第2章 白い片割れ月

 「み子にございます」



 知らぬこととは言え、何の因果か付喪神に囲まれ、帳場の横の椅子に座らされた男は、緊張をしながら、自分のことをそう言った。


 今から二十年ほど前、男は双子の片割れとして、なかなか繁盛している小料理屋に生を受けた。

が、多胎児への禁忌きんきは、ご維新を経てもまだまだ色濃く残っている。


 男の両親は、代々母親の実家に伝わって、嫁入り道具に持ってきた一振ひとふりの短刀を、不憫ふびんな息子の守り刀とし、少なくない銭をつけて息子を知り合いの神社へ預けた。


政府の神社をまとめて数を減らそうとする動きに、混乱を極めていた神社にとっては良い迷惑だっただろうが、懐の深い宮司ぐうじが受け入れた。


幸い「直生なお」と名付けられた赤子は、たちの良いおとなしい子で、宮司以下、神職達に可愛がられてスクスクと育った。


両親も禁忌きんきあらがう程の世間知らずでは無かったものの、多分な愛情は持ち合わせており、捨てざるを得なかった息子の成長を見守るために、お参りを装って、折に触れて神社に顔を出していた。



 「勿論、最初は全く気がつきませんでした。

しかし、宮司様が『直生や、今日は念入りに庭を掃き清めなさい』とか

広縁ひろえんをしっかり磨き込んで来なさい』とお申し付けなされる時に、必ず、ジイとこちらを見られているご夫婦がおられました。」


直生は微かな予感と期待を持っていたが、まさか「私を捨てた方でございますか」などと聞くわけにもいかない。

大体、宮司がはっきりと言わない事を、勝手に詮索せんさくするなど、養い子である直生にできたものではない。

それに、もし、気がついたと知れると、その夫婦に二度と会えなくなることを直生は恐れた。


例え口を利かずとも、自分を気にしてくれる存在がこの世にいるというのは、孤児みなしごの直生にとって、大きな支えだった。


それで、表面的には気がつかないふりをして過ごしていた。

しかし、二人の視線はしっかりと肌で感じ、次の微かな逢瀬を心待ちにしていた。



「ある日うっかりとたすきを落としてしまいました。

慌てて取りに戻ったところ、私の落としたそれを、頬にあてがい泣いておられ……」


それで、やはり自分の父母であろうと確信した。


 だからと言って、どうと言うこともない。


ただ、自分はいらぬ子ではなく、事情があって育てられなかった子なのだなと、どこか嬉しく思った。


そのわずかな親子の逢瀬おうせを繰り返しながら、自分は静かに神に身を捧げ、何事もなく神社の庭の木のように、朽ちていくのだろうと思っていた。


ただ、その人生のどこかで、親子の触れ合いをわずかでも持てたらと……

それが直生のささやかな夢になっていた。



それが突如


「刀を返せ」


自分そっくりの男がやって来て、そう言った。


聞けば父母が亡くなり、後に莫大ばくだいな借金が残った。


それはあまりにも突然で衝撃的な話であった。


父母が一度も声を交わすこと無く、突然この世を去ったことも。

その葬式すら呼ばれなかったことも。

自分が神社に預けられた原因が双子だったことも。

そして、その預けられたのが、自分の方であったことも。


その双子の片割れが、こうして無心に来たことも。


「これは唯一、実家と私を繋ぐ縁でしたから、出来ることなら、手元に置いておきたいと思ったのですが」


まだ幼い妹がいると双子の片割れに聞かされた。


「金がいる」


なんとかせねば、妹を遊女として売らねばならぬだろう。


「まだ見ぬ妹ですが、左様に言われれば、是非もありません」


父母がこの刀を、赤子の自分に持たせたのも、この時の為だったのかもしれないと、直生は泣く泣く片割れに渡した。


ところがつい先日


「自分で売って、金にして来い」


目前に刀を投げ返された。



「それでここへ、お越しになられたのでございますね」


はいと返事をする直生を、付喪神たちは何とも言えない顔でながめた。



直生は、最初に来た男のような世間慣れした様子が全く無く、一心に道を追い掛ける者特有の静謐せいひつな空気をまとっている。


「ふう」


微かに息を一つ吐いて店主は、帳場机から紙を取り出すと、スラスラと文字を書き、手を止めると問うた。


「預り証を書いて差し上げます。どちらの神社にございますか」


「預り証?」


直生は顔を上げ、不思議そうに店主を見た。


「ええ、この刀を鑑定をするのにお預かり致します。」


「ああ」


直生はホッとしたような、しないような複雑な表情で頷いた。


「私は池鮎鯉ちりゅうに身を置かせていただいております」




 直生が帰ると、付喪神達はうんざりした顔で、首を振った。


鎧通よろいどおしのあつが眉根を寄せて言った。

「放っておけば良い。わしらには大望たいもうがある。あのような者にかまける時間が惜しいわ」


「それではの、気の毒ではないかのぅ」

鏡の付喪神の於杏おきょうが、気の毒そうに言うと、目貫めぬきすずりの付喪神たちも「そうじゃの」と同意した。


「しかし、例え直生殿に銭を渡しても、それでしまいにはならぬぞ」

こうがい、目貫と一緒に三所物と呼ばれる小柄こずかが首を捻った。


「心清げな者が困っておる。何とか策はないのか」

目貫が問いかけると

「お前らは甘い!そんな無駄な銭と時間などかける必要などないわ!」

小柄と目貫と三つ子のような姿の、こうがいは吐き捨てた。


「いえ、そうとも言えませぬよ」

店主の笑いを含んだ声で言った。


「前に持ってこられた時に拝見いたした所、こんな事でも無ければ、世には出て来ぬ、思いもかけぬ方の差料さしりょう(刀)にございました。

断っても尚、再び来られるとは、これは縁にございましょう」



「誰の差料さしりょうじゃ」


こうがいが聞いた。


「これは、元は徳川家嫡男、岡崎三郎おかざきさぶろう殿(松平次郎三郎信康)の物にございました。

ご在命中、お血筋の方に下賜かしされたとか聞いております」


店主はニタリとその白い顔に微笑みを作って、おおとりが羽根を広げて飛ぶ様子を描いた金銀拵きんぎんこしらえの短刀のさやを撫でた。



「何かおかしなことが起こっているように感じます」



「それは主の勘か」

あつが探るような目をして、店主の横顔を見た。


「はい、左様にございます」



「わしが、明日にでも池鮎鮒ちりゅうへ行って参る」

ずっと黙って聞いていた、野風が静かにそう言った。



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