第8章 行雲流水

 薄闇の中を付喪神たちが走る。




右も左も無く、上も下も、そして時の流れも無いその空間は、ただ思いだけが交差する。



「佐伯殿!」




付喪神の悲痛な声が木霊こだまする。


「どうか、我らの事を思い出されて下さいまし!」


「誰か、よすがを持つものは居らぬのか」


「さても裏切り者が物め!」


怒りの滲んだ声がする。


すべはないのか!」


「野風!」


野風は唇を噛んで首を振った。

「わしの力を越えたことじゃ」


「されども貴様は」

あつが、野風の着物の襟をつかんだ。

「天下のだ...」


「おやめください!左様な時ではありますまい!」


店主は炎を吐くように、厚たちを一喝いっかつした。

その熾烈さは、鎧通しの厚さえ口をつぐむほどだ。

普段、飄々ひょうひょうとしている顔が青ざめ、痛むのか、こめかみを押さえている。



野風が厚の手を振り外した。

「もはや目器を壊すくらいしか思い付かぬが、左様な事は出来ぬ」


「そんなもの!目器を壊せばよかろう!」

「目器の事など、知るか」

「だから、貴様は甘い」

「そもそも目器はどこなのじゃ!」

やり場のない怒りの矛先を変え、口々に野風をののしる。


「あ、あそこ!」


目貫めぬきの細い声が響いた。


見ると小さな丸い強い、恐ろしいほどに光が二つ並んで浮いている。


「あの様に強い光を発するなど、身を壊してしまうぞ!」


「いかぬ!目器が壊れる前に壊すのじゃ!」


厚が光の中に走り込む。


そして駆け寄った店主が白い手を伸ばした瞬間……


くだけた。



「ああ!」








その日、佐伯は白装束しろしょうぞくに着替えると、友のくという時間に合わせて、短刀を腹に突きたてた。





カラン






 店の扉が開いて、女が入ってきた。



「これは佐伯様の所の」


女は一つ頭を下げると、決まり悪げな顔で立ち止まった。


「先日はお騒がせしてしまって、申し訳ありませんでした」

いえ、と店主は首を振った。

「お医者まで呼んで頂いて」


「いえいえ、さほどの事にございません」

店主はにっこりと微笑んだ。


「なんでも転んで横腹と首を怪我をされたそうでね。

ロクに物も食べておられなかったようで、それも悪かったそうですよ。


旦那も私に心配かけまいと思ったなんて、本当に水臭い」


「左様にございます」


「旦那の寝室にお怪我のお友達がいるなんて……」


「左様でございますよ。

言っていただかないと分かりません」


笑って店主がそう言うと、女はホッとした顔でうなずいた。



「お友達もあのお屋敷で一緒に住むことになったもんで、旦那もすっかりボケが治ったみたいでね。

ほんに良うございましたよ」


女は頬を染めて、我が事のように喜びが隠せない様子だ。


「旦那はお友達にかかりっきりでねぇ。

中々こちらに伺えないのを気にされて、にもかくにも、私に挨拶にうかがってくれと申しつけられました。

それで、旦那が店主殿にお礼をしたいと言われております」


「左様にございますか。

それは、何とも御丁寧にかたじけのうございます。しかしお礼など……」


そう言いかけた店主は、ふっと思いついたように笑顔を作った。


「嗚呼、左様にございましたら、丁度、手前どももお願いしたい事がございます」


店主は懐から桐の小さい箱を出して、女に渡した。


「これを佐伯様にお渡し下さい。

ちょっと珍しい良い香りのお香でございましてね。

仕入れようか悩んでおるのでございます。

是非とも御三人でお試し頂けますでしょうか」


「あらまあ、そんな事でいいんですか。

それに私まで?

