第1章 夢の賞味期限
第4話 シューカツ戦線異状アリ
史上最弱球団がラビット印刷に買収された1年後、楓は大学4年生になっていた。
高3のときドラフトで指名されなかった楓だが、野球が嫌いになったわけではない。あの日からプロ野球はあまり見られなくなってしまったが、大学で野球を続けていた。
太平洋大学に推薦で進学した楓は、帝都大学リーグに所属する野球部で野球を続け、ここでは先発投手の一人として存在感を放っていた。
高校時代から武器にしていた左のアンダースローという変則的なフォームと、決め球にしていたシンカーだけでなく、大学入学後はカーブ、スライダー、カット、シュートを身につけ、変化球で打者を打ち取るスタイルに磨きをかけた。
――帝都大学リーグに現れた美しき魔術師・七色の変化球で打者を翻弄
帽子の後ろから肩まで垂れたポニーテールと、決して美人というわけではない素朴な顔立ちだがマウンドで見せるキラキラした笑顔は、大学野球を取材する記者の注目を集めるには十分だった。
大学野球では珍しい女子選手の主力としての活躍に、雑誌には何度も特集記事が組まれ、楓は大学ではちょっとした有名人になっていた。
あまり人前に出たり記事にされたりするのが得意ではない楓だったが、毎日仲間と目標に向けて野球に打ち込める生活が楽しく、気が付くとあっという間に大学4年生になっていた。
「で、楓はさ、どうすんの? シューカツ」
楓に尋ねたのは、野球部マネージャーで親友の加藤あかねだ。
あかねは女子大生らしい流行りの服に、流行りの真っ赤なルージュ、色白な肌に黒髪ストレートのショートボブといったいで立ちで、まさに今風の美人女子大生という様子だ。こうして学食で楓と話していても、通り過ぎていく男子大学生たちが二度見していく。
野球部のマネージャーとして振舞っていても、1年生のときから次々に部員の男子が声をかけてきたが、野球に興味はあっても野球部員の男子には興味がないようで、その誘いを華麗に4年間交わし続けている。
必然的に、あかねに対して下心を向けない女子部員の楓と接する機会は多く、すぐに2人は親友になった。
「うーーーーん……未定!!」
あかねにに急かされながらも、4年生になった楓は自分も就職活動をしなければならない現実に向き合えずにいた。
社会人野球部のある企業からの勧誘を数社もらったが、どうしても会社で働くというイメージがわかないのだ。
「未定って……もう4年の夏だよ。みんな内定けっこう取ってるし。」
「そりゃあかねはいいよ。やりたいことがあるんだからさぁ……」
あかねといるときの楓は、女子大生らしく甘えた口調でぼやく。
ちなみに、あかねはかねてからの夢であったスポーツアナウンサーになるべく、就職活動を早々に成功させて民放キー局への就職が内定している。
楓はあかねの夢を応援していたが、実現可能な夢を描けるあかねが正直羨ましくもあった。
「私はやりたいこと、みつからないからさ……」
「じゃあさ、楓の好きなものに関わる仕事とか。たとえば……」
そこまで言って、あかねは口淀む。
「ほら! たとえば、球団職員とか! ドルフィンズなんて親会社変わって募集してるみたいだよ?」
気まずい雰囲気を取り繕うかのような少し高めの声であかねが続ける。
あかねが楓に示したスマートフォンの画面には、ドルフィンズの採用ページが表示されていた。ドルフィンズは留学生を採用することも視野に入れ、秋にも採用活動を行うのである。
「TOP MASSAGE」と書かれたリンクバナーには、新社長の本山奏子と新監督のリッキー・ホワイトランが写っている。
楓はなんとなしに、あかねにスマートフォンを持たせたまま目の前に示された画面のバナーを押す。
「私たちが求めるのは、勝つための『実力』と『工夫』。それだけです。」
気がつくと、楓はあかねからスマートフォンを奪ってホワイトラン監督のインタビュー内容を食い入るように見ていた。
ドルフィンズは、選手だけでなく、球団職員を含めた組織の大改革を行っていた。
勝つためには、選手だけでなく、それをサポートする職員や、選手を連れてくる資金を獲得するための集客戦略を立てる職員が必要だ。そのために、社長の本山奏子は「職員を含めた組織全体でシーズンを戦う」という目標を据えていた。
「私たちは本気で優勝を狙えるチームを作ります。そのためには、常識を捨てなければなりません。
チームの選手も、スタッフも、職員も、すべてが対象です。
過去の成績はまったく参考にしませんし、勝つために必要な戦力なら他球団を戦力外になった選手でも、ベテランでも、新人でも、そして女子選手でも、全員に平等にチャンスがあるのが我がチームの文化です。
球団職員の皆さんにも、徹底した実力主義のもとで仕事をしてもらいたいと考えています。」
最後の一文はまったく目に入っていなかった。
楓の目には、「女子選手でも、全員に平等にチャンスがあるのが我がチームの文化です。」という一文だけが浮き上がって見えた。
「かーえーで!ちょっと楓!聞こえてる?!」
あかねの声にふと我に帰る楓。
次の瞬間、強い口調でまっすぐにあかねに告げていた。
「私、ドルフィンズの入団試験受けてみる!」
「入社試験ね。」
もしかしたら、入社したあと野球をするチャンスがあるかもしれない。
自分が諦めたプロの世界で、同じ女子がプレーする姿を見るのは確かに怖い。
でも、1%でも可能性があるなら、もう一度プロに挑戦できるなら、賭けてみたい。
「あかね、応募ってどうすればいいの?!」
8月の終わりに差し掛かった頃、こうして、遅い遅い楓の就職活動が幕を開けた。
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