第5章 夏至に向かう日

「おい」


るいは、背伸びをしながらせっせとドアの上を掃除しているあの銀色の執事に声をかけた。



「お前のご主人様の部屋は何処や」


涕はゆうに頭一つ以上、背の高い大男を冷たい目で見あげた。

その執事は、じっと銀色の瞳で無表情に涕を見返し、首を曖昧に動かしたが、口を開かない。


「え?なんやその首の振り方は。全く分かれへんで」


涕は口元を歪め、その高圧的な男をあざけるように鼻を鳴らした。

「使用人やったら、人に話しかけられたら、ちゃんと応えなあかんやろ。

それとも何か、口がきけへんのんか。

ええ加減にしぃや」


するとフルフルと執事が口を指して首を縦に振った。

「え、主は喋られへんのか」

男はこくんと一つ頷くと、踵を返した。

「あ、あ、待ちなはれ」

慌てて、涕は呼び止めた。

執事はまた掃除を始めている。

「主はもしや……」


涕はその執事の肩に手を置くと、顔を覗き込んだ。




 翌日から骨董屋の荷物が屋敷に運び込まれてきた。



屋敷の一階の左手の、二十畳程のリビングに荷物を入れた。


厚いカーテンがかかったその部屋は、背の低い応接セットにも、美しい色彩の壺を置いた棚も、どこもかしこも白い大きな布がかけられている。

植物達も、枯れ果て茶色く葉を落として、目地なしに貼られたフラットなグレーの石の床に、茎をだらりと垂らしている。


時が凍りつき、哀しみが詰まっている。


「何をするじゃ!」

厚の鋭い声が、エントランスの高い吹き抜けの天井に響いた。

天井の硝子から落ちる、束の間の陽の光が大理石の床に踊っている。


その光のドームの中で、厚と執事が揉み合っている。


骨董屋から荷を運び込もうとしていた付喪神たちは、荷を置いて立ち止まっている。


執事は上背こそあるものの、相手は歴戦の鎧通しだ。

厚が背が低く細身といえども、太刀打ちできるものではない。


がっと突き放して、執事がよろめいた処へ、一気にとどめの一太刀ひとたちを浴びせかけようとした瞬間に、はざまに涕が入った。


めや!」


カッ!

涕が、固まった執事を抱くようにして転がった瞬間

執事のいた場所に、短刀が突き刺さり、砕けた小石が跳ね上がった。


「た!」

涕の悲鳴が上がった。

一転して立ち上がった厚は、構えを解かぬまま、執事を抱きかかえたまま床に転がっている涕に相対した。


「何じゃ!涕!貴様、何を邪魔立てするんじゃ!」


「これはこの屋敷の者や」

涕は厚に叫んだ。

「主人から指示がなかったさかい、勝手なことをされとると思うたんや」


後に庇った執事が、驚いたように涕の横顔を見つめている。

「口が」

涕は跳ね返った石で打った腕を押さえたまま、執事をチラと振り返り、安心させるように一つ頷いてやった。

「口がきけへんのや」


取り巻いていた他の付喪神たちが、ほうと溜息をついた。

「ほぅお、涕には珍しく庇うじゃないか」



「おや、おや!これは」


突然、そこへ階段から男が降りてきた。

「いらっしゃい」


呆然として見返す付喪神の前に、黒い髪の細面の男が、ニコリと笑って立っていた。


「骨董屋の皆さん。ようこそ」




姿を隠すわけにいかない付喪神たちは、お互い顔を見合わせながら、頭を恐る恐る下げた。




 申し訳なさそうに、執事が涕の腕の傷に包帯を巻いている。

厚の跳ね上げた小石が当たって痛んだだけで、欠けた訳ではない。

なので、そんなことをされても意味はない。

が、どういう訳か断って執事を傷つけたくないという感情が湧いた。


だが、不思議なことに巻いてもらった端から執事の思いが伝わり、痛みが引いて行く。


(なんや、情のあることを)

大人しく情けを受けている自分に、涕は困惑して座っている。


必死の執事は懐いた熊のようで、何処となく愛らしい。

(せあけど、わてと居れば)

胸をよぎった事実に、涕はスッと胸の冷えた。


「もう、ええわ。おおきに」

涕は立ち上がると、あたふたしている執事を置いて、そそくさと部屋を出て行った。


出たところの廊下でこうがいにぶつかりそうになった。


「危ないやないか!チョロチョロせんと、厚にくっついときや!」


そう言われて黙っている笄ではなさそうだが、赤くなって下を向いた。

「す、すまなんだ、涕。

あの、あの……

野風があの男の寝室に囚われておるとは本当のことか」


笄が恐る恐るといった風情で聞いてきた。

いつになくしおらしげな笄に、調子が狂ったように、涕もむむっと言葉を吞むと

「あ、ああ」

頷いた。


「せや、こっそり、あの執事に教えてもろうた。

あの野風ともあろうものが、どうも臥所から出て来られへんらしいで」

その言葉に笄は顔を更に赤らめた。

「つまり、あの男は野風のことがお気に入りで、他のものには見せたくもないと思うておるということか!

