第8章 祈り


「伊万!」


「秋水!」



目の前に秋水がいた。

腕を引っ張られて立ち上がる。


「伊万!」

秋水の胸に顔を埋める。

暖かくて、固い。


あんなに焦がれていた秋水の温もりだった。



美しい声が響いた。



【幼子よ、早く行きなさい。時が追いつく前に】





黄金の野に流れる川で、珠が輝き、震えている。



二つも……




それを野風が強ばった顔で見つめている。

その横に鎧通しの付喪神のあつが座っている。


厚の体から、「思い」が光の粒となって、恐ろしいほど光を発している母子像へと流れ込んでいく。



祈るように目を瞑り、溜めた思いを削り、ベレンへ流して行く。

逆立った髪の毛から

逞しい肩先から


眉間に皺が寄り、苦しげに息を弾ませながら。



惨劇のきっかけになった、気の毒なかつての主人あるじ、秀次のために……


愛情を込めて、手入れをしてくれた、愛しい君の優しい心が癒されるように。


厚の体から影が無くなり、存在が薄くなっていく。


「厚……助けが必要か」

野風が問うた。


が、厚はかぶりを振った。


「関白のご恩は……我が返す」

もはや色のない顔を歪めて笑う

「大丈夫じゃ、傅兵衛でんべえが待っておる。誰が、散るか」


珠の輝きが更に深くなり、呼応するように輝く珠が浮き上がり震える。


「……!」

ギリと厚が唇を噛む音がする。


野風は影が薄くなっていく厚の体にそっと手を添えて、ため息をついた。


なぜ、付喪神は身を損なうほどに人の子を愛してしまうのだろう……


最後の力を振り絞るように、厚が目を見開いた。


「ぐ……」

もはや言葉すら、音にならない呻き声をあげる。


(まだか!)

野風は苛立って、川の水面を睨んだ。


厚の体が震え始めた。


予定では、たった一つの珠を過去へ送り込むだけだったのに。


(ああ、なんてことだ。)


思いの外、次の手の為の、現と薄闇を重ねるのに時間が掛かってしまった。

上手く繋げねば、万一にでも違うものが彷徨い込めば、はかりごとに支障が出る。


それにしても


(亜久里殿が開けてくれた穴が役立つとは)


 あの日。

思いがけず、あの日。


亜久里が店にやって来てしまい、鈴里が幼い亜久里の元へ駆けつける前に、大人になった亜久里が彷徨いこみ、子供の亜久里の方へ近づいていった。


機転を利かせた、櫛の付喪神……

あの勘九郎から贈られた櫛の付喪神のゆいが、勘九郎の元へ亜久里をいざなったから良かったものの。


しかし、幼い亜久里と大人になった亜久里が薄闇の中といえど、同時に存在してしまった為に、軋んだ空間は別の亀裂が入ってしまった。


「あの穴の所為ではないか」


予想を下回る時の障壁への衝撃は、

「あそこに穴が開いた所為ではないか」

そう言う付喪神もいた。


しかし、時の障壁を緩ませる為に、縁のある方々を通すのに役立つとは。

(これも神があの方を愛している証拠ではないか)


生きよと。


着々とそれでも謀は進んでいく。



腕の中の厚が、震えながら消え始めている。


(逝くのか)


厚はもうここで消えて、共にその日を迎えぬのか。


(それでは……困る……)

野風は厚の気持ちを損なわず、助ける道に思いを巡らせた。


ぐぁ……


顔を歪ませ、口を大きく開け喘ぐ。

断末魔のように体を震わせ、脚の先から金色の粒子になって厚が消えていく。



(厚が気を失えば、その隙に乗じて手を貸せるが……)


しかし、それでは誇り高い厚は、一生不甲斐ない自分を許すまい。


(早く、渡れ!)




