第7章 拝辞

 

その日、いつもの時間になると、いつものように佐伯が骨董屋の扉を押して入ってきた。


「いらっしゃいませ」


店主が笑顔で佐伯の方を見ると、佐伯はにっこりと笑っていつものように頭を下げた。

今日は麻の白いスーツが初夏らしく、さわやかである。


店主が茶をれて出すと、佐伯はしみじみとした顔で店主の顔を見た。


いつもにも増して、その瞳の輝きは、優しく透明な光に満ちている。


「なんでございましょうか」


(こんな眼差まなざしは、いつか見た事がある)


チクリ……


突然、微かな痛みがこめかみ辺りを走った。

が、それよりも強い胸騒むなさわぎが襲う。

店主は強いて穏やかな微笑みを浮かべ、小首を傾げて佐伯を見返した。


静かな空間で、佐伯はなんとも言えない顔をして笑った。



「いや、何でもありませんよ」

首を振ると、お茶をすすって、いつものように


「ああ、店主殿の淹れてくれるお茶は本当に美味しい。五臓六腑ごぞうろっぷみ渡る様だ」


微笑んだ。


しかし、それから両手に湯呑みを包み込むように持ったまま、じっと床に目を向け、黙ってしまった。


そのただならぬ様子に、店主は佐伯のかいなに白い手を掛けた。


「佐伯様?」


すると佐伯は、店主にまた視線を戻した。


「あなたには、良い品をお譲りいただいた」


迷いのない美しい笑顔で笑った。


「あの目器めきは、私に知音ちいんを与えてくれました」


「知音に…ございますか」




 最初は、亡き友と打っていた将棋盤の上にうっすらと、ただ駒が見えるだけであった。


手蹟を見れば、どんな人物か分かります。その方はとんでもない智慧者ちえものにありましてねぇ」


(どんな御仁ごじんか。何とも智慧者だ。

おまけに豪胆ごうたんにして、清廉せいれん。これは一廉ひとかどのお方に違いあるまい)


その対戦相手に対する思いが強くなるに連れ、次第、次第に打つ者の姿が見えるようになった。


まるで公家のような面長の、知的な面差おもざしの男は、いつも目器を当て、楽しげに将棋の相手をしてくれる。


不味まずい手を打てば、おかしそうに笑い、良い手を打つとしかめっつらになる。


「私なぞがかなう相手ではありますまいが、実に楽しそうに打たれるのですよ」



姿が見えるようになると、紙に字を書いて、会話を試みるようになった。


「そりゃあ、教養の深い御仁ごじんでしてねぇ」



最近では、ついに声がお互い聞こえるようになり、話もできるようになった。



 その男も、武人ぶじんらしく、話せば、話すほど、この様に気の合う人がいるものかとお互い嘆息たんそくするほどで、暇さえあれば、将棋盤の前に相対あいたいし、将棋を打ちながら四方山話よもやまばなしにうち興じていた。



「なんというのか、我が片割れ、と申すのでしょうか。知音という言葉がしっくりくる相手でしてね。」



このまま、二人、桃源郷に遊ぶように、ありえぬ縁を楽しみながら共に生きて行こうとやくを交わした。


金打きんちょうというのをご存知ですか。

刀を鳴らして誓うあれです。

はなはだ時代遅れではありますが、それをしましてね。

いやはや全く恥ずかしいことですが、ひととしとっての友は何にも代えがたい物なのですよ」



ところが……


「この度、その方が死すかもしれぬと申しました」


佐伯は悲痛な、そして何とも透明な笑顔で、遠くを見つめた。


あわただしい中、将棋盤の前に座った知音は、申し訳ないと頭を下げた。


その顔には疲労がにじみ、憔悴しょうすいが手に取るように分かった……

が、愚痴ぐち一つ言わず、ただ悲壮な笑顔を乗せて、最早先にくと佐伯に言った。



「お互い枯れ果てるなら未だしも、左様な非業の死を、この歳でせねばならぬ、我が知音が哀れで……」


潤んだ目で空を見つめていた佐伯は、店主の顔に視線を移した


菊花きっかちぎりと申すものをご存知でしょうか。約を果たすために死して、魂を千里をも飛ばすという。


私も知音のために、その時には側に居てやりたく思います」


背筋を伸ばし白髪頭を下げた。



ざわりと店の中の付喪神たちがざわめいた。


「あなたたちのお陰で、この老いぼれ、なんとも心豊かな余生よせいを過ごせました」


「左様なこと……」


佐伯は店主の手の上に手を重ね、その冷たい手を取り、乾いた暖かい大きな手で押し包んだ。


「どうか、おかまいなきよう」


「私どもは左様なつもりで、お譲りしたわけではございませぬ」


慈父じふのような眼差しの佐伯の瞳の中に、強張こわばった顔の店主が映る。

店主はその自分の顔を混乱した気持ちで見返した。


「人とは孤独に弱い生き物でしてね。この歳でまた知音を失っては、生きて行くのは難しい」


「されども……」


「人があなた方を慈しむのも、そういう事情かもしれませんな」


「え……」


店主は佐伯の顔を見直した。


あたか檸檬レモンを落とした紅茶のように、色褪せていく陽の光に照らされる中、禁を犯して付喪神たちが姿を現しはじめた。


「皆様が人の真似をされているのも、何か深い事情があるのでしょう。

それと同じ様に、人は人の道理どうりの中で生きていくものなのです」


佐伯の言葉に、店主は否定することする事すら忘れて、絶句した。


「……そんな」


「職人が、丹精たんせい込めて作った品は、使う者の思いを取り入れ、命を持つ様になり不思議を起こすとも聞きます。

あなたがたは心を込めて作られ、さぞ大切に扱われてきたのでしょう。

あなた方の素晴らしさは、無粋な私でも分かりましたよ」


「佐伯殿」


「どうか……」


佐伯は両手で包み込んだ、店主の冷たい手を再度握りしめ、視線を厚たちに向け子供に言い聞かせるような、優しい口ぶりで語りかけた。


「私はね、あなた方をとてもいとしいと思っておりました。」


佐伯はそういうと、店主の手を離し、今や姿をあらわにした付喪神たちに向かって、頭を下げた。



「今日は今生こんじょうのお別れを言う為に、まかり来させて頂きました。


皆様、この老いぼれによくして下さって、かたじけなくございました。


お陰で楽しき夢を見ることができました。


それではどうぞお元気で」




呆然ぼうぜんと見送る付喪神たちを尻目しりめに、深々と頭を下げた佐伯は、そのまま扉の向こうに消えていった。

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