その男に近づいた時に、野風は人の子の形をしておったのであろうか」

しかし、ハッとあることに気がついて、笄は赤くしていた顔をすっと白くした。

「では、あの男、涕じゃなくて、野風と……。

でも、しかし、野風は……

え、でも贖っていたあの香炉は」


「いや、笄。

ついつい、わてらもいつものことで勘違いしておったが。

まず、香炉は通す役目やおへんやろ。

そして、あの男は、約束の男や」


「ああ!野風はあの男が約束の男だと気がついて近づいた」

笄は目を大きく見開いて息を飲んだ。

「そして捕まった!」

その笄を見て、涕は満足そうに頷いた。

「賢いやないか、笄。

玻璃はもう十分じゃと店主が言うておったやろ」


「では野風は通路を作ると」


「せや、でも、幾ら何でも全てを支えておる野風にそれだけの余力があるかどうか。不安やなぁ」

「ああ!」

笄はハッと思いついたように顔を青ざめさせた。


「珠を出して於千鶴殿の行く末を見せてくれた時に、力を使う言うて野風が顔色を悪くしておったと、於杏が言っておった」


「せや、最悪、野風は……」

涕は皆まで言わず、眉根を寄せて見せた。

「でも、でもあの男、やたら店主に熱い視線を向けておったではないか。」

笄は縋り付くように言った。

「店主が通路を作るのじゃないのか」

「いやいや、笄、何を寝ぼけたことを。

店主は役目が別にあるやろ?

通路を作って、おまけに役目を果たすなぞ、野風が二体おってもできるかどうか。」

涕がそう言うと、笄ははっと息を飲んだ。

「あ!もしかして、野風は店主を守るために自ら進んで男の餌食になり……」

「それはどうか知らへんけども。

ああ、まぁ、せやなぁ」

涕は苦笑いをして続けた。

「もしそうなると、野風は店主を救うために、男をねじ伏せ自ら通路となって、そうなると野風もただではすみまへんなぁ」


広い屋敷の、絨毯を分厚くしいた廊下の隅で、二体の付喪神はコソコソと話をしている。

所々には、美しい壺やガラスの花瓶が飾り台に置かれて、廊下を照らす灯にキラキラと輝いている。


「野風は……店主を思うておるのに!」

笄はブワッと涙を目に溜めた。

「い、いや、そっちよりも」

涕は苦笑をしながら首を振った。

「そっちよりも、通路を維持しながら、あの何処ぞへも行きたがっておらぬ男を押さえ込み、あのお方をお通しするなど、野風といえども、身が持ちまへんやろと」


「それは、野風が散るということですか」


気がつくと、笄の後ろに店主が立っていた。


「あ……」

笄は驚いて、涕の袖を握った。

「なんや急に現れてからに。」

涕が取り繕ったように笑顔を浮かべた。


「あの男に呼ばれてはったけど、なんぞ分からはったんか」


「いえ、なかなか隙のない方で……

部屋の外で笛を吹く気はないと言われましたから、野風は人の子の形ではないようなのですが。

困ったものです」

店主は顔を暗くして、首を振った。

その何処か他人事めいた口調に、笄は噛み付いた。


「はぁ、なんとも野風は哀れなものよ。

こんな情知らずに入れ込んで、挙句に名も無いヤツめととこを共にする羽目に!

天下の名笛、野風ともあろうものがのう!

これを彼の方がお聞きしたら何と思うやら!」


笄が店主に向かって悪態をつくと、以前なら聞き流していた店主が唇を歪めた。


「酷い言い方をなさるな!

人の形ではないと申し上げました!!」


店主がギリッと笄を睨みつけた。


「この!阿呆が!!!

何を浅はかなことをどの口がいうのか!

名もない人の子に吹かれておると言っておるのじゃ!

あの天下の名笛が!!」


「わかっております!

でも、それを私がどうできましょうか?!

私が身を投げ出して、夜な夜なあの男が野風を吹かぬように、気を逸らせばよいのですか?


前々からまるで野風のことを私のせいのように、しつこうございますよ!


厚がほだされたのは、あなたの献身にございました。

しかし、そんなにグチグチとしつこいと、すぐに厚に嫌われましょうな!」

店主に痛い所を突かれて笄は真っ赤になった。


「うるさいわ!

主のような癇癪持ちの性格の悪い付喪神なぞ、誰が欲しがるか!

このまが……」

「笄!」

涕が慌てて笄の口を塞いだ。


ガシャン


壁にぶつかった硝子の花瓶が砕けて、あの玻璃のように床で七色に煌めいている。


「……」


沈黙が三体の間に降りた。


「どうした」


厚が廊下の曲がり角から顔を出し、砕けた花瓶と立ち尽くしている三体の付喪神たちを見た。


「……これは」


ゆっくりと近づいきた。


「誰が……」


そして、涕と笄の視線を追って、店主の顔を見た。


「主……」


いきなり店主は踵を返し、廊下を走って去った。






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