蘭奢待の記憶

第1章 始まりの夢

 


 黄金の日の夢を野風は見る。


あれは今からもう遠い、遥かに遠い昔の御伽噺おとぎばなしだ。




 ある所に美しい付喪神がいた。


その付喪神は桜の舞い散る中で、銀色にすら見える長い黒髪を、風に遊ばせながら言った。


「我の美しさは、この桜のように散る美しさ。ぬしには追いつけぬ」


「さすれば」


もう一人の付喪神が言った。


「我は何度も主の命を我命であがなおう。我が主に追いつけるように」


美しい付喪神はそれを聞いてわらった。


「好きにすれば良い。

如何に我をよみがえらせようが、我は我が命を駆け抜けるだけ」



微笑みは憐憫れんびんたたえ、嗜虐的しぎゃくてきに美しかった。


「何時、主は我に追いつけるかのう」




なんとあれは美しかったのだろう。


最早あの美しさは露となって消えたのか。

掴んだと思った光は、雨粒のように指の狭間はざまをすり抜けていたのだろうか。




 風がく。


その優しい風に、金色の煌めきを乗せた笛の音が絡み、溶けてゆく。


水が流れる。


その柔らかな流れに、キラキラと耀かがよう笛の音が融けて、流れて行く。



サクリ


萌え出る草を草履の足が踏んだ。


その途端、足元から金色の粉が舞い上がって、その足に遊びに誘うように、まとわり付いた。


川岸に一節切ひとよぎりを吹く野風の背中がある。


思いの外、その背中は細い。



茶杓ちゃしゃくの付喪神であるるいは、足を止めて辺りを見渡した。


これは思い出の写し絵だ。



目もくらむような黄金の光の中に居た、野風のあの日の思い出だ。


みやび傾奇かぶいて見える黄金の野も、落日の一時のそれと知れば、ただ切ない。


釣瓶つるべ落としに暮れるその空を、かたくなに支える野風は愚かなのか。



(そうだ……野風は愚かなのだ)


涕はふっと微笑んだ。


薄闇に浮かべた、閉じた黄金の玉の世界は、野風の愚かで、切ない思いでできている。


その事を知っているのは、野風と涕と……そしてあの付喪神。


そしてあの付喪神が現れたその時こそ、この世界の崩壊の始まりだ。




何と愚かでもろいのか……



涕はこの黄金の日を知らない。


涕は、その太陽が墜ちた後、己の主人あるじの生命と引き換えに、この世に創りだされた付喪神だ。



(我には何も無い)


涕は懐手をしたまま、黄金の風に髪を弄ばせ、遠くを見つめた。


(我は人を主人と同じ定めに引き込んでしまうのか)


主人から涕を形見に受け継いだその人は、同じく罪無くして惨殺されるという悲劇に堕ちた。


天才がその生命のありったけをこめた美しさは、人の心を惹き付ける……

が、賞賛されつつ、怖れられうとまれる。


いっそ、厚たちのように人の生命を奪う事を前提としていれば、まだ違うものを。


涕はあの日の付喪神のように、髪を黄金の風に遊ばせた。



(我は常に独りだ……独りを生きていくのだ)



まだ黄金の野は輝いている。



ふっと笛の音が途切れた。


「どないしはった」


涕が問うと、野風が前を見つめたまま応えた。


「留まった」

「あの男か」

左様じゃと野風は頷いた。


「暫し名残りを惜しんでおるのだろう。

付き合うてやらねばなるまい」


「お主は何とお人好しで、恐ろしく気が長いのか……」


「いや」

野風は振り返って、笑顔を涕に向けた。

形の良い眉毛をへの字に寄せ、如何にも困っているという気持ちを見せている、申し訳なさげな笑顔である。


「わしほど己のことしか考えておらぬ付喪神はおるまい。

知っておるくせに」


一節切を仕舞い、立ち上がった野風の背中を見ながら、涕は薄く微笑んだ。


「気持ちは、変わらぬのでありますな」


「変わった方が良いと思うたこともあるが、もう踏ん切りがついた。


最早なんであれ、わしは我がものを手に入れる」






「おや、これは」



 薄暗い骨董屋の店の中で、店主であるその背の高い細身の男は、茶釜の箱の隅から、古ぼけた薄紙に包まれた小さな箱を取り出した。


脆くなり、ともすれば粉々に散って行きそうな薄紙を、細く長い指を器用に動かし、剥がしていく。


白い指の間から乾いた紙の破片が静かにハラハラと散り落ちる。


紙を剥がされた桐の箱を机に置いて、掛かっている色褪いろあせた濃紺の平紐を解く。


スルリと解かれた紐が落ちた。


僅かな衝撃に、時の重なりに積った埃がふわりと薄茶の煙となって舞う。


(おや……)


店主は首を捻った。

そのまま、薄い桜色の唇が微笑みの形に吊り上る。


「なんとまぁ……このような所にお隠れでしたか」



店主は桐の箱から、愛らしい青銅製の三本足の蛙の香炉を取り出した。


手に乗せた蛙を、細い昼寝をしている猫のような瞳で見つめた。



最早もはや、左様な時期でございますのか」


白いのっぺりとした顔に、薄い微笑みを浮かべたまま、長い指で優しくそれを台に置いた。




そして、終わりが始まった。



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