第4章 それは運命の恋の始まり……か

 

 白い霧がその懐に抱く林の中で、突然、恋に落ちた少年は策をねる。


志信しのぶは二十二だと申された)



竹丸たけまるは必死で頭をめぐらせた。


(二十二……ということは既に子の一人、二人いておかしくない。


相手さえおらねば)


嫡男の正室などは別として、嫁は子持ちの後家から貰えと言われているくらいだ。


そう、問題は相手が生きているかどうかだ。


(まぁ、生きておっても何とかするしか無い……

先手必勝で攻め込むのが肝要だと母上も申しておられた。)


うん!

竹丸は力強く頷いた。


(とにかく、まずそこをさり気なく、さり気なく、さりげな〜く、聞き出さねば)


ゴホン


「あ〜、志信の夫君ふくんは……さとで、お、お待ちか」

「ふくん?」


「あ、あ、嫁入りさ、さ、先の……

あ〜、志信は、何方いずかたかの御内室ごないしつ……か?……あ?」


気がつくと剣呑けんのんな雰囲気が、何とも殺伐さつばつと流れている。


ハッとした竹丸はうなだれた。


先ほど、傅役もりやくの爺と乳母に、女の扱いが下手すぎると、指摘されたばかりなのに……


「あ、これは重ね重ね、無礼なことを」

とりあえず、ゴニョゴニョと謝る。


「ホントだよ!失礼だよ!嫁入りなんてしてないよ!」


竹丸の顔が、パッと明るくなった。


「何と!独り身でおられるのか!それは良い!」


「はぁ?それは良いぃ?」


辛くて、辛くて、何度お風呂の中で泣いただろう。

結婚を考えていた男に振られるだけでも辛いのに、ヒソヒソと悪者扱いにされ、直接言われないので、弁解すらできない。


それが良い?


「あんたさ!何それ!」

志信は怒りに突き動かされ立ち上がると、ドカドカと大股に竹丸の直ぐ側まで歩いて、仁王立ちに立った。


屈折した怒りの炎が、酒の力を借りてメラメラと燃えさかる。


「おお!」

(朱色の炎に照らされて立つ、(自分)が思いは、何と凛々リリしく美しいのか……)


竹丸はうっとりと志信を見上げた。


「逃げられたんだよ!」


志信は竹丸の襟をひねり上げ、ガクガクと揺さぶった。


「お……し、志信?」


「親友だって思ってた子にさ!寝取られたんだよ!」


ついでに顔を近づけ威嚇いかくする。

俗にいう、八つ当たりというものである。


「私のどこがあの子に劣るっていうのよ」

子供に聞かせる話ではない。


「謝れば、まだ許せるものを」

少し酔っているのかも知れない。


「私が悪いってどういう理屈よ!!」


「そ、それは何とむごいことを」


中腰になった竹丸は、必死で志信の激情をなだめようとした。


「左様な事をし申すやからは、男とは申せぬ」

「でしょ!」


「そもそも全く見る目のない男じゃ」

「でしょ!」


「志信のように、見目麗みめうるわしい女子おなごはそうはおるまい」

「でしょう〜」


「しかも、志信は人となりも明朗にて、いたく好ましい」

「そうなのよぅ!ほんと竹丸、あんたいい子だわ!」


ウンウン!その通りだ。

言って欲しいことを言ってくれる。


「志信の事を左様に悪し様に申すとは、同じ男として何とも許しがたい。

身が一言申してやっても構わぬ。

何なら、殿に掛け合って尋常にひと勝負しても良いほどじゃ」


良い子だ!竹丸!


「左様な裏切りを、親御殿は何と申されておるのか」


「いや、それが親もさ、それどころじゃなくってさ」


いよいよ子供に聞かせる話じゃないじゃん。

「ほんと、折りが悪いよね。」

笑おうとしたら、涙が出て来た。


良い大人が何しているんだ。

理性が、頭の端でカンカンカン!と警鐘けいしょうを鳴らす。


「なんか、ごめん」


でも、頭を撫でる竹丸の手は大きくて、すがる胸は厚くて、たくましい。

どうしてこの子の腕の中はこんな風に落ち着くのだろう。


この心臓の音は誰のものだろう。


「そ、そんな辛い目にあっておるなら、み、み、み、身でよければ、あの、その〜引き受けても良いぞ……」


ん?何を?


「あの、あの嫡男ちゃくなんではない身では、駄目であろうか」


「へ?チャクナンって何?」


「あの……身が母は身分が低いので、よほどのことがない限り、父上のあとを取ることは出来ぬ故……」


笑顔がどこか悲しげだ。


「しかし……あのあの志信のことは、た、た、た、た、大切に」


竹丸は俯いて、またゴニョゴニョと言っている。


「も、もちろん、父と殿には申し上げ、あの、厳しいかもしれぬが、必ずや承諾を頂く所存しょぞん……」



……もしかして竹丸っていいとこのボンボン?



