第4章 鳳の短刀

 

「どういうことだ!」




 野風が神社を訪れていたその頃、骨董屋には直生なおの双子の片割れが、預り証を片手に怒鳴り込んでいた。


「どう……と申されますと」


店主は、小首をかしげて男を見返した。

ヒョロヒョロと厚みのない体は、大声をあげて脅しつければ、ナヨナヨとひよってしまいそうな程、ひ弱に見える。

しかし、白くのっぺりとした顔に薄い笑みを浮かべて、全く動じた風にもない。


「どう、だと!」


男は眉間にしわを寄せ、ギリギリと音を立てんばかりに歯軋りをした。

重ねて深い色を出している紺色の着物から出た腕は、程よく筋肉が付き、如何にも力強そうだ。

そして、店主が書いた預かり証をくちゃくちゃに握った手は、怒りでブルブルと震えている。


余りの男の剣幕に、ざわりと店の中の薄闇が動いた。


途端に早春の昼下がりの、のんびりとした店内の温度が、すぅと下がった。

いや

温度が下がったというよりも、空気が異質なものに入れ替わったような、なんだか身の毛のよだつ薄気味悪さがジワリと立ち上がってきた。

そう

厚や刀の付喪神達は、いつでも躍り出られるように、妖しくも刃にギラギラとした光を湛えて始めている。


が、激昂げっこうしている男は全く気に止める様子はなく、ツカツカと奥の帳場まで足早にやって来ると


ダン!


店主の座る帳場の机に、預り証を叩きつけた。


「あの刀はワシのものだ!返せ!」


店主は薄い微笑みを浮かべたまま、穏やかに男を見返した。


「と、申されましても……」

「この!

貴様、私を馬鹿にしているのか」


手を伸ばして、また性懲りも無く店主の襟を掴もうとした。

のを、軽く身をよじり、手を避けて店主は、男に向き合った。


「壊れ物の多い骨董屋にございます。手荒なことはされますな」

めあげた。


その細い目の鋭い光は、尋常じんじょうならざるものがあり、怒りに我を忘れている男も流石に相対あいたいしている男が、ひょろひょろとした見掛けによらぬ相手である事を察した。


ムッと息を呑んだが、行き場を失った怒りを、預り証に叩きつけるように、こぶしを振り上げて

「ダン!」

と、机にまた音を立てた。


「返せ!」

「出来かねます」


静かな、そして断固とした声で返した店主に、男は怒りをつのらせ

「何ぃ!」

尚、すごんでみせた。

こめかみに青い筋がたち、そそけだった白い顔の頬が赤らんだ。


「あれは鑑定に出しておりますから」


かわされた男は、顔を歪ませ荒い息を吐いて足踏みをする。


「どこへ!

取りに行く。言え!言わんか!」



「これは」

店主は答えず、預り証を細く長い指差した。


「きちんと了承を頂いて出した物。

勝手に左様な事を申されても困ります。」


「今すぐに銭がいるんだ。

預かり証を持った客が返せと言っている!

