螺鈿の硯箱
第1章 その日
その日、
その
地にしがみ付く者々を恐怖と絶望へ叩き落とし、その地に満ちる衝撃と絶望は、時を
まさに夢路より家へ、その
気がつくと、薄ぼんやりとした霧の中にいることに気がついた少女は、いつも自分の世話をしてくれる女を探した。
「
すると於鈴が向こうから走って来た。
「於鈴!」
少女が起き上がって、手を差し伸べると、於鈴が抱き上げてくれた。
「於鈴、ここはどこ?」
於鈴は少女の声が聞こえないのか、少女を抱きかかえたまま走り出した。
(あ、あ、これは夢の続きなのだ)
少女は目を
しばらくすると揺れが止まり、突如、少女は下へ降ろされた。
そして
「助けて!助けて!」
於鈴が叫びだした。
少女は驚いて於鈴を見た。
それは少女の世話をしてくれる侍女ではなく、ひどく美しい若い女だった。
輝くような黒髪は見た事がない洒落た形に結い上げられ、絵でしか見た事がない、手のこんだレースのついた美しい象牙色のドレスを着ていた。
その女が髪を振り乱して叫んでいる。
女が必死でかき分けるようにしているその霧は、奥から射す光で、毒々しく紅に染まっている。
人の争う声や金属の触れ合う無機質の冷たい音が聞こえる。
煙の焦げ臭い匂いがこちらまで漂い、ほのかに不吉な熱を伝えてくる。
ここは、お父様が言われていた、
少女は呆然と立ち尽くした。
怖いという感情すら、湧かない。
ただ呆然と、お芝居を見るように、美しい女が叫びながら、霧を掻き分けるのを見つめていた。
突然、横手の白い霧の中から、紅の紐で
すると、その毒々しく照らされた霧に、
光の中から、突如、黒い人影が現れた。
その男は一瞬驚きを顔に乗せたが、直ぐに浅黒く焦げ臭い匂いのする霧の中から走り出て、少女の横を真っ直ぐに走り去ろうとした。
「ダメ!そっちに行っては」
少女は光の中から出てきた男に叫んだ。
どうしてだか、わからない。
ただ、知っていた。
そっちでは無い。
その人がそっちに行ってはいけない事は、お天道様が山の方から昇り、海に沈んで行くのと同じくらい、確かな事だった。
「こっちよ!」
少女は男の大きな手を取った。
白い着物を着た男は、一瞬、戸惑った顔をしたが、少女が唇を引き締めて頷くのを見て、頬を緩めた。
白くなっていく視界の中で、「兵隊さん」は少女の手を握りしめた。
「大丈夫!私を信じて」
少女には、不思議なことに、どうしたら良いのか、まるで教科書に書いてあるようにはっきりと分かっていた。
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