第7章 傾く月

※1部グロテスクな表現があります。




「兄やん、飲み過ぎじゃ」



体格の良い男が二人、夜道を千鳥足で歩いていく。


「いくら飲んでも、遊んでも、銭の心配が要らぬのは気持ち良いのう」


「全くだ。いい金づるを掴んだものよ」


わははと男たちは下卑げびた大きな笑い声をあげた。


元は筋肉質の体だったのであろうが、今やその逞しい筋肉も緩んで、腹も突き出し如何にも崩れた雰囲気が漂っている。

日によく焼けた顔も酒で焼け、今日も浴びるように飲んだ酒で、首まで赤く染まっている。

糊のかかっていない着物は着崩れ、乱れた裾から褌の前垂れが覗いている。


如何にも身を持ち崩した遊び人の彼らの様子に、すれ違う人々は嫌そうに顔をしかめて、道を開けていく。  


「おい」


兄やんと呼ばれた方の男が、もう片方の男の腕を肘でつついた。


「あれ」


ニヤリといやらしげに笑いながら、クイッと顎で先を指した。

その指した先の木の陰にひっそりと細身の女が立っている。



夜目にも白い着物の細腰の辺りがなんとも色っぽい。


「おう」


男たちは顔を見合わせてニタリと笑うと、形ばかり着物の襟や裾を直しながら、女の方へ歩みよった。


ねえさん。一人かぃ」


男が声をかけると、女がチラリと男たちの方を見た。


片側につややかな黒髪を流したその女の、流し目の色っぽいことと言ったら……



「何でぇ、随分と綺麗な姐さんが、こんなとこに一人で立ってるなんざ、あぶねえよう」


「そうさ、俺たちはいい奴だからよう、悪い事言わねぇ。

家まで送って行ってやるぜぇ。なあ。」



女は困ったようにちょっと笑い、色っぽく体をくねらせた。


(これはたまらんわい)