そう言われてみれば、現金なもので薄汚れた顔もどこか気品があるように感じる。


それにその「タケマル」って……響きからして由緒正しげな名字だ。



そうだ、お金持ちのボンボンで、お母さんが二号さんなんだな。


それで、本当はお父さんの会社の仕事をしたいんだけど、無理だからグレてお酒なんか飲んでるんだ。


「竹丸さ、そういうの気にしない方がいいと思うよ」

うん。

志信は力強く首肯うなずいて見せた。


「やりたいことを、ガツン!とお父さんに言っちゃえ!まだ若いんだからさ!」


あははははと背をそらして笑う。

味醂みりんのような酒だが、なかなか酩酊めいてい率は高いのかもしれない。

それとも、頭を振りすぎたせいだろうか……


「さ、左様か……」


焚き火であぶられたように竹丸の顔が赤い。


(だから子供に、お酒は早いんだよ)

微笑ましい。


「そ、そうか。志信は、身で良いと思うてか」


竹丸の顔が明るくなり、腕の中に抱え込まれている志信は嬉しい気持ちになった。


良いね!


前途ある若者が、親の反対を押しのけ、未来をつかんで行く!

「うん!竹丸、良いと思う!」


「さ、左様か!左様か」


竹丸も嬉しそうに何度も首肯うなずいている。


(ああ良い子だ!)


竹丸の笑顔はとても素直で愛らしい。

いつまでも見ていたいくらいだ。


「うん!」


まるで、二人に笑顔が戻って来たのを見計らうように、白い林に陽の光が差し込んで来た。


「あ、霧が晴れてきた……」


志信が言うと、竹丸もあたりを見渡した。


「志信は、しばし、この辺りに来られるのか」

「え〜。どこかわかんないから、来られないかな」


「……左様か」


抱きついていた志信を少し離すと、竹丸は腰紐につけて居た小刀を抜き、木に印をつけた。



「では、春になったら、またここで会い申そう」

「あ、じゃあ、ライン交換しようか」


「ら、ら、ら、羅衣らい?交換?」

また竹丸が首まで赤くなった。

(思い合っている男女が自ら肌に付けている絹の小袖を贈り合うとかいう古式ゆかしい、あの儀式で御座ろうか?!)


「ええええ……み、身は麻で……

持っては来ておらぬし……

まさか斯様かようになるとは思わざらぬ故に……

まことに申し訳ない。


せっかく、左様さよう女子おなごの志信に申し出て貰うたに……

恥をかかせるような事に相成あいなり、まっこと面目無めんぼくない」


ショボンと項垂うなだれた。



(あら、やだ。かわいい)

志信は大型犬に懐かれたような気持ちがして、ほっこりした。



竹丸は、ハッとしたようにふところから固い紙と竹筒を取り出すと、何やら書き記して、押し付けてきた。


「あ、あ、あの、これが、これがである。

あの、あのう、身の普段おる所じゃ。使いを寄越してくだされば……


いや、あの。

勿論、あのう、直に寄って下されても構わぬが、身はしゅ、しゅしゅ、主郭におることが……故に門番が、あの、あの……」


「あ、じゃあ、私も」


夜半、宿直とのいのそこに突如現れる志信を想像して、一気に舞い上がった竹丸は、また真っ赤になって、口籠もった。

その竹丸を軽く無視して、志信は紙とボールペンを出して連絡先を書き記した。


「では志信。

身は来年、一人前になる。待っておってくれ」

竹丸は誇らしげに胸を張った。


(あ、高校生になるのかな。)


と言って、大人になるわけじゃないのに


(可愛いね)


きっと新しい環境になったら、新しい見方ができるようになって


新しい自分にあった人間関係ができて来る。


(私のことなど忘れるだろう)


そんなもんだ。


でも


「そうだね、また会おうね」


志信はにっこりと笑った。


焚き火を始末し、地面に手を当てて、温度を確認すると、竹丸は、志信の胸あたりで揺れる浮き玉に目を向けた。


「志信。それは耆著きしゃくか」


「え?知っているの」


「身も持っておる。母より頂戴ちょうだいした」


 以前、母が不快との知らせが城にあり、根城(自分の本拠の城)に久し振りに戻ったところ、死の床にあった母がくれたのだ。


今日はその母の法事で、帰って来たところだ。


竹丸は手を伸ばして、そっと志信の結い上げている髪を撫でた。


そこにしてある紅い飾りの付いた細い小刀は、母が持っていた物に似ている。


(この出会いは、母がもたらせてくれたものかも知れぬ)


「折角じゃ。羅衣の代わりに交換せぬか」

竹丸は赤い顔をして申し入れた


「へ?交換?」


竹丸は、懐から出した手のひらに乗るほどの小さな桐箱を志信に押し付けた。


「や、約定やくじょうの印じゃ」

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