第7章 白い道 行く道

 

 奇しくも 






ここへ来ることになってしまった。



 「ほら〜、やっぱり縁があるんだよ」

紗凪さなは嬉しそうに言った。


「付いてきてくれるよね!」

志信しのぶの言葉に、紗凪は笑いながら首を横に振った。


「やだぁ〜!

感動の再会にお邪魔じゃん!

私はあの骨董屋さんで待ってるわ」


神社の林の前で、紗凪が髪の毛を結い直し、あのかんざししてくれた。


「もし、来なかったら?」

「大丈夫よ!来ないはずがないわ」


「でも、でも……もし来なかったら?」


「大丈夫だって!

あ〜、もう、そんな目をウルウルさせないの!

じゃあ、あの神社へ参拝に行っておみくじを貰ってくる。ね?

志信は、おみくじを買いに行くだけ。


もしかしたら、その行き帰りに誰かに会うかもしれない。

それならいいでしょ?」


(そ、それなら、いいかも)

うん、うんと志信は頷く。


何の変わりもないけど、それなら一人で行けそうな気がする。

「もし、会わなくても、私はおみくじ買いに行くだけだもんね」


「いや、絶対会うけどね」


何を根拠にそんな風に自信満々に言うのか……


(ホント〜に!紗凪ってロマンチスト……)


顔を暗くしている志信をギュッと抱きしめてくれる、その柔らかな腕は、まるでお母さんみたいだ。


「竹丸によろしくね」




あの時は、紅葉した木々が今は緑を深めている。

木々の萌え草芽の匂いに混じり、微かに花の香りが漂っている。


その香りがドキドキと大きな音を立てて打つ鼓動を更に高めていく。


心臓発作で倒れるかもしれない。

しかし、心臓発作の前に、足がもつれて危うく転けそうになって、志信は木にすがりついた。


立ち止まって、深呼吸をする。

(まぁ、あれよね。私は神社に参拝に行くだけだし!)


志信は自己欺瞞じこぎまんに苦笑いをした。


(え〜と、ここら辺だっけ?)


木にすがりついたまま、あたりの木々を見渡した。


しかし、切った後のある木なんてない。



元々心細いのだが、益々、心許こころもとなくなって来た。


(だから付いてきてって紗凪にお願いしたのに……)



そもそも……

別に約束しているわけじゃないから


「こりゃあ、会えないかもね」

ははは!

志信は飛び出そうな心臓を押さえて、空元気に笑い声を立てた。


「あ、そうだった。

そもそも〜私、参拝にきただけだし……」

(そう、そう、おみくじ、おみくじ……)



もしかしたら、いやもしかしなくても、相当ばか。



それでも、あのバカ男とバカ女の馬鹿面を並べた式に、居心地悪く参列するよりはずっと、ずっと建設的だ。


「ねぇ、耆著きしゃくさん」

志信はキーホルダーのしずく型のガラス玉に入れた耆著を揺らした。


「竹丸のところに案内してよ」


キラキラとのどかな木漏れ日に、ガラス玉がきらめく。


ああ、綺麗だな……


はあと空に向かって息を吐いた。


木々の合間から見える春の空は、優しくのどかだ。


飛行機雲ひとつ無い空に、ふわりと白い雲が湧いて、視界を遮ったように見えた。


(あ……)

あの時の白い霧を思い出して息を飲んだが、目の瞬きの瞬間に消えた。


大きく息を吐くと、花の淡く甘い香りがした。


自然の柔らかく萌ぐ香りに、胸のつかえが下りる気がする。


「竹丸……」


(会いたい)


ああ、私は会いたいんだ。

あの仔犬のような目をした少年に。


「竹丸……会いたいよ」


何だか、迷い子になった心細い思いが、頼りがいのある、あの歳下の少年の元へ飛んでゆく。


(あの子の側が私の楽園……)


なんてロマンティックな言葉を思いついて、乙女心を盛り上げて、心細い気持ちと合わさって、情けなくも涙が滲む。

(もう、いやだ。私、ばかじゃん!

七歳も歳上とか、向こうからしたら有り得ないに決まってる)

それでも


「竹丸……会いたい」




「志信?」


え?


志信は、背中から聞こえた聞き覚えのある声に体を強張らせた。




「志信!」


恐る恐る、声の方を見ると、木々の間に人影が立っていた。

遠い人影なのに、すぐに竹丸だと分かった。


「え、うそ」


志信は立ち尽くした。

(ちょっと嫌だ。泣けて来た。)

