第4章 夢の続き

第47話 栄枯盛衰

 希の特訓から時は再び少しさかのぼって、6月下旬。

 要所で楓を登板させるワンポイント作戦も功を奏し、ドルフィンズは交流戦を9勝9敗のイーブンでなんとか乗り切った。

 その後、順位も何とか4位まで戻し、これから再びAクラスを伺おうというチームの士気は上がっていた。


 ナショナルリーグの覇権争いはというと、東京タイタンズが5月中に広島カブスに追いついたかと思うと、交流戦中にさらなる快進撃を見せ、カブスを抜き去って首位を独走していた。

 交流戦も12球団中タイタンズは1位で、まさに王者の風格を見せつけた形になった。


◆ナショナルリーグ順位表(交流戦・6月時点・6月22日)

 東京タイタンズ 45勝26敗1分

 広島カブス 37勝33敗(首位ゲーム差7.5)

 大阪ロイヤルズ 35勝35敗2分(首位ゲーム差9.5)

 湘南ドルフィンズ 33勝38敗3分(首位ゲーム差12.0)

 中京ドジャース 31勝40敗(首位ゲーム差14.0)

 東京城南フェニックス 28勝42敗1分(首位ゲーム差16.5)

 

 ドルフィンズはロイヤルズに2.5ゲーム差と迫り、熾烈な3位争いを展開する。


 6月30日金曜日、この日も先発大久保の完投でフェニックスに勝利したドルフィンズは、まさに乗り乗っていた。


「今年は、いけるかもしれんな、なあ大久保。」

「『今年は』って谷口さん、俺は今年からドルフィンズに入ったんや。おおかた俺のおかげとちゃいますかー。」

「まーたそうやって調子に乗る。ほら、田村もなんか言ってやれ!」

「そーすね……大久保さん、ナイピでした。」

「なんだそりゃ。今日2本ホームラン打った奴のコメントかよ!」


 バッテリーの大久保、谷口と、決勝本塁打を打った田村の談笑がロッカールームに響く。

 これで6月は4月以来の勝ち越しを決め、チームの士気も上がり始めていた。


 しかし、そのチームの雰囲気に、1人だけついていけない男がいた。

 181センチと決して低くはない背丈と、筋肉質に絞られた体幹も、心なしか小さく見える。きりりとしてはいないが歳のわりに若く見える童顔と、関西弁交じりで人懐っこく接する金村に、チームメンバーは信頼を寄せていた。

 だが、勝ち試合のあとにできるロッカールームの輪には、入っていけなかった。


 彼の名は、金村虎之介、32歳、背番号51。

 昨シーズンの成績も打率.288、本塁打10本と期待の割りには振るわなかった。今シーズンも今日の4打数0安打を含めると、ここまで打率.272、本塁打5本。

 相変わらず精彩を欠いていた。


 開幕戦で2番で起用された際は、2打席連続の本塁打を放って存在感を示したものの、その後6番で起用されるようになってからは、長打を狙うあまり自分のバッティングができなくなっていた。

 これは、今に始まったことではなかった。


「また、いつものやつか……」


 ロッカールームから離れたダグアウトの端で、うつむきながら金村はひとりつぶやく。


 金村は、子供のころから大阪育ちで生粋のロイヤルズファンだった。だが、大学4年のとき、ロイヤルズから指名されず、5位でドルフィンズに「拾ってもらう」形でプロ野球選手になった。


 それからは、もちまえの明るさと反骨心で、指名しなかったロイヤルズ見返そうと野球に打ち込んできた。そして、早熟だった金村は26歳だった3年目に才能を開花させ、.349という驚異的な打率で首位打者を獲得し、1番打者としてレギュラーに定着した。

 まだ3年目のときは22歳でくすぶっていた同期のドラフト1位谷口も、先に結果を出した金村に励まされ、また刺激しあいながら成長していった。


 しかし、弱小を極めているドルフィンズの中では、金村ほどの打撃力を誇っていれば、クリンナップやそのあとの6番を任され、ランナーを返すことが期待される。結果的に、力が入りすぎてしまい、成績を落とし、3年目の打率がキャリアハイになってしまっている。


「谷口、楽しそうやな……まあ、チームがこんだけ好調なら、それもそうか。」


 加えて、32歳を迎えた10年目の金村は、自らの肉体の衰えも感じ始めていた。

 動体視力の衰えと、パワーの減退。一度レギュラーを取ると長い捕手の谷口と異なり、外野手一筋の金村にとって、身体能力の衰えは死活問題だった。


 思わず、弱気の虫が顔を出す。


「早すぎる気もするけど、そろそろ、潮時なんかな……」


「何が、潮時なんですか?」


「えっ?!」


 頭上からかけられた予想外の声に、思わずびくっと体を動かして見上げると、楓が金村の顔を覗き込んでいた。


「い、いやー、そろそろ俺も自分の車で通勤するの、潮時かなー思ってな……ハハハ。」


 ごまかすための乾いた笑いのわざとらしさは、誰が見ても明らかなものだった。

 慌ててさらに言葉を重ねる。


「ほらほら、楓ちゃんもみんなの輪に入っていったらええよ。まだローストビーフ、残ってるみたいやで。」


 試合前に用意された今日のケータリングは、人気メニューのローストビーフだった。いつも食べきれないほど用意されるので、まだ少し残っている。

 楓はワンポイント登板に向けて体の状態を維持しようと、試合前これを口にしなかったことを金村は知っていた。


「ふーん。まあ、いいですけど……金村さんは?」

「俺は、ええわ。年寄りにはこの時間に肉はこたえんねん。」

「え、そんなに金村さんってオジサンでしたっけ? たしか谷口さんと――」


 年頃の女の子にオジサン呼ばわりはさすがにこたえる。

 だが、金村はそんなことよりも、早くひとりになりたかった。


「ええから、ええから。はよいってき。さっき谷口が全部食おうとしてたで。」

「うそ! それは困る! みんなの着替え終わるの待っててあげたのに!」


 楓は一目散に男子選手が着替えを終えたロッカールームの方へ駆けていった。


 向こうの方から、楓の「ちょっと待ったーーーー!」という大声とともに、同僚たちの笑い声が聞こえる。

 それを背中に、金村はスタジアムを後にするのだった。


◆◇◆◇◆


 翌日は土曜日。今日から2日間デーゲームで、フェニックス戦が2つ残っている。


(また体力が削られんなあ。この時期のデーゲーム、暑いからバテんねんて。)


