習をしていたということは、河本投手コーチの目にも入っているはずだ。
それらの状況をすべて察したホワイトラン監督は、
「打たれたら、分かってるな。」
とだけ告げて電話を切った。場内アナウンスが響く。
《ドルフィンズ、ピッチャーの交代をお知らせいたします。ピッチャー、バワーズに代わりまして、神田。背番号、28。》
◆◇◆◇◆
ちょうどブルペンで山内の球を受けていた戸高にも、そのアナウンスは届いていた。
鬼気迫る様子で投球練習を志願する神田に戸高も圧倒されて、練習相手を引き受けていたのだ。
「神田さん、たのんます!」
「おう!」
戸高の声に、気合の入った声で応える神田。
さらにアナウンスが入る。
《キャッチャー、谷口に代わりまして、戸高。背番号27。》
「「は?!?!?!」」
隣にいた楓と思わず顔を見合わせる戸高。
ブルペンにいた河本コーチも慌ててベンチに確認の電話をかける。
「戸高! 監督直々のご指名だ! 行ってこい!」
◆◇◆◇◆
グラウンドへ出ると、珍しくホワイトラン監督が直々にマウンドに来ていた。
「神田がなぜ登板を志願したか、君が一番分かってるんだろ? だったら君に任せるほかないからね。」
「はい、やってみます。」
心の準備ができていないが、戸高にとっても貴重な出場機会だ。気合も入っていた。
「ちなみに、打たれたら君も連帯責任だから。そこんとこよろしく。」
「は?!」
今日二度目の不意打ちに、思わず大きな声が出る戸高。
円陣の中で内野陣が笑うが、神田だけは右手を縦にして顔の前に出し、「ごめん」のポーズをしている。
だが、無死満塁のこのピンチ、自分のリードで抑えれば、戸高としても株を大きく上げるチャンスだ。
「連帯責任ですからね。打たれたら承知しないですよ。」
戸高はそういって力強くグラブを神田と合わせると、自身の守備位置についた。
「見とけよ――なりふりなんて構わない。それが『強者の戦い方』だ。」
神田は顔を覆ったグラブ越しにそうつぶやくと、戸高のサインを覗き込んだ。
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