元々臨界点を越えかけていた涙が、頬を伝っていく。


「竹丸!!」


走ってくる竹丸の姿に、感極まって嗚咽が漏れる。


いや、紗凪じゃないけど「ロマンティックゥ〜」だ。


仔犬のように竹丸はかけてくる。


「志信!来てくれたか!」


気がつくと、志信は暖かくたくましい腕の中にいた。


気がつくと、志信は竹丸の胸に顔を埋めて大声で泣いていた。


「ばか!ばか!竹丸のばか!」


何一つ悪い事をしていないのに、竹丸は志信の頭をゆっくりと大きな手で撫でてくれた。

「済まぬ、済まぬの、志信」


竹丸は優しく抱きしめて、志信の頭に頬をつけて、ゆっくりとあやすように揺れる。


「済まぬの、志信。よう来てくれた」

竹丸の声は低く暖かい。

陽だまりのような声だ。


ゆっくり、ゆっくり揺れる。


春の林の中で。


暖かな風が二人を包む。


泣き止んでも暫く志信は、その楽園の暖かさを楽しんだ。



志信は、万感の思いを持って体を離して竹丸を上から下までしみじみと見た。

竹丸も、優しい仔犬のような目を潤ませて見返してくれる。


「ああ、志信は相変わらず、見目麗しいの」


「え、あ、ありがと。でも、あの……竹丸……」


半年のうちに大きくなった。

背が伸びて、顔一つ分竹丸の方が背が高い。

それはいい


腕も驚く程、太く逞しくなった。

それはいい


相変わらず、浅黒い顔の黒目がちの目は、どこか仔犬のようだ。

それはいい


相変わらず、サルエルパンツだ。

それもまあいい


「その頭……」

なに?と聞く前に竹丸が嬉しげに首肯うなずいた。


「元服し申した!故に竹丸ではなく、藤五郎と呼んでくだされ」


「げ、元……服、元服って何それ」

いや、元服は知っている。

知識として。


いやいや、知っているけど、今時、誰もしないやろ。

(何、頭、ってんの……この子?)

戸惑う志信にお構いなく、竹丸改、藤五郎は潤んだ目で真っ直ぐ志信をとらえる。


ああ、この目だ……


真直ぐ、心の中に入って来る。


「ああ!志信!志信!待ちかねた!」

藤五郎は、嬉しげに腕の中の志信をまた抱きしめて、頬ずりをした。

相変わらず、大型犬に懐かれている感じがする……


いや、それはいい


「父上にもガツンと申したぞ!」

「お、おう、やったじゃん……」


「固めの酒も手配が済んでおる!」

「は?硬めの酒って、何?」


藤五郎はパッと破顔した。

春の太陽の光が胸の中まで射し込むような、優しくて明るい笑顔だ。


「何を申しおるのか!志信と身の祝言の酒じゃ!」

志信の両肩を持ち、揺さぶるようにして、顔を覗き込んだ。

「し、祝言って、あんた!」

(祝言って、結婚?)


もう月代さかやきも気にならない程の衝撃だ。


「ちょちょちょ……ちょっと待とうか」


志信は、腰が抜けるとはこの事かと、足がえてクタクタと座り込んだ。

その崩れていく志信を慌てて藤五郎がすくい上げるように軽々とお姫様抱っこした。


「竹丸……あんた、あんたDKだよね?結婚はまず無理でしょ」


お姫様抱っことか、ロマンティックなはずだが、それどころでは無い。


藤五郎は戸惑った顔になった。


「で、でぇけぇ……血痕けっこん?」

抱きかかえた志信の顔を見下ろす。


「申し訳ぬが、在所ざいしょの言葉ではのうて、普通に申してはもらえぬか」


普通?


いや、待って……

志信はお姫様抱っこから降りて、藤五郎をしげしげと見つめた。


「た……じゃなくって、藤五郎って、もしかして……江戸時代の人?」


「エドジダイとは何か……」

どこかで爆笑を期待して言った言葉に、藤五郎はキョトンとした顔で応えた。


「志信は草の者ではないのか」


「クサ?」

今度は志信がキョトンとする番だった。

「草って…」

(草の根運動?……じゃないよね)

「いや、そういう……のではないと、思う」


しばらく、探るような目でお互いを見ていたが


「身はそれでも良い。身には志信しかおらぬ」

藤五郎は志信の目をまっすぐ見てそう言った。


「身分のことを気にしておるのなら、気にするな!

身が母同様、しかるべき方の養女となり嫁いで参れば良い。

殿が、この藤五郎が見込んだ女ならば、御連枝の飯尾様の養女にしても良いとまで、もうしてくれておる。

案ずることは何もない!」


「え……ちょ、ちょっと待って」

いや、直球すぎて目がくらむ。

この22年間で最初で、恐らく最後の直球勝負の言葉に、胸の動悸がキャパオーバーを知らせてくる。


「志信とて、羅衣らいを交換しようと申してくれたではないか」


お預けを食った犬のような顔をして、藤五郎は、大切そうに包みを背中から下ろして差し出した。


「男女が自らの絹の衣を思う相手と贈りあう事ぐらい、身とて知っておる」


真っ直ぐな仔犬のような黒い目を前に如何いかにして、断れようか。

それくらいの乙女心は志信だって持っている。


持っているのだけれど……


持っているんだけども……


「あ、私ったら……それ、そう!ら、羅衣、忘れちゃった」


志信は、二、三歩後ろに下がると

「ごめん〜!取ってくるわ!」


言い放って、脱兎だっとのごとく逃げ去った。


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