第2章 目器


「何ぞ、楽しげにしとるの」



 店を閉めた後、仕入れた物を店の付喪神たちに運び込ませながら、和綴わとじの帳面を片手に、品の具合を確かめている店主に、野風が声をかけた。


「ああ、佐伯様が……退役軍人の方が最近、店に遊びに来られるようになりましてね。

少々、武編ぶへん(軍事)の事なぞ話をしているのでございますよ」


「ほう、左様か」


野風が眉をあげるのに、店主の側で荷の傷の具合を見ていた細身の少年とも少女とも言い難い色白の美しい付喪神が、ニヤリとして


「やはり、話の合う者同士よ。

野風はアッチの方は駄目だによって、悔しかろう」


言い放った。


すると、店頭に積まれた荷をかついで店の奥まで運び込んでいる付喪神のうち、背の低い目つきの鋭いものが


「阿呆か、こうがい

刀にくっついとるだけのわらわのくせに偉そげに言うな」

鼻で嗤った。


「わ、童とは何じゃ!あつ!!

失礼じゃ!わしは童などではないわ!」

痛いところを突かれた笄は真っ赤になって、厚に喰ってかかった。


「ほざいておれ。

まだ女にも男にも変化へんげ出来ぬくせに。

ぬしの三つ子の姉兄とは大違いじゃのう」

「煩いわ!

貴様のような鎧通よろいどおしなんぞ、今時、通す鎧も無かろうて!」


「止めよ、こうがい。それはわしらとて同じではないか」

その三つ子のうちの兄で、笄とよく似た少年の姿をした小柄こずかの付喪神が止めた。


笄に比べ、少し体の線が太く、覇気はきがある。


「だまれ!小柄!」


笄は肩に置かれた、小柄の手を払った。

高い位置で結った、射干玉ぬばたまの髪が揺れる。

黙っていれば、洗練された気品のある容姿なのだが……


「笄、落ち着け。ちと口が過ぎておる。

一緒に野風と厚に謝ろう。な?」

目貫めぬきが笄の袖をひいた。

これまた笄にそっくりな、こちらは美少女の姉だ。


三人お揃いの、猩々緋しょうじょうひ長襦袢ながじゅばんを合わせた黄金こがね色の着物の裾に龍が昇っている。


「うるさい!うるさい!厚がいかぬのじゃ!」

「笄!」

わっと泣き出して笄が飛び出していった。

「すまぬ、厚」

小柄が笄の後を追って飛び出していくのを追いかけようと二、三歩歩を進め、ふっと足を止めた目貫が立ち止まった。

「厚、笄が申し訳ぬ。しかし、悪う思わんでやってくれ」

眉毛の所で切りそろえた黒髪が、切れ長の瞳を強調して愛らしい。


「悪う思うも何も、笄が誰彼なしに勝手に突っかかって来るだけじゃ。

そういう奴なのであろうよ」

厚は気にも止めていないようで、運んだ荷を解いている。


目貫は何かを言いかけたが、一つため息をつくと、踵を返して兄弟の後を追っていった。


気の無さげに見ていた店主は、その細い肩を軽くすくめると野風に向かって問うた。


「何か出物でものはございましたか」


野風はふところから、小さな長方形の桐の箱を取り出した。店主は帳面を脇にはさむと、片手にその箱を乗せて、ふたを開けた。


「おや、まあ!これは珍しい」



 


「ほう!これはまた!」


佐伯は歳を重ね、細かなシワの寄ってきた指でそれを持ち上げた。


「これは当ててみても良いものですかね」


佐伯が店主に確認をすると、店主は


「ええ、どうぞ」


佐伯は恐る恐るそれを持ち上げると、目にあてがった。



「う〜む、やっぱり、こればっかりは人のものは...。あ、あ、おや」


「どうされましたか」


「いや、この眼鏡めがね、流石に人の物だけに合わぬなと思いましたが、不思議なことに、これが目が馴染んでよくみれば、ぴったりで良く見えますな」



その言葉に店主はにっこりと微笑んだ。


「ほぉ〜、これは面白い」


昔の眼鏡を目に当てて、佐伯は店内をぐるりと見渡した。


 

骨董屋の店内は、時を止めた、様々な骨董が一時の休息をしているように整然と並べられている。


それらは時代に次第に取り残されていく自分にどこか似て、佐伯にとってなんとも居心地の良い風景となっている。


そのいつもの店内が、少し黄金色に変色したようなガラスの向こうで、いつか遠眼鏡とおめがねで覗いた提灯ちょうちん行列の夜のような華やいだ風景に見える。


「ほう」


(あの頃は俺も若かったものだ。そしてあいつらも)


色褪いろあせていた懐かしい思い出が、息を吹き返して胸に迫る。


海の香り

潮騒の音

色とりどりの提灯ちょうちんの光

耳慣れない異国のどこか切ない音楽。

酔っ払って踊る男達。

そして、それを誘う蝶のような異国の女。


「なんと、これは……」


鼈甲べっこうの様な素材でできた、つるのない昔の眼鏡である。


「当時は目器めきと申したそうにございます」

「これは良い。お譲り頂けますかな」


佐伯は店主の言葉が聞こえないように、勢い込んで問いかけた。


「ええ、勿論にございます」



一瞬、冷たい空気が店内を吹き抜けて行った。




 浮き立った気持ちで家に帰り、居室に戻ると、目器を目に当てて見た。


老眼ろうがんが治ったようだな。うまいもんだ」


佐伯は退役後は通詞つうし(通訳)の手伝いのような事をしており、早速その持って帰っていた書類に目を通した。


書類の文字が格段に良く見える。


(なかなか、良い買い物をした)



 暫く仕事に没頭していたが、手元の暗さでふっと我に返った。


立ち上がると、卓上のランプに火を灯し、窓の濃い紺色のカーテンを閉めて、また机に戻った。



「おや……」



何気なく目に目器を当てて周囲を見渡し佐伯は、将棋盤の方を向いて、じっとそれを凝視ぎょうしした。


それから、立ち上がって窓際まで歩いて行った。


そして、立ったままそれに見入っていたが、外して、目をこすって、また目器を目に当てた。



「これは」



あの男と対局していた、そのままの将棋盤の何も無いところへ、半透明の駒が置いてあるように見える。



目器を外せば、何も見えず、目器をあてがえそこにある。


「これは……」


佐伯は暫くジッとそれを眺めた後、窓際のつくえの椅子に座ると、将棋を打ち始めた。


 


 


……


こうがい 刀の鞘の差表(外側)に収められる装身具。片側は髷を結った頭を掻く物、もう片方には耳掻きが付いていることが多い。


小柄こずか 刀の鞘の差裏(腹側)に収められる小さな刀。

目貫めぬき 刀身が柄から抜けない様に止める釘の様なもの。笄、小柄、目貫は「三所物みところもの」と呼ばれる。


鎧通よろいどおし 組み打ちで鎧の隙間から差し込み、首を搔き切る為の刀。

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