あらあら、老若男女って若いのがおりませんけどね。

あら、まあ、それは楽しみだわ」


女は嬉しそうに、小さな桐箱を胸の前で抱くようにした。






 蝉の声が響く、夏の陽射ひざしの中、年の割に背筋の伸びた背の高い男が二人、日課の散歩をしている。


片方はハイカラーのシャツに白い麻のスーツ、もう片方はハイカラーのシャツに麻の着物姿である。

二人ともにパナマ帽を被り、手にはステッキを持って、いわゆる、紳士姿しんしスタイルだ。


同じ作りの小店の並ぶ石畳の道を歩いていると、片方の洋装の男がふっと足を止めた。


「ここは……」


男の呟きに、連れの丸眼鏡まるめがねを掛けた和装の男も立ち止まった。


「空き家のようじゃが、佐伯殿、どうかされてござるか」


しばらくそのがらんとした、暗い店内をかすように見ていた男は首を振った。


「いや、何。何故なぜか、懐かしい気がしたのよ」


「左様か……」


「気のせいじゃ。恐らく外国とつくにの記憶に相違ちがいない。

さ、参ろう、明智殿」


男達はまた歩き出した。








薄暗闇で笑う付喪神たちがいる。


「存外に佐伯様の猪突猛進ちょとつもうしんの事よ」


じゅんなお人柄であるからの」


こうがいつば、槍たちが笑いさざめいている。


「それにつけても、この度は厚の活躍が無ければ、今頃佐伯殿が命は、海の藻屑もくずと消えるとこじゃった」


付喪神たちは口々に厚をたたえた。


「佐伯様の短刀は、まだ命もまともに宿らぬ若い物であったからの、ちょいとおどしがうもう行ったまで」


「そりゃあ、百戦錬磨ひゃくせんれんまの鎧通しには、今時の短刀なぞ、歯も立つまい」



その昔、戦場で鎧兜よろいかぶとねあげて、首をき切る専門の短刀である。

そんじょそこらの刀が、太刀打ちできるものでは無い。

そんな刀の付喪神にやいばをおさめるように渾身こんしんの力で叫ばれれば……


久しぶりの活躍に、厚も顔を緩めている。


野風は懐手をして、風に髪をなぶらせ、彼らから少し離れたところに立っている。


佐伯を慕う付喪神たちが、車座くるまざになって、酔ったように笑いさざめいている。


(お主たちの方が余程に甘いの)


野風は厚達の笑い声を聞きながら、唇の片端かたはしを釣り上げた。


「やれやれ、まっこと、あやつらは単純で幸せなことや」

野風の足元に座っていた茶杓ちゃしゃくの付喪神のるいが、野風の思いを代弁するように呟いた。



結局、目器めきはその「思い」の全てを、二つの世界を繋げることに使い果たしてしまった。


自らも霧散むさんし、元より玻璃はりすらものこすことが叶わなかった。



だが、付喪神たちは誰も何も言わない。




野風は、虚空こくうに目を向けた。


付喪神は、時に相手を愛し過ぎてしまう。


我を忘れ


己の身を滅ぼすほどに


ぬしは幸せだったか……)


野風は目器に問うた。


ゆらゆらと透き通る虹が落ちてくる幻影を見る。



その幻影を店主も見る。


その見えない輝きにふっと、佐伯の透明な笑顔を思い出した。

(良かった……)

という思いの中に、微かな焦れが混じる。


佐伯を救った厚への身を焦がすような羨望だ……


不意に、おぼろな記憶が鮮明になった。

まだ微かに痛むこめかみをそっと押さえる。


(ああ、あれは……)


今はかくれた黄金の輝きだ。


店主は、そのまばゆい輝きの向こうに、こちらを見ている黒い双眸があることに気がついた。



(あれは……)



いや、それも幻影か……


店主は首を振った。


どうもから、記憶に白い霧がかかっている。


「どうした、痛むのか」

振り返ると、野風と涕が探るような目でこちらを見ている。


「え、いえ。全く左様なことは御座いませんよ」



ふう



息を一つ吐いた。



(そんなことはどうでもいい。ただ前に進むだけだ)


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