第4章 過ぎ行く季節

 そんな会話が店主と女の間で交わされているとは知らぬ佐伯は、いそいそと将棋盤の前に座ると、


「さて」


お手伝いの女から、声を掛けられる前に打ちかけていた駒をとった。



パチン


「あ」


気が急いていたのか、打ちまちがえてしまった。


打った瞬間に、


「しまった!」

と悲鳴をあげた。



「あ、あ、あ」


がっくりと肩を落とす。



途端、将棋盤の向こうの空気が震え始めた。



その気配に佐伯は、顔をあげた。


呆然と目の前のそれを見ていたが、恐る恐る見えぬ相手に声をかけた。



「もしや……もしや、そのう。

笑っておられるのか?」



確かに、将棋盤の向こうの空気が揺れている。


腹を抱えて笑っているように、空気が波打ちさざめいている。


「笑っておるのですな」


佐伯は噴き出した。


「人のしくじりを笑うなぞ、全く人の悪い御仁ごじんだ」


そう言うと佐伯は一緒に声をあげて笑い出した。


「これで投了とうりょうだ……

やれ、やれ失敗、失敗」


 





「どうであったか」




 店主が店に戻ると、代わりに帳場に座っていた野風が顔を上げた。


店の中にはあつこうがい小柄こずか目貫めぬきに槍達が其処此処そこここに姿を現し、手持ち無沙汰そうにしていた。

それが野風の声に一斉に顔を店主の方へ向けた。


「佐伯様は今までにも増して、お元気そうにございましたよ。

また明日から此方にも参られると申されておられました」


店主の言葉を聞くと、付喪神たちは嬉しそうに頷きあった。


その中から厚が、店主をジロリとにらんで言った。

「この度は、気を抜くこと無く、よう見張っておかねばならぬぞ」

「そうじゃ!気を抜くなよ!」


こうがいじょうじて言うのに、厚が

ぬしまで言うな!」とポカリと頭を叩いた。


「勘弁してくれ、厚。悪気はないのじゃ」

目貫が慌てて取りなすと

「そうじゃのぅ、笄。

そのようなすげない態度では、好いた人の袖も掴めぬよのぅ」

襟を抜いて白い背中まで見せている婀娜あだな鏡の付喪神の於杏おきょうがおっとりと笑った。


たちまち顔を赤くした笄が

「い、いい加減なことを言うな!この曇り鏡め!

このような野暮な付喪神を好くなど有り得ぬわ!」


「何が野暮じゃ!この半人前の童めが!」


また、言い合いを始めた。


「おやまぁ、筓。

妾は主が厚を好いとるなどと一言も言うてはないがのう。

これはなんとも、語るに落ちたかのぅ」

於杏が困ったように、櫛や化粧箱たちと顔を見合わせ、クスクスと笑いさざめいた。


「あ、あ、阿呆めが!

粗暴な厚など、どうも思うてないわ!」


「当たり前じゃ!