さっさと出せ!」


「それに」

店主は、その底光りをする細い目を男に据え、表情一つ変えず、薄い笑いを顔に貼り付けたままで続けた。


「今は廃刀令はいとうれいで刀の需要が減り、値崩れを起こしてございます。

他に行かれたらお分かりになるでしょうが、今時、刀なぞ大した額にはなりませぬよ」


店主は顔色を変えた男を、しばらくそのまま睨め付け威圧した。


「グッ」


店主に押し切られた男は、眉間に皺を寄せ、イライラと視線を左右させて苦悩を現した。


如何しようも無い苦境にあるようだ。


その姿に店主は、ふっと張り詰めていた気を緩めた。


そして筆を持つと、その預り証にサラサラと文字を書きはじめた。

更に帳場の銭函ぜにばこから幾らかの金を取り出し机の上に置いた。


「預かり金として些少さしょうですが、お渡ししましょう。」


「ああ!」

途端に男の表情が、ホッとし緩んだ。

そしてその金に飛びつくように、かっさらった。


手の中の僅かばかりの銭を縋るように見つめ、固く握りしめた。

それから顔を上げ、店主が憐れみを浮かべた顔でこちらを見ているのに気がつくと


「次!次、来たときには、ちゃんと銭を用意しとけ!」


捨て台詞のような言葉を口にして、逃げるようにきびすを返した。


男の影が日除け暖簾のれんの布の上から消えると、

小柄こずか


店主の鋭い声に姿を現した刀のさやに納められる、封書を切ったりするのに使われる小さな、小さな刀の付喪神が、男の後を追って消えて行った。



 「返してしまえばよかったのに。面倒臭い」


不満そうに、小柄と共に刀の鞘に納める、頭や耳を掻く道具のこうがいが呟いた。

それでも、いつものような威勢ではなく、遠慮がちに目貫の後ろにコソコソと隠れて、厚の目を気にしているようだ。


それを聞いて、店主は困ったような顔で笑った。

先程までの触れれば斬って捨てられそうな険しい風情が嘘のように、いつもの、まるで日向ぼっこをしている猫のようなのんびりとした表情だ。

「お返しできないのでございますよ」


え?と不思議そうな顔で姿を現していた付喪神たちが店主を振り返る。


「だって、ほら」


店主は帳場机の向こうの箪笥たんすから、錦の刀袋を取り出し、紐を解いて、美しいおおとりの翼を広げるこしらえの短刀を出すと、すらりとさやから抜いてみせた。


「あ!」


「で、ございましょう?」






 男はイライラと歩いていく。


その後ろを着物姿の少年の小柄が、歩いて行く。


濡れ濡れとした黒髪を揺らして歩く色白の少年は、通り過ぎていく人がつい振り返ってしまう程に美しい。

つい足を止め、その後ろ姿を見送る年頃の娘もいるが、ふっと少年から目を離した隙に、記憶からその姿が滑り落ちていく。


小柄は隠れることなく、男の後をついていく。


気配のない付喪神で無くとも、今の男では全く気付かないだろう。

街道を歩き、川を渡り、男は急足で前のめりになって進んで行く。


下駄の音が川沿いの石畳に響き、春の日差しの中、消えていく。

しだれ柳の細い枝が、風に揺れている。


色白の美少年を背後に連れた男が、薄紫の影を地面に落としながら歩いていく。




 一方野風は、神社の鳥居をくぐったところで歩みを止めて、視線を地面に落とした。


「何をしておる」


鳥居の横に、薄汚れたこもが丸めて置き捨てられている。


野風は、その薄茶色のわらを編んだむしろの中に丸まっている、六歳か七歳ほどの子供に声を掛けた。


童子わらし、見えておる」


薄汚れたこもに包まれた汚らしい童子は、野風の声にはっと顔をあげた。


そして野風の顔を見ると、あわてて立ち上がって逃げようとしたが、一歩遅く首根っこをつかまれた。


「誰じゃ、ぬしは」


「離してくだされ!離してくだされ!」


童子は足をバタバタさせて、何とか逃げようとする。


「主は裸では無いか」


小さな汚れた手で、野風がつかんでいるこもを胸にあわせて隠そうとしているが、裸の白い腹や尻が見えている。


「何もせぬ。待て」


野風は肩に掛けていた羽織はおりを脱ぐと、地面に打ち伏してすすり泣いている童子を包んで抱き上げた。


「主は何の付喪神じゃ」




「どうした。神社に行ったついでに、神楽殿の見目の良さげな笛やらと交わって、子でも作ってきたか」


野風に抱きかかえて連れて来られた童子を見て、帳場に寝転んでいた厚が面白げに言った。


益体やくたいもない事を」


野風は首を振って、奥へと歩を進めた。

「しかし、まぁ、何とも小汚い童子わらしの付喪神じゃの」

「欠けた陶器の付喪神かい?」

「野風も物好きじゃ。

拾うならもちっと、まともな物にせい」


童子は引きつった顔で、ワラワラと湧いて、覗き込んで来た付喪神たちを見渡した。


「どうした。同類を見たは初めてではあるまいに」

厚が顔を近づけ、覗き込むと、童子の付喪神は、野風の胸に顔を埋め、ふるふると首を振った。

そして

「我を神社に戻してくれ」

そう言うと、大きな声を上げて、ワッと泣き出した。


突然の大きな声に厚が、隣に立っていた笄の肩に手をかけた。

「なんとまぁ、なりに合わぬデカい声じゃ」


「こりゃ、野風が神社から、かどわかして来たに違いない!」


一気に頬を染めた笄が嬉しげに上ずった声を上げた。




「あなたはこの短刀にございましょう」


店主が錦の袋から、さやつかなどを取り出した。


その童子は泣きながら手を伸ばした。

「我のあつらえじゃ、返してくれ」


野風の胸に抱きかかえられていた童子は、店主の方へ手を伸ばしふわりと身を浮かせた。


その途端、その姿が消えて、刀が元に戻った。



「これは、手入れが必要にございますね」

すっかり曇った刀身を眺めて、店主は笑った。




「なるほど、抜身ぬきみで、しかも人のけがれた思いを吸った刀が、自ら神域に入るは難しかろうの」


鎧通しの付喪神であるあつはおかしそうに口を歪めて言った。


店主に手入れをしてもらい、サッパリとした短刀の付喪神は帳場の座敷に、神妙な面持ちで座っている。


「今、主が神社に戻っても、何の解決にもなるまい」


野風は童子の前に座り、事をさとすようにして語りかけた。

童子は、俯いたままジッと唇を引き締め、一心に涙をこらえている。

櫛の付喪神の於唯おゆいに、髪の毛を稚児髷ちごわげに結って貰った童子は、鳳凰の地模様の付いた水干姿に戻り、何とも愛らしく見える。


鏡の付喪神の於杏おきょうたちは、世話を焼きたげに目を細めているし、三所物の目貫めぬきは頬を染めてしきりと着物のありもしない皺をソワソワと気にしている。


「しかしながら、この大きさは可笑しゅうございます」


童子のすぐ側に座った店主は、目を細め鋭い眼光でジッと彼を見据えた。


「おかしいとはどう言うことか。

幼げでも立派な刀であろう?」

口籠もりながら目貫が抗議した。


「そうよの。童子の付喪神もおるわいの」

そっと目貫の頭を撫でながら、於杏が頷いた。


「刀でもこの姿は、古式ゆかしいものにあろう?

さすれば、代々床の間などに飾りおったものではないのかぇ」


「ええ、物によっては童子どうじの形(なり)をした刀の付喪神もおりましょう。

しかし、お飾りでも無く、戦さ場にくぐって人の子の首を掻き切り、血をすすった、このような刀が童子なぞ」


フッと嘲るように、店主は童子を嗤いかけた。


「何の茶番にございましょうか」


「血を啜った……」

ハッとしたように、女たちが童子を見ると


「我を神社に返してくれ」


おおとりが舞う指貫の膝のあたりを握りしめ、ポロポロと大粒の涙をこぼしながら、短刀の付喪神は訴えた。


「どうか返してくれ」


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