第8章 あの日の恋の形見

時の狭間はざまの薄闇で、じっとたたずむ影がある。



「間におうて良かったの」


野風が店主の方をちらりと流し目で見るのに、


「はい、この度ばかりは、駄目かとほんにきもが冷えました。もうこんな危うい思いをするのは、御免にございます」


店主は、心底疲れたと言いたげに大きなため息をついた。


「あの様に美しい品が無為むいに散じるなど、あってはなりませぬ」

店主の憤慨したような口ぶりに、野風は軽く笑った。


「しかし、あれもなんでまた、左様な勘違いをしたのでございましょう」


店主の不思議そうな問いに、野風は肩をすくめた。


天下人の娘として母の胎内に宿った姫は、生まれ落ちる前に父を失った。

しかし、次の天下人の城で育った姫は、豪華絢爛の中にあり、決して不幸では無かった……


公卿に嫁ぐまでは……


娘の日のよすがの遠眼鏡が、僅かな間に付喪神になる程に、魂切れるばかりの切ない思いを掛け続けた姫君は、そこに魂魄こんぱくの端きれを残してしまった。

人の子の魂はあまりにも鮮烈で、それを抱いた付喪神は……狂うしかない。


「それは、あの遠眼鏡の持ち主の姫君のことを慕って、人になりたいとずっと長い間、焦がれていたからであろう。

その姫君が亡くなった後ですら、それがわからず、思いが残るほどに。

付喪神は身を滅ぼす程に、相手を思ってしまうことがあるからの」


愛しくて、愛しくて、狂うても尚、忘れられない。


一目姫に会いたくて、もう一度声が聞きたくて、人と入れ替わった付喪神は、姫の形見の魂魄の端きれも手放せないまま、すでに居ない姫を求め続けて散るしかなかった。



野風は、店主が壊れた黒い筒のかけらを手の平に乗せてジッと見詰めているのを、何とも言えぬ瞳で見た。


「左様な思いは、愚かな事にございますが」


ポツンと呟く店主の言葉に、目をらした野風は、薄闇に光が宿るのを見つけた。


「来たぞ」


野風の指差した先に、美しい七色に光る玻璃はりのかけらがふわりと宙に生まれた。


ゆらり、ゆらりとゆっくりとあたりを七色に照らしながら、透明なそれは羽根のようにゆっくりと落下している。


店主が細い陶器のような手を伸ばし、シャボン玉のようなソレをすくい上げるのを、野風は懐手をして見守る。


(何故、愚かと分かっていても、愛しさに取り憑かれてしまうのだろう)



ごらはったか」


野風の思いを断ち切るように、別の付喪神の声がした。


「ええ、るい、おかげさまで無事に間に合いました」


髪を軽く結んだ細身の茶杓の付喪神が姿を現した。

「さよか」

ついっと冷たい視線を店主から、その手の中の玻璃に向けた。


「あれは、雪姫と会えたやろか……」


ああ、と野風が頷いた。

「会えただろうよ。純粋な思いは神仏に通じると言うからの」


まだ玻璃のかけらが生まれたあたりに目を向けている野風を振り返って、店主は微笑んだ。

「左様でございますかね」

「皆、それを頼みにしておるのであろう」

「ああ、左様でございました」

店主はニヤリと笑った。


「成程、野風も左様な気持ちでありましたか」


「さあ、どうであったかの」

野風はくるりと踵を返した。


「要らんこと言わんと、さっさとしまいや。とり落としたら、厄介や」

クックと笑う店主を睨んで涕が注意した。


「ああ、野風、御覧なさい。とても美しい」


店主は手の中で、コロコロと笑い声をあげるように、色をクルクル変えて輝く玻璃のかけらを乗せた手を高々と上げた。


光が散る。


「思いを成就した付喪神の産み出す玻璃は、殊の外美しゅうございますね」

「左様じゃの」

「成程、これは付喪神の思いを成就させた方が効率が良うございますね」


「効率……」

目をく涕の横で、ふっと野風はため息をついた。


(そうじゃ、綺麗ななりに似合わず、無粋ぶすいなやつであったわ)


付喪神は本当に愚かだ……

野風は深々と溜息をついた。


(ほんに愚かじゃ)


砕け散った遠眼鏡の切れ込みの何処かに残っていた小さな硝子の欠片が、野風に応えるようにキラリと光った。


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