鳳凰の刀

第1章 売られる刀

「これを買い取ってくれ」



骨董屋の店主の前の帳場机に、それを投げ出したのは、顔色の悪い男だった。


まだ二十はたち程の若さであるが、目の下には青黒いクマが浮き出、不健康そうな白い肌の毛穴は開き、乾いている。


 顔立ち自体はやや丸顔で、固く結んだ口元に品があり、いかにも育ちが良さそうだ。

しかし、にもかくにも、疲れ切った顔色とギラギラしたその眼光が、何とも病んでいるように見え、骨董屋を訪れるよりも、医師の門を叩いた方が良さそうだ。


 その店は、前は味噌屋だったか、醤油屋だったか。


街道に向けて大きく間口が開き、店の出入り口の前には、ここいらの店とのきを揃えて、濃紺の地に麒麟の絵を白く染め抜いた大きな日よけ暖簾を張ってある。


日よけ暖簾の奥の店の中は、土間から上がる冷んやりとした空気が流れ、まるで違う世界にいるようだ。


広い店内には棚が置かれ、様々な骨董品が整然と並べられている。


 そのシンとした店の左手の、昔ながらの帳場に腰をかけた、色白の背のひょろりと高い店主は、男の顔を覗くようにして、のっぺりとした顔を傾げた。



「この刀でございますか」


「そうだ」


男はクマのできた目を少しすがめて、吐き捨てるように言った。


さっさと厄介な刀を売り払ってしまいたいと言わんばかりだ。


店主は目の前に投げ出された短刀を、手に取ることもなくじっと眺め、その後視線をあげ、仁王立ちになっている目の前の男を見つめた。


店主の物問いたげな視線を受けて、男は不満そうに口を歪めた。


「どうした。この店は買い取りはせぬのか」


「いいえ、左様ではございませんが」

「では、なんだ!見ろ」


苛立った男は、机に投げ出していた短刀を手に取り、スラリと抜いて見せた。


確かに金銀拵きんぎんこしらえのさやには、おおとりの絵が描かれており、豪華にして繊細。

抜かれた刀身も刃紋はもんが美しい。



「それなりの刀だ。不足はあるまい」


「盗品は買い取れませぬ」


「何!」


男は青白い顔に朱をくと、片手に抜き身の刀を持ったまま、店主の襟首を吊り上げるようにじ上げた。


「このわしが、盗人だとでも言いたいのか!」


つばを飛ばして、大声で怒鳴った。

静かで薄暗い店内に、男の荒ぶった声が場違いに響いた。


「親から受け継いだ、我が家に伝わる刀だ!

何を無礼なことを」


店主は顔をしかめるでもなく、どういう手妻てづまを使ったのか、すらりと軽く男の手を払いのけて、静かに言った。


「されど、それはあなた様の物ではございますまい」


図星だったのか、男はグッと言葉を呑んで一瞬静かな間が店内を覆った。


しかし、男は顔色を変えて、だん!と一度大きな音を立て、帳場の机を叩くと、刀をさやに戻し、店主を睨みつけると足音高く店を出て行った。



「なんだありゃ」



姿を現した付喪神たちは、男の後ろ姿に肩をすくめて、首を振りあった。


「行き慣れぬ賭場でカモにされたのか、随分と切羽せっぱつまっておったの」


面白そうにこうがいの付喪神が言うと


「さすれば、買い取ってやらいで良かったのかぃ」


着物のえりを抜いて、白い首を肩まで見せている鏡の付喪神の於杏おきょうが、横座りになって物憂げに店主に問うた。


さりげなく組んだ足の真っ白な脹脛ふくらはぎが、乱れた裾から見えて婀娜あだである。


「要らぬ情けはかけぬ方が、良いかなと思いまして」

チラリと鎧通しの付喪神のあつの方を見て、店主は微笑んだ。


「左様じゃ、面倒に巻き込まれ、時を喰うては仕事にならぬわ」

厚は大真面目な顔で頷いた。





 その四、五日後のことである。


その男がまたやって来た。


「この刀なのですが」

またその短刀を取りだした。


店主は困惑して男を見た。


 男は先日のことをちっとは思い直したのか、随分と殊勝しゅしょうな様子で刀を差し出している。


生白い顔に疲れた風情は漂わせてはいるものの、髪は切り揃え、謙虚そうな様子である。


「あのう、この刀を買い取って頂く訳には参りませんでしょうか……」


「お売りになりたいのでございますか」

「左様なわけではないのですが」


先日のいかにも物も仕立ても良い、染めも鮮やかな着物姿ではなく、着古したような質素な物を着ている。


一週間も立たぬうちに、着物まで売り払ってしまったのだろうか。


それに、先日と言っている事が微妙に違う。


「では、一体」


店主は首を傾げて、男を見つめた。


「こやつめは」


突然、鋭い声がして、男は驚いてその声の方を見た。


「お主、先日の男と違う者であろう」

あつが店主の横に立って、その鋭い目でギリと男を見据えた。


「い、今、どこから」


「左様な事はどうでも良かろう。

貴様らは一体何がしたい」


後退あとずさりしながら腰を抜かしそうな男にズイッと近づくと、ギリとまなじりを決してめつけた。


その凄まじい気迫きはくたるや、毛穴という毛穴から電流が流れ込み、ビリビリと冷たい痺れで体を縛り上げてくるようで、男は顔色を変えて震え上がった。


「やめよ、あつ。客人にあろう」


制止したのは、野風である。


いつの間にか、茶杓ちゃしゃくの付喪神であるるい共々、仕入れて帰ってきた荷を背負い、店の入り口に立っている。


「あ……はあ」


男は術が解けたように、へたへたと床の土間に座り込んだ。


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