チャラチャラ、お飾りなんぞつける気にもならぬが、なったとしても半人前の筓なんぞ、こっちから願い下げじゃ!」

厚が吐き捨てると、ウンザリしたように背を向けた。


筓は顔を引き攣らせ、宥めようと手をかけた目貫を振りほどいて姿を元の筓に戻した。


「於杏、筓の態度は悪いが、追い詰めんでやってくれ」

床に転がった筓を拾い上げると、目貫は頭を下げた。


「目貫には悪いが、筓の態度は少々目に余る。

厚が怒るのも仕方ないわ」

女たちは、首を振った。


店主は肩を一つすくめると、帳場に腰をおろした。

入れ替わりに席を立った野風は上がりかまちに腰を下ろした。


「厚達に急きたてられ、大変であったの。」


野風とて、厚からアレの持ち主は誰か分かっているのか

佐伯様が来られぬのはアレの差し金ではないかなどと散々文句を言われていた。


店主あやつに言っても分からぬからな。ぬしからもよう言い聞かせよ」

やいのやいのとせっつかれていた。

当分はそれから解放されそうで、ホッとする。


「貴方からも、これも店主としての務めだと言われましたからね」

ふふふと薄い笑いを浮かべた。

「まぁ、目器がどうしているのか、私も心配しておりましたから良いのですが」


「それで、目器めきはどうであった」


「さて」


店主は小首を傾げた。


「佐伯様のご様子では、恐らく首尾は上々かと」


「左様か。さすれば良い」


野風は立ち上がると茶杓の付喪神のるいが、フッと姿を現し野風のそばに立った。

渋い利休鼠りきゅうねずみがよく似合っている。


「野風はどうされるのですか。また出物を探しにいかれるのでございますか」


懐手をしたまま、涕を伴い店の扉の方へ出て行こうとしている野風の背中に店主は問うた。


「この度はしばらくこのままであろうからな」


その時、背を向けていたあつが立ち上がった。

小柄だが筋肉が良く発達し、隙のない俊敏な物腰だ。


「このご時世じゃ。わしが付いて行こう」




 店から出ると、厚は野風に鋭い声を浴びせた。


彼奴あやつめに良い思いをさせるなど、多くの者が納得しておらぬ」


厚の言葉に野風は何も言わず首を振った。

すると厚は更に言い募った。


「み……いや、店主あやつがよく分かっておらぬのは仕方ないが、彼奴あやつめがした事を、野風、お主は知らぬでは済まされぬ」



彼奴あやつは、十分に報いを受け、辛い思いをされた」


野風は下を向いたまま、石畳の道を歩いていく。

一歩遅れて、涕が黙々として続く。


「この度もまた、彼奴めが佐伯殿に何か仕出かさぬとも限らぬ!

左様な事にならば、ぬしはどうするつもりぞ」


「厚、やめなはれ!」


涕が眉根を寄せて、厚を止めた。


「主は黙っとれ!何も知らぬ癖に!」


黙って歩き続ける野風の後ろから、凄まじい気を発して厚が、野風の肩をつかんで足を止めさせた。


「止せ、厚。人目があるであろう。それに目器めきは仲間ではないか」


野風は立ち止まると、振り返った。


西洋化され、洋装の紳士達も増えて来たとはいえ、道には野風たちのような小袖姿の男たちも少なくない。

しかし、喧嘩けんかをするような鋭い声を立てて立ち止まると、周囲の人々が嫌そうにこちらをチラチラ見ながら通り過ぎて行く。


中には立ち止まり、興味深げにこちらに視線を送ってくる人もいる。


目立つのは厚としても本意ではない。


「目器が仲間じゃと?

さても優雅な奴らは、どこ迄も甘いの」


厚は吐き出すようにいうと、野風の肩を押した。




 

 ゆっくりと時が流れていく。




それは滔滔とうとうと流れる雄大な大河の流れにも似て、一見立ち止まっているように見え、確実に流れ越し、止まるものは何一つない。


並木の葉は赤く染まり、吹く風に乗りちゅうを舞い、地に落ちる。


地は冷たく身をこごらせ、白くふくふくとした雪を被る。


雪は日差しに溶けて行き、地面の奥深くへ流れ込む。


その奥から草の芽は顔を出し、葉を広げ、花を咲かせる。


花に落ちる光は、次第に中天ちゅうてんにありて眩耀げんようを増す。


しかして、「あかり滅せんと光を増す」の例え通り、その光は次第に、鈍っていく。



 


 朝、散歩をする佐伯の歩幅が心なしか、小さくなり、黒々とした髭に白いものが混じるようになった。

お手伝いの女から

「旦那が体調を崩されて」

とたまに連絡がくるようになった。


その度に店主は滋養じようのよい品を片手に見舞いに上がる。


体調の良い時には、欠かさず週に一度、佐伯は手土産をぶら下げて骨董屋を訪れる。


固く大きな手で骨董たちに触れ、語りかけるような優しい目で骨董たちを見つめる。


特に刀剣や槍、あるいは笄などの装身具などは、飽きる事無く返す返す手に取り、作りの美しさを賛美する。



「廃刀令で差してやれなくなったのが、残念な程に美しい。

さぞや良い働きをされて来たに違いあるまい。」


 元は幕臣の子弟である佐伯にとって、刀は幼い頃の「いずれかにらぬ」という青い憧れの象徴であり、今は瓦解がかいした社会、家庭への郷愁のり所なのであろう。


 店主が刀の手入れをするのを手際よく手伝う事もある。


目貫釘を抜き、刀身を拭い、打ち粉を丁寧に叩いてやる。

大きな手が優しく動き、刀達がウットリとされるがままにしているのを、店主は面白そうに見守る。


また、硯箱や文箱に対しても、まるで父親が娘に話しかける。


「なんと美しい文様もんようなのか」

傷が付いていても、しっかりお役に立った証拠だと優しく撫でてやる。



佐伯の来る日には、付喪神たちも浮き立っている。

佐伯は時間をたがえるような事が無いのだが、待ち遠しげに窓をのぞく。


そしてそのよいには、自分の方が長く見られた。

いや、自分の方が撫で方の念がいっていたなどとちょうを競い合うように言い合うのだった。



静かに、静かに時が流れていく。


このまま何事も無く、佐伯がこの世を離れて行くのを皆で見送るのかも知れない……


付喪神達の胸にそういう予感が生まれ、それで良いと誰もが思うようになった。


 

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