第3章 表裏の色

  翌日、野風のかぜ直生なおのいる神社に向かった。


 すると、出て来た歳の頃は四十ほどの、小太りの禰宜ねぎが、直生は昨日帰ってきた途端、倒れて寝込んでいると面会を断った。


「では、直生殿の素性すじょうを教えて頂けませぬか」


野風が問うと、首を振った。


「わざわざ足を運んで頂いて、申し訳ございませんが、左様なことは出来かねます。」

慇懃無礼にそういうと丁寧に一礼をして、さっさと踵を返した。


野風は溜息をつくと、神社の社務処を後にした。


 その頃直生は、禰宜が野風に言った通り、その神社の境内けいだいの奥の屋敷の、割り当てられた自らの部屋の床についていた。


白くピンと張った敷き布の上で、苦しい熱の中にいる。


床の横には、色の黒い丸顔の男が座り、ジッと心配そうに直生を見下ろしている。


於松おまつ殿」


直生が掠れた声で男に呼びかけたが、返事は無い。


「どうされたのか。左様に暗い顔をして」


直生は切れ切れに重ねて問うたが、於松は何も言わない。

ただじっと、直生の様子を心配そうに見ている。


 於松とは、近所に住まう、直生にとって幼馴染の男である。


お互い寂しい身の上だった為、実の兄、弟のように思い合っている。

小さな頃には、仔犬がじゃれ合うように、転げつまろびつ遊んだものだ。


(まるでわしが、竹馬でしくじって、怪我をしたときのような顔をしている)


直生は、熱でかすむ視界の中、於松の暗い表情にそう思った。


神社の裏手にある、宮司と見習いの出仕たちが住む住居の中庭の、小さな築山つきやまは、坂といっても大したことはない。


竹馬で、一直線に於松に向かって降りて来て、その優しい胸に飛び込む筈だった。


於松が止めるのも聞かず、いや、心配そうに止めたからこそ、直生は、築山の緩い坂を駆け降りた。


勢いのついた竹馬は、まだ幼かった直生の力を越えて、後もう少しというところで、直生を振り落とした。


受け止めてやれなかったと、於松は血だらけの直生を抱きしめ、泣きながら謝った。

(何と懐かしいことだろう)


直生は於松に弱々しく笑いかけた。


(ああ、それともわしの兄だ、弟だとか言って来たあの男のことを心配しておいでか)


「あの男の事はもう心配して下されなくとも大丈夫じゃ。

あの刀が縁を切ってくれた。

於松殿こそが我が兄。於松殿だけが我が身内じゃ。」


それでも何も言わず暗い顔をしている於松に、直生は言った。


「ほれ、竹馬の時とて、翌日には怪我は無くなっておったであろう。全て左様なものじゃ」




 「おや、お帰りなさい」


街道沿いに茶店のようにして立つ、骨董屋の日除け暖簾のれんの間を、すり抜けて入って来た野風に、店主は声を掛けた。


「いかがにございました。」


野風は首を振った。


生憎あいにく、病を得たとかで会うことが叶わなかった」


「刀はこちらの手中にあるし、最早放っておくべきじゃ。」


あつが吐き出すように言った。

その隣でこうがいが頷いている。

「そうじゃ!

何しろ、店主の不手際で思うたほどの緩みが作れなかったので有ろう?


するべきことをさっさとせねば、間に合わぬわ!

野風は何ぞ縁のある付喪神の宿る物を探しに行くべきじゃ!


まぁ、野風としては点数稼ぎでもしたいのかもしれぬがの」

笄は嘲笑うように口をゆがめ、横目で野風を見た。


「何を言っておる笄!

