「南蛮灯の夢」

第1章 蒼い花の洋燈


淡い春の光がキラキラと降り注ぐ。


フワリ


散り始めの桜の花びらが、風に舞う。


ひらり ひらり


気紛れに吹く風に乗っていく。



まるで羽根突きのように、落ちかけると風が吹き上げて。

麗らかな春の街を行く人々に混じっていく。



しかし、ある骨董屋の回転扉に行く手を阻まれた。


戸惑ったように花びらは、歪んで映る硝子にゆっくりと滑り落ちていっていると


くるり


回転扉が突然回った。


「いらっしゃいませ」


 回転扉を回して入ってきたのは、一枚の薄桃色の桜の花びらと物々しい御一行様だった。


 まず、歳をとった干物のような女が入ってきて、ギロリと隙のない目つきで店内を睥睨へいげいした……


と思ったら、咲き誇る大輪の紅薔薇べにばらのような淑女しゅくじょが続いて扉から現れた。


陶器のような白い肌に、ツンと鼻先の尖った鼻。

アーモンドのような形をした黒々とした瞳。

艶のある口元には自信に満ちた笑みが浮かんでいる。

真紅の天鵞絨ビロードの襟のついた上着に、ドレスに、共布の小さな帽子をつけている姿は、そこだけ照明が当たっているような華やかさに溢れている。

文明開化というが、普段の服まで洋装というのは、相当な資産家の家の者だと知れる。


その後にその連れ合いらしい男が続いた。

なんというのか、一言で言うと「平凡」だ。

いかにも仕立ての良さそうなフロックコートに包んだ大柄な体で、美貌の妻になんとか釣り合いをとっているが、人の良さそうな顔立ちや、穏やかな目元など、とてもじゃないが一代で成り上がったようには見えない。

つまり、ご維新で成り上がった成金の育ちの良いボンボンといったところだ。


彼らとその侍女たちはその店に納まると、思い思いに骨董を物色し始めた。


 その店は維新直後に北の方の国の大名が、西洋料理店の経営に乗り出して失敗したとか言ういわく付きの建物で、洋風のぜいらした店内にどこか未だ退廃的な空気を残している。


「あら、このランプ素敵じゃない」


 薫子の声に目を上げた松村は、妻のそれ自体が工芸品のような華奢な手が持っている、西洋風のランプを見て微笑んだ。


落ち着いた金色の植物のつるがくるりと優美にS字を描き、その中にガラスの丸い火屋ほやが収まっている。

つや消しのガラスの上に巻いたも繊細な蔓の花は、どこかアールヌーボーの香りがした。

その蔓の花の褪めた蒼色も、物憂げで洒落しゃれている。


「へえ、こんなランプの骨董は珍しいね」


 松村が言うと、薫子がニコと微笑んだ。

その途端、まるでそのランプを点けたように、パッとあたりが明るくなった。


松村はこの華やかな美しい女性が、自分の妻なのか……

それだけで胸が高鳴る。


「ねえ、これ、いいでしょう」


 薫子は濡れて吸い込まれそうな瞳で、松村をのぞき込んだ。

長い睫毛が物憂げな影を作り、その強すぎる瞳の輝きをけぶらせた。


松村は頬を染めて鷹揚おうよう首肯うなずくと、店の奥に座っている店主に片手をあげて合図を送った。


「ね、君。これを包んでくれない」


 その間口は狭いが奥行のある作りの薄暗い店内の奥の、時の薄闇を背負うように静かに座っていた店主が、ゆらりと立ち上がると、急に店の中にむ妖しげな空気が音も立てず身動きを始めたように感じられた。


 するすると薄闇を背負ったまま滑るようにこちらに近づいて来た店主は、思いの外背が高く、年齢のわからない細い顔は紙のように白い。


 松村はなんとも言えない寒気が背中を伝い、気味悪さに薫子の方を向いて、辞めようと言いかけた。


「これは」


 その店主はおそろしく細く長い指で、体を強張らせている松村の隣に立っている薫子の持っているランプを指差した。


「本来は、二つ一対の物でございまして、当店で扱っておりますのは、その片割れだけになりますが、よろしゅうございますか」


「ああ、それじゃあ、ちょっと……」

「ええ、構わないわ」

 松村が言いかけるのに構わず、横から薫子がこたえた。


「でも、片方しか無いんですよ。せっかくだから、二つ揃っている方が良くないですか」


「だって、あなた。そのお話を聞く前に、私、これを気に入ったの。

だから、良いでしょう?」

 赤く染めたつややかな唇で、薫子は咲き誇る花のように、松村にまた微笑んだ。


 薫子は大名家の中でも格式の高い、足利家の末裔まつえい喜蓮川きつれがわ家の箱入り娘で、元々は公家か将軍家か悪くてその親戚へ嫁がせる為に、蝶よ花よと、それは、それは大切に育てられた。


