耆著の指す楽園

第1章 白い霧 通い道

  

 迷ってしまった…



一体、私は何がしたかったんだろう…


最悪なことに、命綱のスマホには「圏外」と、冷酷に表示されている。




 志信しのぶは大きな木の根元にクタクタと座り込んだ。


そのまま膝を抱えて、その膝に頭を埋めた。


辛い……


必要以上に情け無さが胸に迫って、喉に苦いものがこみ上げてくる。

もういい歳なのに声を上げて泣きたくなってきた。



(何だか、最近の私の人生そのもの)




 そもそもの始まりは、丁度、人生の底をなめるがごとく、最悪に落ち込んでいる志信の元に、幼馴染の紗凪さなが久し振りに連絡をくれたことだった。


紗凪は家が近所で、保育園の時から一緒で、ずっと親友だった。

それが中二年の夏休みに、紗凪の家は突然、海外へ引っ越した。


今時海外だなんて言ったって、どこかで繋がることは可能なはずなのに


ずっと連絡が取れなかった。

ずっと音信不通だった。


(なんだ、親友だなんて思ってたのは私だけだったのか)


少なからず、思春期の志信は傷付いてしまった。


まぁ、なんだかんだと中学も後半戦になれば忙しく受験に向かい、高校となればそれなりに恋と友情に花咲く。


そして大学時代ともなれば、いつまでもそんな事を引き摺っていなくなるものだ。


それなのに

「帰って来たよ〜」

明るい声が聞こえた時には、思わず泣いてしまった。


「そっか、酷い目に遭ったね」


ただ、ただ、志信の言い分を受け入れて慰めてくれた幼馴染は、旅に誘ってくれた。


秋の黄金に輝く草原。


爽やかな吹き渡る風。


まだまだ暖かい太陽。


美味しい食事と露天風呂の宿。


夜には手持ち花火もできるらしい!


のんびりとした二泊三日の女子旅は、傷ついた心をいやしてくれそうに思えた。


事実、久しぶりの幼馴染との旅は、想像以上に楽しく、浮世の煩いを忘れさせてくれた。


(ああ、人生色々あるよね!)


紗凪の笑顔の向こうのそこが抜けたような青空を見ながら、視界が狭まっていた自分を思った。


そして三日目


ローカル線の電車の待ち時間で、偶然、見かけた小さな骨董屋に入ろうと言ったのは紗凪だった。


正直なところ、志信は骨董には興味はない。

はっきり言えば、あまり好きではない。


「志信には新しい世界が必要だって!」


紗凪に追い立てられるようにして、その店に向かった。



 まだ夏の香りのする、昼下がりの明るい太陽を背中に入った。


その薄暗い店内は、あまりに暗くて一歩入ったところで、立ちすくんだ。


すがめた目に、間口の割に奥行のある店内は、まるで奥で薄闇のトンネルに繋がってるように見えた。


地面に置かれた大きな壺や鉢が、まるで人が、かがんで座っているように見え、ブルブルと志信は身を震わせた。


気持ち悪い店だ。


いや、ここがというのではない。


骨董品なんて、前の持ち主の思いや記憶がベッタリついている気がする。


極彩色に毒々しく塗られた壺の、所々色褪せているのが、徹夜明けの女のはげた化粧のような情けなさが漂う。


欠けた皿を金継かなつぎしているのも、まるで捨てそこねて無理をしている腐れ縁の関係のようだ。


割れたのなら、潔く捨てて新しくしたほうがいい。


永遠なんてないんだから。


恋のように。

友情のように。


人は変わるのに、どうして物だけを残しておこうなんて考えるんだろう。


今さっきまでの浮かれた気持ちがしぼんで、ひどむなしい気持ちになる。


飴色の変なキーホルダー。

変な匂いのする棚。


おかしな顔の絵の描いてある、古ぼけたじく


打ち捨てられて、ぼんやり窓の外を見ている江戸時代のお妾さんのようだ。


(もし、ここに私が座っていても、誰も気がつかず、一年くらい経っていそう)


しんと静かに時間が止まっている。


(何これ)


ため息と一緒に、手に取ったこうがいを元の場所に返す。


うんざりしている志信を尻目に、紗凪は楽しそうにかんざしを見ている。

「ほら!これ良くない?そこにさしてみなよ」


紗凪は、頭頂に湯のみをひっくり返したような、志信の団子ヘアを指差して言った。


志信はうんざりと手を振った。

(誰かが差したものを身につけるとか無理!)