男たちは卑しい笑いを顔に上らせ、女に近づいた。


「姐さんよう」


男が女の腰に手をまわそうとすると、女はスルリと身をかわして、二、三歩歩くと思わせぶりに振り返り、赤く塗った唇の端をキュッと吊って見せた。


「お……」


男たちは誘われるように女の後を追い、手を伸ばすとまた女が……


「えへへ、待てよう」


「随分と勿体ぶるじゃねえかよう」


男たちは、スルリ、スルリと身をかわし、品を作りながら先を歩く女についていく。


連日、浴びるようにして飲んでいる酒で、おつむりもすっかりやられて、どんどんと薄暗い山手の方へ誘われているのも気がつかない。



くるり


女が、突然振り返った。



「おう、姐さん。へへ」


さもしい期待に男たちは酒焼けした赤黒い顔をニンマリと崩して、手を伸ばした。





「ぎゃあああああ!」


振り返った女は、打って変わって老婆だった。


「くそ!ババアめ!」


「騙しやがったな!」


悪態つく男たちの前で、その女は手の先、足の先からドロドロと血みどろの死体に変わっていく。


指の先が溶け、白い骨が突き出し、ボテン、ボテンと皮や肉が落ち、赤黒い血が滴ってゆく……


見る見るあたりは、なんとも生臭い匂いが立ち込めはじめている。


「お、お、お……」



男たちは悲鳴もあげられないまま、ぺたんと腰を抜かした。

そして、いやいやと首を振りながらズリズリと後ずさる。


女は血を滴らせながら、二、三歩歩くと、力尽きたように、骨と肉の塊となり、地面にべたりと落ちた。


肉片の浮く血の池の中で、それでも恨めしげな顔がこちらを向いている。


男たちは、目を逸らせることも出来ず、必死で首を振りながら、ガタガタと歯を鳴らした。

立ち上がって逃げなければと頭のどこかで警鐘を鳴らす音が聞こえるのに、瘧にかかったように震え、力が入らない。


「ひ、ひぇ」


倒れた老婆の向こうから、黒い影が現れた。


全身に血を被った男がゆっくりと立ち上がってきた。

ゆらり

ゆらり

揺れながら立ち上がってきた男の、引きちぎられたような着物の袖から、奇妙な方向へねじ曲がった腕が垂れている。


ゆらり

ゆらり


白髪頭を赤茶色の血に染めた男は、潰れて折れた骨が見える腕を、腰を抜かした男たちへ伸ばした。



「げ!」

「あの夫婦だ!」


男の潰れた血まみれの腕は二本三本と増え、男たちをからめとるように、ふわりふわりと長く延びてきた。


男たちは、慌てて這うようにして、その手からなんとか、かんとか逃げようとした。



ところが、振り返ったそこには、同じように血に塗られた死体が山となって積み上げられている。


その上に、深紅しんく襦袢じゅばんに黒々とした髪を下ろした女が、太腿も露わに足を組んで座っている。

表面に光をたたえているような冷たそうな肌が、肩から胸元まで見えている。



「ふふふ」

まるで血を啜ったような唇を、思わせぶりに指でなぞる。



「お前たちの血はどんな味かぇ」


その赤い唇が割れて、長い舌がちろりと出てきた。


ずるり


濡れた舌が唇を舐める。


違う場所で見れば、堪らぬほどの色気だ。




周囲はまるで戦さ場のように、生臭い鉄の匂いが充満し、暗闇すら血で染まっているようだ。



ふわり



女は音も立てずに、地に降り立った。



金縛りにあったように、男たちは体を硬直させて震えている。



するすると女は近づくと、襦袢の裾がはだけるのも気にせぬように、膝をついて、男たちのすぐ側へ顔を寄せた。


なんと吸い付くような白い肌だろう。

月の光さえ吸い取って、その燐光で内からむっちりと光っているようだ。

切れ長の瞳は月の光で、銀色に見えるほど黒い。


その中で、濡れて光っている赤い唇がなんとも淫猥いんわいだ。


「兄さん、遊びたいんだろう」


その白い手で片方の年上の男のあごを掴むと……濡れた長い舌でゾロリ……男の顔を舐めた。



「ひっ」


相方あいかたが女に舐められるのを、震えながら見ていた男が、悲鳴をあげた。


それもそのはずだ。

女が舐める度に、まるで薄皮を削がれたように、顔に血が滲んで行く。


「ひ!ヒェ〜!」


「お助け、お助けください!」


「やだよ、助けてほしいって」


女はわらった。

「兄さん達、もうダメなのかぇ。早いねぇ」


とんでもない凄みのある、凄絶な笑い顔だ。


ペロリ

その笑顔で、男の血が滴った指を、長い舌で美味そうに舐める。


とてつもなく色っぽい仕草なのが、またおぞましい。


「アタシと、もっと遊んでいきなよう」


ニタリ

「ほうら、好きなんだろう?」


女は既にはだけている襦袢の裾を、さらに大きく割り、白い太ももの内側まで見せてわらった。


濃い朱色の襦袢の奥で、ぬめるように滑らかな内腿が、夜目にも青白く、浮き上がっている。

形のよい指先で、吸い付く肌を撫であげる仕草が、反対に男の恐怖を追い立てていく。


ゾゾゾと背筋が凍るのを感じた。

「た、助けてくれ!」

「何でもする」


「何でもなさるんでございますね」


女の後ろから出てきた細身の背の高い男が楽しそうに笑ってそう言った。


恐ろしく場違いなほど、屈託のない楽しげな笑顔が気味が悪い。


あつ、この国から叩き出して差し上げて下さい」


女はニタリと笑った。


「もう少しは楽しめると思ったのに、最近のやからは全く不甲斐ない」

鎧通しの付喪神のおぞましい微笑みに、男たちはたまらず泣き出した。





 その頃、暗い骨董屋の奥では、野風が今や二、三歳にしか見えぬ姿の付喪神を胸に抱いて、トントンと細く小さな背を叩きながら、そっと昼間のうたいを口ずさんでいた。


 格子窓から満ちてゆく月の光が差し込んで、淡く二人を照らし出している。


静かな夜である。


【今の世でも 耐えせぬものは、恋こそ 寝られね】



ガランと皆、出払った静かな店に、哀愁を帯びてかすれた、それなのに深みのある声が流れる。




ふっと微かな野風のため息に、その童子が目を開いた。


「野風殿は、思うておる方がおられるのか」


野風は、それに応えず、見上げてくる濡れた黒い瞳を見つめた。

姿は幼い童であっても、何百年と過ごしてきた付喪神の瞳は静謐としている。


「何とも深い思いを感じる声じゃ」


「ずっとおかしいと思うておった」


野風の言葉に、この世に仮の姿を現している、付喪神の視線が混じり合う。


「主はめた人の子の思いをすり減らして、かの者の短かき命を引き留めておるのであろう。

しかし、付喪神とて限りのない生を生きておる訳ではあらぬ。

主は最早、その姿とて長くは保てぬのではないか」


短刀の付喪神はハッとした顔をして、野風から目をそらした。


「それとも、主は人の子と散るを望んでおるのか。

わしはそれも一興いっきょうとは思う。


が、のこされるものの事も考えよ。

その身がくちち果てるまでのながき時を、永遠に届かぬ想いに身を焦がさせ、長き孤独な夜を過ごさせるのか。


主は一体どちらの元に帰ろうとしておるのか」


「の、野風殿は……」


ふっと口元を緩めた野風は、そっと和子の頭を撫でた。

「想い人が他の者を追うのを支える身は辛い。

少しでもそのものに思いがあるなら、ように考えよ。

主はアレの献身に甘えすぎではないかと思い至らぬのか」


問われた童子の頬に、ポロポロと大粒の涙が伝っていく。


「散るを望んでいるのならば、それはそれで、かのものに別れを告げねばなるまい。

そうせねば、身動きできぬ、かのものは正気を保つことも難しかろう。

さすれば、どうなるか、主にも分かるであろう。

主は、一体どちらを思うているのか」


二つか三つほどの幼い和子にしか見えない付喪神は、涙をぬぐいながら頷いた。


「あい、わかった。我が気ままにあった。野風殿、我を神社に連れ参らせよ」

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