「厚!」





こうがいの悲鳴がした。


後ろから目貫が転びそうになりながら走ってくる。


「散らんでくれ!厚!」

足をもつらせながら必死で走る。


「ベレン!力もないくせに、余計なことを!」

怒りに満ちた笄の声が川面に響いた。


それも最早厚には届かない。


「厚!」



サラサラ、サラサラ


厚の姿が揺れて、黄金の光の中に消えていく。


「あつぅ!」


笄は野風を突き飛ばし、最早輪郭を失い始めている厚を抱きしめた。


「わしを置いて散るな!」


一気に笄の体が膨れ上がり、黄金の粉を振りまきながら厚を包み込み始めた。


「厚!」


笄の体から吹き出た黄金は、厚の体を一瞬取り戻させたが、直ぐにベレンに送られ、二人とも揺らいだ蒸気のように消え始めた。


「笄!主まで散る!離れよ」


「嫌じゃ!厚が散るならワシも共に逝く!」


涙と鼻水で顔を汚した笄が消えながら叫んだ。


「あほか、ぬしは」


一瞬目を開いた厚がニタリと笑って、声を失った唇でそう言った。


「笄!」


その笄を目貫と小柄が抱きしめる。


「逝ってはならぬ!我らには大望があるのじゃ!」


二人の体から、笄へ想いが流れる。


そして


笄の体から厚へ、厚からベレンへ


思いが流れていく


愛しくて、愛しくて……


ただ愛しい


純粋な愛の想いが黄金の粒子となって流れていく


野風は、皆を抱きしめた。


「散らせはせぬ!」



その時


聖母の奇跡が起きた。


黄金の宙にボッと白い光が生まれた。


厚の助けを借りた、聖母の祈りの道が現れ始めた。


細く白銀に光る架け橋



それは高度成長期と呼ばれる時代のとある家へ


そして、もう一つは戦国期の濃尾平野が広がる、十文字槍の名手、森三左衛門可成もりさんざえもんよしなりの葉栗の屋敷へ




呼応して輝く二つの珠が聖母の白い道へ……

吸い寄せられ、その場所を変えた。








風が吹く。


黄金の野に静かな風が駆けていく。



「野風……厚」


振り返ると、そこに秋水……



いや、後世高名になる森乱丸、また鬼武蔵こと森長可らの長兄、森傅兵衛可隆もりもりべえよしたかが、漆黒の髪を風に棚引かせ立っていた。


「帰って参りました」


まだ体が半透明な厚は目を細めて笑った。

「ほれ、我らは相愛そうあいであったであろう」

「ええ、左様でございましたな」


近づいた侍姿の傅兵衛は、そっと優しく厚の体を笄ごと抱きしめた。

厚の体が黄金に輝き、姿を取り戻し始めた。


それに伴い、三つ子たちも形を取り戻した。


「おお……」


心配して駆けつけてきた付喪神から安堵の声が上がった。



「何を言うておる、馬鹿厚!

其奴こやつが相愛なのは十文字槍であろう!

馬鹿め!騙されるな!」

こうがいが鼻声で叫んだ。



「これ!要らぬ事を言うてはいかぬ、笄!」

目貫が袖を引き。

「厚に嫌われるぞ」

小声で囁いた。


「されど、されども」


わっと泣き出した笄に、厚がニヤリと笑った。


「心配をかけたな、笄」

「心配なぞしておらぬわ!くたばりぞこないの鎧通しめ!」


抱きしめていた厚を突き放して、立ち上がった。


「主なぞ!人の子に良いように利用されて、バカじゃ!」


「これ!笄!待て!」

「すまぬの!厚。あれでもずっと気を揉んでおったのじゃ」


顔を赤くして走り去る笄を、三つ子の片割れの目貫と小柄が慌てて追いかけた。


振り返って笑った厚を抱く傅兵衛の髪のまげには、彼の代わりに未来へ行った少女の紅の元結いが結ばれていた。






砕け散った白い陶磁器ベレンのかけらを手に、店主は苦笑を浮かべた。


時に、我らは人の子を愛しすぎてしまう。



「ほんに困ったものです」


店主は肩をすくめた。


「良い加減、ちゃんと玻璃はりを残してくれねば、いつまで経っても仕事になりません」



そしてそれは人の子に対してだけではない……



店の隅で兄弟たちに抱きしめられながら、泣いている笄を見ながら、店主は笑った。



(ほんに馬鹿じゃ)



店主はそっとこめかみを撫でた。







(散ると分かっていても、命の果てまで何度でも追いかけていくのでございますか)



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