それよりも、鼻がムズムズし始めた。早くこの店を出たい。


(……ん?)


その時


このち果てて行く空間に似つかわしくない、きらめきを目の端でとらえた。


そちらを見ると、小さなつくえの上に置いてある、鉢の中の水が、窓からの光を反射させているのだった。


志信は人気がないのを良いことに、遠慮なく近づいていって、その水の中を見た。


青硝子あおガラスの小さな水盤だった。


不透明なターコイズの色が水に映り、昨日乗った船から見えた、美しい海を思い出させる。


その小さな海に、少し灰色がかった黒い、爪ほどの小さな舟型の物が、プカリと浮かんでいる。


「何これ」


耆著きしゃくと申しまして、昔の羅針盤らしんばんにございます」


志信は、文字通り飛び上がった。


悲鳴をあげて、卓に手をついて、その耆著の入った水盤を突き倒して、中の水をぶちまけそうになった。



すんでのとこを、伸びた細い腕に抱きかかえられた。


「大丈夫にございますか」

笑いを含んだ声が上からした。


「驚かせてしまいました。申し訳ございません」


志信は着物を着た背のヒョロ高い、変な男に片手で抱きかかえられていた。


「あ!すみません!」

謝りながら、志信はその男を軽く突き放した。


社会的礼儀正しさの仮面マスクかぶることは身につけた。


しかし今の志信には、見知らぬ男の人に抱きかかえられて、ありがたがれる程心の余裕は……ない。


「あ!危ない」

男はあわてて、もう片手に持っていた、小さな水盤を持ち上げてバランスをとった。


「あ!ごめんなさい!」


ちゃぷん


と水盤が抗議するように、音を立てた。





志信と紗凪は、神妙な顔で椅子に座っている。


笑顔で、ここの店主だと名乗ったヒョロリと背の高い男は

「さあ。お茶をどうぞ」


白く丸い湯飲みに、緑色のお茶を入れて差し出すと、その卓の反対側に座った。


 耆著は、やれやれという風に小さな海で、揺れている。


二人の視線に気がついた店主は、

「熱く焼いて、急激に冷やして磁気を帯びさせた鉄で、出来ているそうでございます」

耆著の入った水盤を卓の中央に置き直した。


「あ〜、コンパスですね」

紗凪は仔犬のような黒目がちの目を見開いて、愛想よく相手をする。


「左様にございますね」


ふわりと湿っぽく、鼻につく……田舎のおばあちゃんの、そのまた母さんの、古い箪笥タンスのような香りがした。


クシュン!


クシ!

クシ!


「はぁ〜」


ズズズズ

鼻が……鼻が……鼻水が


店主が笑うのを何とか耐えているという風情で、志信にティッシュを差し出した。


「ありがとうございます。あ、普通のテッシュだ。良かった!」

「え?」


(うわ!なんてことだ!)


鼻水とともに理性まで溶けて鼻から出て行ったのか、思考がダダ漏れだ。


どうも、人生の酷い打撃を受けて、大人としての社交性とか、常識とか、いろんなものが吹き飛び、本能だけが置き去りになってしまったようだ。


不審ふしんそうに首をかしげる店主に、志信は慌てて言い訳をした。

「ご、ごめんなさい。なんか、んだ半紙でも出てきそうなお店だから」



「ちょ、ちょっと志信!」

紗凪が慌てて、袖を引く。


(ああ!)

フォローになっていない。




ぷっ!

店主は耐えきれず噴き出した。


「いえ、ご希望とあれば、和紙をお揉みしますよ」


「あ、ごめんなさい。ちょっと最近、すさんでいるもので……ごめんなさい」


慌てて志信が頭を下げると、店主はいえいえとほっそりとした手を振った。


「お嬢さん達は、ここの街の方ですか」


その質問に志信は勢いよく首を振って片手を上げた。

「旅の者です!」


サービスのつもりで格好良く決めた!と思ったが、店主はそのゲーム的ノリがわからなかったようだ。


ああと困ったように微笑んで頷いた。


ああ……


なんてこった。格好悪い……

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