第6章 乱舞散開


 雪洞ぼんぼりのゆらゆらと揺れるあかりが、二人の瞳をキラキラと照らしている。


その光の届かぬ闇の中で、時の流れから取り残された品々から姿を現した付喪神たちが、薄闇に紛れそこに静かに立っている。


しかし、男はそれにも気づかずじっと黒い筒を見つめ続けていた。



「きっとこの遠眼鏡が見た風景で、記憶にとどめておきたかったそれを、あなたに見せているのでございましょうね」


「ああ」

男は床に膝をつくと慟哭した。


「なんとお気の毒な私の姫。

もし私に力があれば、何を置いてもあなたを幸せにするのに!」


男は店主の着物の裾に縋り付いた。


「お願いします!何でもします!

どうか、私をあの姫のもとへやってください」


「そうで御座いますね。

しかし、もう二度とここへ戻る事はできませぬよ」


店主の言葉に男は、一瞬目を彷徨さまよわせた。

「妹が。妹は、私はもう要らぬと申しました」


「ええ」

店主は頷いた。


「母もそれを否定しませんでした。

私はもうここでは、必要とされてないのかもしれません」


「左様にございましたか」

店主は能面のような笑顔で頷いた。




息づくようにユラユラと揺れる蝋燭ろうそくの炎が、骨董屋の壁に映す影を、ゆらり、ゆらりと揺らめかす。


姿を現した付喪神たちが

影を揺らめかせながら男を見つめている。



男は地面に腰を付けたまましばらく背を丸め、じっと店主の膝のあたりを見ていた。


次に顔をあげた時には、何かを振り切った笑顔になっていた。


それは、恋にやつれきった男のそれではなく、あの日の無垢むくな少年の笑顔だった。


「もしも戻れなくても、あの方にお逢いしたく思います。

もし出来るのならあの方を私の手で幸せにしたいのです」

「承知致しましてございます」

店主は頷いて、振り返ると店の奥の方へ声をかけた。


「野風、野風。手伝ってください」


さほど広くも無い奥のどこにいたのか、日に焼けた小柄な男が姿を現した。


野風は、ちらりと男をみると、腰につけた錦の袋から、藤の蔦で締めた漆塗りの短い縦笛を取り出した。


 

 香がくゆり、あたりを古めかしく静かな香りに染める。


目を閉じて、耳をすませば、風が草原を渡る音がする。

蝋燭の炎が揺らめいて、付喪神の影が壁に踊っているようにみえる。

手を上げ、足を上げ、ゆらりゆらり、影が何かに別れを告げるように踊っている。



男は遠眼鏡を抱き、主に言われた通り、ただ胸に姫の面影おもかげを思い浮かべた。


胸が熱くなり、姫の姿が鮮明になっていく。


姫の美しい姿が鮮明になる程、男の胸が、体が熱くなり、その熱で自分という物が軽くなり、空気に溶けて出していく。


吹き抜けるような風の音が耳元で聞こえる。


最初は、優しく語りかけるように静かに始まったそれは、段々と激しさを増し、今や、野を駆ける馬に乗っているようだ。


そしてそれは更に激しく、竹林を荒々しく揺らす大風のような音色に変わって行く。


野風の吹く笛の音は光の粒になり、遠眼鏡を包み込み始めた。


蝋燭の光の揺らめきは大きくなり、映す影の踊りは激しさを増していく。


遠眼鏡もそれに呼応こおうするように、光を吸って光り輝き始め……

男の手の中で形を崩し、パラパラと砕け、ゆっくりとひとつの姿を結び始めた。



(あ、あ、解けて行く)


存在を結んでいた思いが、緩み、解ける。


筒に宿った光が、それと混じっていく。


男の体が端から、その姿を解き始め、空中に溶け出し、吸い込まれ、筒の光と一体になる。




疾走しっそうする風の音の中、長い黒髪をたなびかせ姫が振り返って微笑んだ。


(ああ!見える!)

男は、すぐ側で微笑みを向ける姫を

そしてその向こうの豪華絢爛たる邸内を見た。


(ああ!ここは……私は知っている)

そう見知った、見慣れた空間だ。


(そうだ、私もまたここに居た)


綺羅を飾った天下人の館……


伸びた姫の指が男の体をなぞる


(姫……)


「私の……」


一瞬、爆発する様に銀色の光が男と遠眼鏡を包んだ。


次の瞬間に七色の光がそれに取って代わった。


店の中の付喪神たちが悲鳴をあげ、店主や野風の姿さえかき消えた。



 

「姫!雪姫様!」


「あの日へ連れて帰って……」


目の前で少女から大人の臈たけた女性に変わった姫は

黒い瞳に涙を溜めて訴えかけた。


「連れていって……」


男は消えていく自分を必死で繋ぎ止め、自分の名を呼ぶ姫を抱きしめた。

溶けていく意識の中で男は、姫を包み込み自分の中へ取り込んでいく。


夢の中へ……


あの景色の中へ……


しかしそれは叶わぬ夢だ。


臨界点を超えたそれは、ゆっくりと端から粉々に散り始めた。



「ああ」

光る声が言った。


くびきから解き放たれた魂の切れはしが、ふわりと宙に浮かんだ。



「ありがとう」


助けを求めつつ、閉じ込められていた姫が黄金に輝きなから微笑んだ。



「やっと自由になれました」



男だったものの名残の光が姫を包むとその姫は優しくそれを着物を纏うように引き寄せ


消えていった。




店の中に付喪神たちの姿が再び戻った。



「逝かれましたね」


店主が呟いた。

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