第7章 廻る運命の輪


  伊万いまは京の父の屋敷に入った。


旅の汚れを落とすと、奥座敷に落ち着いた。


「明日には殿下よりの御使者殿とのご対面がございます」


侍女の口調にもあきらめが漂っている。


伊万は無表情に首肯うなずいた。


笑い方が分からない。

頬が、固まって動かない。


帯を締めすぎたのか、息が詰まる。


(後で少し緩めて貰わねば……)


薄暗い部屋で、闇が動くように侍女が食事の膳を運んできた。


よく聞こえないが、何かいっているようだ。


箸を取って食べる。


食べている自分も遠い……


まるで水の底から、茶番劇を眺めているようだ……


まるで自分がからくり人形になった気分だ。




夜半


伊万は悄然と臥所の上に横たわって、置いてきた出羽の山々を思い浮かべていた。

伊万の名前をそこから取ったという、青く空に溶け込むあの頂。

爽やかな山から吹くあの風。


父上と母上はどうしているだろうか。


私が居ない城は、いつまで私の影を留めてくれているだろうか。


いつしか、居ないことが当たり前になり……


「姫様、起きておいでになられ申すか」


ねっとりと蒸し暑い空気を入れるようにして、侍女が部屋に入ってきた。



「伊万姫様には、殿下のご家老の城に移られますよう」

お達しが届いたという。


「殿下は既に御生害ごしょうがい(切腹)という話でございます」


侍女がささやいた。


「それでは」

(帰れるのか)


問うと侍女達も口元を綻ばせて、首肯うなずいた。



淡い期待が胸の奥から湧いて、氷を溶かして行く。



「では何故なにゆえ、殿下の家老の城になど」




妻妾さいしょう共々、処刑との噂にございます」


薄暗い廊下で、伊万の父の家臣に使者は衝撃的なその話をそっとささやいた。


「早く退去されませ」


早馬が、京の屋敷から国許くにもとへ走った。



 




 秋水は部屋の向こうから聞こえる、小さな言い争う声で目が覚めた。



「秋水くんは入院させればいい。そうすれば母も納得するから!

このままでは秋水くんはもう長くは生きられない。

でも、それなりのことをすれば、まだ……」


「あの子は、あの人の忘れ形見なの!

あの子を一人病院に放り込んで、私だけ幸せになるなんて無理!

分かってちょうだい!」


嗚呼……


「君だって弱っているじゃないか」


「あの子を手放すなんて、死んだほうがマシ!

あの世にいって、あの人になって言ったらいいの?

あなたはそれでいいの?」


どうか……


「じゃあ、せめてこのお金を受け取ってくれ」


「貰えば、申し訳なくなって、あなたやあなたのお家の言うことを聞かざるを得なくなるわ。」


どうして……



男の小さなため息が聞こえる

「ああ……せめて、女の子なら」




秋水は骨の浮き出た……


と言うより、もはや骨に皮が付いただけの指を動かした。




助けて……




どうか皆が幸福になるようにして。


(私はどうなっても構わない)



握りしめた手の中で、その聖母像が光を持った。


【幼子よ】




「いかぬ……無茶だ!渡らせるには、ベレンだけでは力が足らぬ!」


厚は川のほとりで、一つの光る珠が逆流を始めたのを見て叫んだ。


「時の狭間に秋水を落とすぞ!」


厚は思わず足を川に踏み入れかけて、息を呑んで踏みとどまった。

この川に足を踏み入れれば、付喪神と言えども争うことも許されず流れていく禁忌の流れである。


「クソ!野風はまだか!」


その間にフワリ、球が僅かばかり水面から浮き上がった。

そして、もう1つ……


「やめろ!ベレン!」



厚は絶叫した。



「ワシの主人らを傷つけたらタダでは済まさんぞ!」






 伊万いまは震えながら、牛車に押し込められ、運ばれていく。



見たこともない夫のために、侍女以外見せたこともない、柔肌に寝間着の白の小袖一枚というはしたない姿で、前簾まえすだれのかいまから差し込む、好奇と憐憫れんびんの視線にさらさされて、ゴトゴトと運ばれていく。


同じ牛車の中には、小さな子供も乗っており、若く美しい母親にすがりついて震えている。


乾いて白くなった道を行く。


深い紫色の影が、十も十五も連なって、京の都を進む。


異様だ。


その哀れな牛車の立てる車輪の音は、時の権力者の狂気を天下に晒し、政権の崩壊の足音に聞こえた。


(どうして)


 つい三月前までは、父母の愛に包まれ、何不自由なく暮らしてきた。


去年の今頃、まさか一年後にはとが無くして罪人となり、首を斬り落とされるなど想像すらしなかった。


 いよいよ車は河原に止まり、枝のついたままの木を組み合わせた、鹿垣ししがきの中に追い込まれる。



暑い夏の終わりの太陽は容赦なく、つい二、三ヶ月程前までは天下人の妻妾として、豪華絢爛な城の奥深く、何不自由なく暮らしていた、白い罪人姿の女子供を焦がすように照りつける。



三条河原には、三方さんぼうに乗せられた天下人、豊臣秀次だったものの首が、白い眼差しを天に向けて、どろりとえられている。


その向こうに、大きな穴が黒々といくつも口を開けており、周りにむしろが敷いてある。


「キャー」


突如、子供の悲鳴が熱い空気に響いた。


そちらを見ると、一人の童が無残にも犬の仔のように襟首を掴んで、高々と持ち上げられ


「ぎゃー!」


そのまま冷たい刃が柔らかな腹を貫かれた。


三方に乗った秀次の長子、五歳の仙千代丸の、今際いまわきわの恐怖と苦痛に満ちた声が、河原の空気を切り裂き、乾いた青空に消えていった。


その声は京雀の耳にも達し、周囲は水を打ったように静まり返った。


後世にも残る惨劇が始まった。



「おは、はうえ、さまぁ!」

別のわらべの声がする。


足が震え、立っていることすら難しい。


「伊万姫様」


軟禁されて居た屋敷で仲良くなった女が手を引いてくれる。


美しい顔も流石に青く血の気が引いている。



そっと握ってくれている、その細い手の震えが、逃れられない運命を示している。


それでも尚、気丈に必死で笑みを作って、まだ幼い伊万に慰めを与えようとしている。



その健気な姫の笑顔を受けて、伊万は唇を強く引き締めて、顔をあげた。


あの世で秋水にあった時に、恥ずかしくない様に身をしょそう。


既に周囲は、鉄のような血のムッとする匂いが充満している。


焼けた河原の石が、足に熱い。


一歩一歩、背を伸ばし顔を高く上げて、筵へ向かって歩き、腰を下ろした。


恐れることはない。


最早、ない。


後ろに人が立った。


シュッ


刀が空気を斬って振り上げられる。



(秋水!)


封印をしたその面影を呼ぶ。


胸に潜めた、昔父が右府うふ様に下賜かしされたという、空洞に秋水の髪の毛が入った南蛮人形の母子像をそっと押さえた。



冷たい金属が、細い伊万の首筋に触れた。

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