第5話 自己PRは、シンカーです!

――株式会社湘南ドルフィンズ、入社試験会場


 そう書かれた看板を目にし、「よろしくおねがいします!」と楓は看板に向けて深々と一礼した。周りの視線がこちらに集中した気がしたが、沸き起こる高揚感がそれをシャットアウトした。


「どうしてもホワイトラン監督と球団社長に会いたいの!あかね、お願い!」


 あかねに頼み込んで、エントリーシートを添削してもらった。

 書き直した回数、55回。

 書き損じた回数、33回。

 合計88回も1社のエントリーシートを書いたのであった。

 ちなみに、楓は他の会社には1社たりとも応募していない。


 最終的に応募したエントリーシートは、ほぼあかねが書き起こした内容になっていた。


「ええと…御社のビジネスでぎょうかいのでふぁくとすたんだーどをとりたいと…」


 あらかじめあかねに用意された志望動機を片言の日本語のように暗唱するが、何度やっても完全には覚えられない。そもそも、こんな状態でドルフィンズの職員になれるのだろうか。


「では次の方、どうぞ。」


 そんなことを考えるうち、楓も人事担当者に呼ばれる。


 目の前には、40代くらいのブラックスーツを着た化粧っ気のない女性と、こちらもネイビーのスーツを着た金髪の50歳前後のはしばみ色の目をした白人男性。

 本山球団社長と、ホワイトラン監督だ。他に数人の人事担当者らしき人物が座っていた。


 強いチームを作るために、球団社長と監督自ら職員の面接も行う。ウェブサイトの会社案内に書いてあったことは本当だった。

 思わず目を輝かせつつも、言葉を失いかけた楓は、あわてて自己紹介する。


「太平洋大学文理学部4年、立花楓です! よろしくお願いします!」


 試合開始前のように、深々と一礼する。


「ではそちらにお掛けください。」


 案内された目の前の椅子に腰掛けると、さっそく面接が始まる。


「まず、当社を志望した動機をお聞かせください。」


(きた! あかねと練習したやつだ!)


 思わず拳に力が入る。


「わ、私は、御社が次々に新しい集客すきーむをだすのにかんめいをうけ…ええと…ぎょうかいのでふぁくと…ええと…でふぁくとすたんだーどに…あの…」


 結局口ごもってしまった。

 そもそも、言葉の意味だってわからないし、ラビット印刷の商品やサービスだってよく知らない。


 詰んだ。

 終わった。


 せっかくホワイトラン監督に会えたのに。

 目に涙がたまるのがわかる。


「緊張してるかな? じゃあ…なにか自己PRを聞かせてくれるかな」


 緊張を解こうと振られた質問だったが、かえってその質問は楓を混乱させた。


 この質問はあかねの台本になかった。

 自己PR?何を話せばいいの?


 わからない。

 わからない。


 やっぱりこのまま終わるのかな。


「ほら、何か頑張ってきたこととか、自信のあること。ないかな?」


 さらに優しい口調になった面接担当者の声だけが頭の中に響く。


 考えろ。

 考えろ。

 考えろ。


 頑張ってきたこと。自信のあること。自己PR……。


「自己PRは……」

「うん?」


 面接担当者が少し身を乗り出して尋ねる。


「自己PRは、シンカーです!」

「はい?」


 面接担当者は、日本語のめちゃくちゃさ以上に、発言の意味不明さに呆気にとられる。


「……よくわからないから、もう少し聞かせてくれるかな?」


 苦し紛れの質問であることは楓にもわかった。

 自分でも何を言っているのかわからないのはよくわかっている。

 だがしかたない。こうなったらなるようになれだ。


「私は、ずっと野球をやってきました。ポジションはピッチャーです。左の下手投げアンダーです。」


 面接担当者がさらに首をかしげるのがわかる。

 もう知らない。ホワイトラン監督に、私の野球人生、全部ぶつけてやる。


「大学の野球部で、カーブとスライダーとカットとシュートを覚えました。スライダーでは空振りも取れます。でも、やっぱり私は高校の時から磨いてきたシンカーに自信があります。」


 通訳が訳す声だけが響いた後、面接室に流れる沈黙。


「ええとね、自己PRというのは…」


 遠慮がちに面接担当者が口を開いたそのとき。


「What's great about your sinker?」


 ホワイトラン監督が口を開いた。

 すかさず通訳が、「あなたのシンカーは何がすごいの?」と訳す。


 一瞬呆気にとられる楓。

 しかし、次の瞬間、パッと顔を明るくさせ、頰を紅潮させながらまくし立てる。


「回転数です! 私のシンカーは回転数が落ちにくいんです。だから、打者の手元で突然消えるみたいに落ちます。それもただ落ちるんじゃありません。横の回転を強めにかけているので、鋭く斜めに落ちていきます! 特に左打者からは消えるように見えるはずです。」


 話が逸れたことを察して面接担当者が止めようとするが、ホワイトランが大きく身を乗り出すのが見えた。


「いいわ。続けて。」


 今日初めて奏子が口を開いた。

 面接担当者も黙る。


「はい。私のシンカーは2種類あります。先ほどの大きく曲がって消えるシンカー。それから、真っ直ぐとの球速が変わらず、手元で少し変化するシンカーです。同じフォームから投げられるので、これを中心にピッチングを組み立てられます。」


「Speed?」


 球速を聞かれたのがわかった。


「真っ直ぐが129、小さなシンカーが122、大きなシンカーが109です」


 ホワイトランが通訳の方に体を傾けて話を聞いた後、再び口を開く。


「How fast is the cut ball?」

「カットボールのスピードを教えてくれるかな」


「122です」


 すかさず答える。


 決め球の大きなシンカーは、それだけでは通用しない。


 カウントを稼ぐための小さなシンカーとカットボール。

 そのフォームと速度を合わせるのは、大学時代ずっとテーマだった。

 楓はこれまでの努力を認められたような、誇らしい気持ちになった。


 突然、ホワイトランが立ち上がって背を向けた。


「Come on.」


 そういうと、楓が入ったのと反対側のドアから、面接室を出ていった。

 一瞬、ホワイトラン以外の全員が固まった。

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