だもので、気位が高く、とにかく押しが強い。


成金のボンボン育ちの松村がかなう相手ではない。


 松村はため息をつくと、店主に包むように合図を送った。


「有難う。このランプは私の寝室に置こうと思うの。ね、素敵でしょう」

「そうだね」

 松村が弱々しく微笑むと、薫子は満足した顔をした。


「ねえ、あなた。私、隣のお店も見たいの。先に行っていて良いかしら」

「え、それは……ちょっと。ほら、危なく無いかい」

「あら、嫌だ。

ただ隣のお店よ。

ね、いいでしょう?

ちょっとだけ、先に行って、あなたを待っているわ。

そうしたら、次のお店であなたを待たせず、済むでしょう?」


まるで作り物のように白く繊細な指が、松村の不恰好に大きな手の甲を、そっとなぞった。


松村が下膨れのいかにも人の良さそうな顔を赤らめると、薫子は品良く笑って

「じゃあ、隣の店で待っているわね」


返事も聞かず、お供の侍女たちを連れ、店の入り口の回転ドアをクルリと回すと、さっさと出て行ってしまった。


 出入り口のシャボン玉のように歪んだガラス板の向こうに、薫子の背中が見えなくなると、松村はまたため息をついた。


 松村は、先般薫子と結婚をしたばかりだ。


ご維新で「駄目」になった薫子の実家の家名を金で買った、よくある形の結婚である。


 親は薫子の実家の縁で商売の手が広がったと喜んでいるし、薫子の実家も松村の家の金で一息ついたことだろう。


 松村とて少々、我儘わがままなところはあるが、美しく教養のある薫子を見た時、こんな女性が……と天にも登る思いだった。

 

ところが、薫子の家の言うがままに盛大な結婚式をあげた後、松村家が用意した広大な新居で、薫子が柳眉りゅうびを逆立てた。


「私、こんな趣味の悪いお屋敷には住めないわ」


「え…これは貴女のために、金に糸目を付けず、当代一の装飾家に頼んだんですよ」


「でも、どの品もお高いだけで、いわれもない寄せ集めだわ。

これじゃあ、貴方のお父様のおっしゃる、私のお友達をお呼びしてのお茶会なんて、恥をかいてしまうだけですわ。

それこそ、私が嫁いでいながら、所詮しょせんは成金なんて陰口を叩かれて、結局は貴方のご両親にも恥をかかせてしまいますのよ」


 家長である父親にそのむねを伝えると、一瞬、強張こわばった顔をしたが、薫子の気が済むようにしろと言った。


 それから、薫子は、建築屋にあちこち手直しをさせたり、小道具屋や老舗しにせのなんちゃらとか言う店から人を呼び寄せた。


そして、それのみならず、こうして骨董屋巡りをしたりして、薫子の気にいる家具を買い集めることと相成った。


確かに薫子は、見惚れるほどに美しい。

まるで精巧な芸術品のようで、見ても、見ても見飽きない。


話も教養があふれ、機知に富んだ言い回しは、聞き飽きることはない。


しかし……

日が経つにつれ、松村の心は冬の冷風に吹き付けられているような、寒々しさが感じられるようになってきていた。


親に言っても「これ以上の良縁は我が家では見込めないぞ!ワガママを言うな!」

そう言われることは火を見るよりも明らかだ。

更に言えば、反対に

「お前の妹に婿を取らせる!勘当だ!」

などと言われかねない。


このまま、永遠に自分は満たされることなく、孤独な生活を送るのか。

新婚の夫とは思えないような、殺伐とした思いで、最近はため息ばかりが出る。


はあ……


松村は癖になってしまったようなため息をついた。


「大丈夫にございますか。お顔色が優れぬようで」


 いつの間に側まで来たのか、気配も何もなく店主が松村の顔の横でそうささやいた。


 ヒッと声にならない悲鳴を上げて、松村が後退りをすると、店主はニタリと笑った。


「さあ、お持ちなさい。きっと良い夢が見えましょう」


 店主は松村に薄い茶色の包みを渡した。


「良い……夢?」


困惑して、店主の顔をおずおずと見ると、店主はその気味の悪い笑顔を更に深くした。

「ええ、胸のつかえが下りる、大切な夢が見られることにございましょう」


クククと店主は笑って見せた。

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