 憂鬱な心持ちでスタジアムへ向かうと、試合前のミーティングに見知らぬ顔がいた。

 ホワイトラン監督が、選手たちの前に立つ。


「今日から一軍に合流するメンバーを紹介する。高橋紘一だ。コーイチ、自己紹介を。」


 相変わらず日本人らしい流暢な日本語で紹介したのは、ルーキーのドラフト5位、高橋紘一だった。

 19歳の若者らしい艶のある肌と、ぱっちりとした印象的な二重まぶたは変わらずだ。


「今日から一軍に上がりました、高橋紘一です! キャッチャーとショート以外、内外野全部できるようになりました! どんな場面でも頑張ります! よろしくおねがいします!!!」


 高校生のようなバカでかい声であいさつする。前の方の席にいた谷口は、わざとらしく耳をふさぐ仕草をしていた。それを見て、ミーティングルームを笑い声が包む。

 今日もチームの雰囲気はいいままだ。

 ミーティングが終わるとすぐに、楓は思わず高橋に声をかけた。


「高橋くん! やったね!」

「立花さん! お久しぶりです!」


 2人が顔を合わせるのは、沖縄での春季キャンプ以来だ。

 こうして楓が一軍で頑張っている間に、高橋もまた努力を重ね、一軍を1年目から勝ち取って上がってきた。しかも高橋は高卒ルーキーだ。


「また一回り大きくなったねえ。うん、若いのに大したもんだよ。ほんとに。」

「なにそれ、うちのねーちゃんみたい。」


 旧友との再会のように笑い合う。実際、高橋はもともと高校生離れしたした大きな体格をしていたが、その体はさらに一回り大きくなっていた。二軍生活で真っ黒に焼けた二の腕の太さが、苛烈な練習を想起させる。

 楽しげなを2人を横目に、また新たな若手が台頭してきたことが、金村は気が気でなかった。


 思わずスマートフォンで野球ニュースのサイトを見る。


《ドルフィンズの伏兵・高橋紘一、一軍昇格!》


 冠記事まで掲載されている。

 開いて読んでみると、なるほど、これは期待の新人だった。


 育成にかけては定評のある代田二軍監督が、高橋の武器は長打力だと見出して、さらに筋トレでパワーアップを計ったのだ。

 まだ粗削りなバッティングは、二軍でも打率.251と目立たないが、ここまで14試合に出場して5本の本塁打を量産してきている。二軍での本数とはいえ、一軍でフル出場してきた自分と同じ本数だ。


 そして、試合前の守備練習が始まると、金村の不安はさらに大きくなった。

 外野から大きな声が飛ぶ。


「次! センター! お願いします!」


 代田二軍監督は高橋をバッティングに集中させるため、レギュラー争いの厳しい内野から外野手へ転向させていた。もともと中学時代まで投手と外野手だった高橋は、持ち前のセンスもあって外野の守備もそつなくこなしていた。

 挨拶の際、「どこでもできる」といっていたのはこのことだった。


 これまで、レフト、センター、ライトの順にすべての守備位置で一通り守備練習をするのは、いつも金村だけのルーティンのはずだった。しかし、今日は高橋も一緒だったのだ。


 7月1日土曜日のフェニックス戦。

 このデーゲームに金村はいつものように6番・センターのスタメンで出場した。

 二軍から上がってきた伏兵とて、いきなりスタメン起用ということはない。奇策を講じることで有名なホワイトラン監督の采配に少しひやひやしていた金村だったが、内心で安心していた。


 しかし、2対4のビハインドで迎えた5回裏、金村が最も恐れていたことが起こる。


《9番、ピッチャー、須藤に代わりまして、高橋。背番号61。》


 代打で高橋の名が告げられる。

 2点ビハインドで2死ランナーなしの場面。まだ実力の分からない若手を試すには、おあつらえ向きの状況だ。


 しかし、ここで高橋が初球のインコースのストレートを力一杯振りぬくと、思い切り引っ張った打球はレフトスタンドへ弾丸ライナーで突き刺さった。

 あまりの打球の速さに、「ズドン」という音を立ててボールがレフトスタンドの座席に叩きつけられる。

 打球もさることながら、歓声を背に悠々とベースを回る姿は、まるで一軍のレギュラー選手だ。


「おおおおお高橋くん! やったーーーーーーーー!!」


 我先にハイタッチに向かう楓。


「やりましたー! すげえ! ありえん! マジありえん!」


 自分で打った本塁打に、若者らしく「ありえん」と独特の言い回しを連発する高橋。


「すげえな! 初打席ホームラン!」

「ナイバッチ!」


 ベンチの選手たちも次々に駆け寄ってハイタッチを求める。

 これで1点差、ここから逆転だという雰囲気がチームを包む。


「ナイバッチ! 完ぺきだったな!」

「金村さん! ありがとうございます!」


 このときばかりは金村も、心中はともかく笑顔で高橋とハイタッチを交わした。

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