第8章 思い出の楽園


「それで……逃げて帰られたと」

「うわぁ、有り得ない」


骨董屋で、紗凪さなと店主に交互に責められて、志信しのぶは頭を抱えた。


「だって、明らかにおかしいよ。月代さかやきだよ。

多分、江戸時代にあそこで死んだんだわ。

それで、可哀想にあの子、迷ってるのよう!

可哀想だけど、幽霊の花嫁なんて流石にいやだぁ~」


「幽霊じゃなきゃいいわけ?」


え……


宙をにらむ志信を、紗凪と店主がのぞき込む。


「いやいやいや、だって月代だし、未成年だし、犯罪じゃん」


「月代だと元服しておるから、成人じゃぞ」

突然、鋭い声が割って入った。

いつからここに居たのか、着物姿のいかつい男が、帳場に座って笑っている。

その横には十代半ばほどの、こちらも着物姿の中性的な美少女が寄り添うように座って、男の言葉に頷いている。


「は?」


「ですから、彼が昔の方なら、元服を済ませましたら、成人ということでしょう?

そうなると、大人ですので犯罪ではございません」

「ああ、なるほど」

店主の言葉に志信はうなずいた。


(ああじゃないって!いや、違う)


「いや!それおかしいでしょ」

志信は、ブンブンと首を横に振った。


「つまり、過去の人が、そこにいるのはおかしいと言いたいんじゃな」

別の色黒の男が言った。

掠れた声なのに深く、優しい。

「そう、そうだし……

一回しか会ったことのない人といきなり結婚とか!」



「嫌いなんですか」

「いや……そうじゃないけど」


いやあ……

(最初に気がつけよ)

今から思えば、おかしい事だらけだった。


第一、あんな髪の毛の長い、中学生なんていないじゃん。

あの言葉遣いとか……


瓢箪ひょうたんに入ったお酒とか……

火打ち石とか……


あれはサルエルパンツじゃなくて、裾を巻いたはかまだったのか。

甚平の上じゃなくって、着物だったか。


そりゃあ、刀の扱い上手いはずだわ。


(人って、都合よく辻褄つじつまを合わせようとするものだわ……)


「良い子だと思うよ」

紗凪がぽつんと言った。


「そりゃあ、私だってそう思うよ!」


でもさ……


「でも私って七歳も歳上だよ?普通に有り得なくない?」

「そうじゃの。志信は年増としまじゃものな」

え……

いかつい男の隣の美少女が面白げにそう言って、いかつい男に小突かれた。

「と、年増ぁ?私が年増??」


「藤五郎の世界では、十代半ばで結婚して出産だわなぁ」


「えっ……

そしたら、私なんて……」

(BBA«ババア»……)

絶句すると色黒の掠れた声の男が笑った。

「それでも尚、志信殿が良いと思われたのであろうのう」


「人となりが好ましく、一生を共にしたいと思うたのであろうのぅ」

婀娜な姐さん風の女が色っぽく流し目をする。


「ええ……そ、そんなぁ!

やだぁ~」


赤くなった頬に手を当てて照れる志信を囲んでいる、付喪神たちが笑っている。


「恋愛結婚なんぞなかなかない時代に、婚儀の固めの酒まで用意する程までに進めてというのは相当にございますよ」


うっ

「しかも!主君の連枝の養女だって!主筋の嫁ってことよね」

うう


「それを振り捨てて、帰ったとあれば、藤五郎さまもさぞ、傷ついておられるで御座いましょうねぇ」

「心が傷つくのもあろうが、そりゃあ、面目が立たなくて、切腹ってこともあるわなぁ」


うっ


「そうじゃの。

もしぬしが辞退したとあらば、武家の習いで別の者と婚儀ということになろうな。

主筋のどこぞの娘と」


うう……


「そうね、志信は、他の女と藤五郎が結婚しても良いわけね」

「それは……」


(良く……ない)


「一途な若者の恋心をもてあそぶとは、志信殿もなかなか」

「も、弄んでないわよぅ」


「でも、結果としてのう」

左様じゃ、左様じゃと皆が首肯うなずく。


「そりゃ、私だって、藤五郎の事はいいとは思ってるわよ」



思っているけど……



そりゃ、あの子が他の女のものになるなんて嫌だ。


嫌だけど……

正気の沙汰では無い。


「志信」

紗凪は志信の手を取った。


「運命の女神は前髪しかないのよ。

幾ら外は寒そうだ、暖かくなってからって思っても、その時にはもう遅いの。


その時に意を決して飛び付かなきゃ。欲しいものは手に入らないわ」


「そうじゃの。藤五郎殿は、志信殿を内室ないしつに迎える為に、必死で道を開かれた筈じゃ。

今度は志信殿が誠意を見せる番じゃの」


(そうか……そうなのか)


胸がキュンと痛んで、鼓動が「藤五郎のことが好きだ」という。


あんな子は滅多にいない。


年の差だって

年代の差だって


「やってやろうじゃないの!」


志信はガタンと立ち上がった。


「さあ、持って行きなはれ」


小柄な細い男が、着物を入れた包みを渡した。


「早う行かぬと、待ちくたびれてしまうぞ」


「え、もう帰っちゃったかな」


どんなに藤五郎が傷ついただろう。


志信は怖くなって立ちすくんだ。


司南しなん、花嫁が迷わぬよう、ついて行って差し上げよ」

骨董屋の扉の前で、痩身の男が頷いて手招きした。


「大丈夫じゃ、待ちに待った花嫁じゃ。藤五郎様はずっと待っておろう」


「ああ」

志信は足を踏み出した。

そうだろう。


藤五郎なら、ずっと待って居てくれるに違いない。


「さあ、く、参られよ」



包みを持って志信は、藤五郎の待つ林へ一直線に走って行く。


木の下に立って志信が消えた方をひたすら見つめている、あの瞳の持ち主の元へ。



「藤五郎!ごめん〜!」

志信は叫びながら一直線に走った。




紗凪は、志信の背中が消えていく窓の外をじっと見つめた。

春の甘い香りの風が吹いている。


……もう一年。


まだ一年。


思い出が巡る。


キ、キイ

軋む扉を開ける小さな音がして、司南が戻ってきた。


「無事、花嫁を送り申し上げた」


「有難う。司南」


帰ってきた耆著きしゃくの付喪神に紗凪は微笑みかけた。

「これで、あの方の家が絶えずに済むわ」


そう、嫡男以外にも男児がいるのに、あの家が絶えるだなんて思わなかった。


白い霧の中で出会った愛しいあの人……


「さあ、御方おかた様、参りましょう」

司南は紗凪に手を差し伸べた。



そう、私には終わった物語。

そして志信には始まったばかりの物語。


そして、これがあの人への最後の贈り物。



紗凪はフルと身を震わせると、黄金に輝く半透明な体に戻った。

「わがままを聞いてくれて有難う」


司南の周りから薄い霧が立ち込め始めた。


あの日と同じ白い、白い霧だ。


黄金の半透明の打掛の裾をさばくと、紗凪だった者は司南の手をとった。


まるで五十鈴いすずを振るような音が響いた。

「さあ、もう戻りましょう」


皆が待つ黄金のあの野へ



その後ろ姿を付喪神たちは膝を折って静かに見送った。


時は満ちた。


その草原は黄金に輝き、その宙に浮かぶ珠はもうない。


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