野風、済まぬ。

野風が誰よりも身を粉にしておるのは、皆分かっておる。

笄、謝れ!」


鏡の付喪神の於杏や手箱など女の姿を取っている付喪神たちは、そんな悪態をつく笄と頭を下げる目貫を見て、困った顔を見合わせた。


笄が厚を慕っているのは、厚や刀の付喪神たち以外の目には明らかだ。

しかし、まず本人の笄がそれが受け入れられない。


というのも、笄は鎧通しには本来差さないもので、いわゆる「釣り合いの取れない」間柄だ。

オマケにこの笄は、独り者の笄も多い中、三所物の目貫、小柄の揃っている格の高い逸品である。


それが、よりによって、鎧通しなどと物騒で風流さの欠けらも無い短刀に惹かれるというのは、笄としては納得がいかない。

納得がいかぬので、認める訳にはいかない。

いかぬのだが……

だからこそ、厚に気に入られたくて、気を引きたくて、追随した言動を取ったり、やたら情緒不安定に他の者に絡んだりする。


それを姉の目貫が必死で庇って、皆に頭を下げるという次第に陥っている。


目貫は良い子であるし、なんとも言えない顔で、於杏たちは顔を見合わせるのだが、もう何百年とこれだから、いい加減にして欲しいものじゃと思うのも仕方がない。



「それはそうと。」


野風は笄達をいなすように話題を変えた。


るいと話しておったのだが」


話題に出された茶杓ちゃしゃくの付喪神であるるいは、話を聞いているのか、聞いていないのか、相変わらず、1人離れた場所に座り、野風が持って帰ってきた、神社の暦注を読んでいる。


「あの直生とか申す男、おこりと言うものが 感じられなかった。

人であろうか」


刀の装身具の三つ子のもう一体、小柄の付喪神が首を振った。


「あれには重みがある。生まれ落ちてよりこの方、聖域で育ち、神職になるべく励んでおるからでは」


帳場の店主の横に横座りして、物憂い視線を投げかけている婀娜あだな風情の鏡の付喪神の於杏おきょうが頷いた。


「そうだのぅ。あれには因果のもとい生命いのちおりがあった。清浄じゃが、人の子ではないのかぇ。」


ジッと、黙って付喪神たちの話を聞いていた店主は、懐手ふところでをして浮かぬ顔をしている野風に顔を向けた。


「野風、あなたは何かお考えがあるのではありませんか」

「いや、まだ分からぬのだ」


「まさか、店におりたい故の言い訳であるまいの!」


「これ!笄、いい加減にせよ!」

目貫が慌てて笄を引っ張った。

「野風、許してくれ。ように言い聞かせる故に」


「全く、人のことをあれこれ言う前に、中途半端な姿しか取れぬ自らをなんとかせい」


慕われているなど微塵も思っていない厚が、呆れたように言い放ち、笄が引きつった顔で、元の笄の姿に戻った。


「やれやれ、困ったものよのぅ。も、ちっと言い方があろうに」

於杏が厚に言うと

「その通りじゃ。も、ちっと笄はなんとかせねばならん」

厚は大真面目に大きく顔を頷かせて、骨董屋の店内には付喪神達のため息が流れた。




 翌日も翌々日も、野風の姿はまたあの神社にあった。


「まだ、良うなられておらぬのか」


滋養があると聞く卵を手に、神社を訪れた。


日が重なるにつれ、神職達も野風に慣れ、顔を見ると直生の病室に通すようになった。


於松おまつ殿」



野風が枕元に座ると、直生が野風を見て嬉しそうに言う。


「熱で訳が分からなくなっているのですよ」


禰宜ねぎは気の毒そうに首を振った。


そして直生の額の布を取り替え、おけぬるんだ水を替えに、立ち上がった。


禰宜ねぎが部屋を出て行くと、野風はいざって直生の側により、顔を覗き込んだ。



目は落ち窪み、唇は乾いて白くなり、血の気の引いた顔の中で、頬だけが異様に赤い。



「来て、来て、くださったのか。

あれから、姿を見せてくださらぬから、心配をしていました」



熱い息を、はあ、はあと吐きながら、直生は途切れ途切れに甘えたように訴える。

布団の中から白く細い手を伸ばし、畳を伝うように、野風の手を取った。


その手は不吉な程、もったりとした熱を発している。


「於松殿、どこに行かれていたのか」


涙がつゆとなってあふれるのではないかという程、潤んだ瞳で、野風の顔を見て切々と訴える。


「直生殿」


野風が呼ぶと、直生は嬉しそうに微笑んで野風の冷たい手を頬に当てた。


「ああ、於松殿の手は相変わらず、冷たくて気持ち良い。」


野風の手に乾いた頬を押し当て、直生は目をつむった。


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