第5話 かすかな気配
次の日も、拓海は図書館に向かった。やはり河川敷には少女がいた。すっかり少女のことを忘れていた自分が不思議で仕方なかった。
少女は一言二言言葉をかわしたあとにすぐ消える。そして拓海の頭の中からも、暫くすると少女の姿は消える。少女のことを忘れ、また橋にいくと思いだす。次の日も、その次の日も、同じことの繰り返しだった。
赤いリボンの麦わら帽子を被った少女。名前も家も思いだせないという少女は、ずっと川のほとりにいるらしい。
君は変わった子だね、というと少女は首をふった。
「変わってるのは拓海さんの方だよ」
外見に似合わず、大人びた話し方をする少女。
「怒らせたらごめんね。俺、君のことだけは何故かすぐに忘れちゃうんだ。なんでか分かる? 俺病気かな」
「ううん。そういうものなの」
少女は不思議で特殊な子だったが、怖いとは思わなかった。
その後も数日、拓海は同じような日々を過ごした。相変わらず少女のことは詳しく分からないけれど、分からないなりに少女と言葉を交わした。
その日も同じように少女と会った。
河川敷で少女と並んで川をみる。水面はきらきらと太陽の光を反射していた。
「拓海さんも飽きないね」
「不思議体験しているみたいで面白いからさ。一夏の不思議体験、小説っぽい。君、川の妖精か何かなのかな」
「何ですか、それ」
「だって、絶対普通の子じゃないでしょ」
少女は何とも言えない顔をしした。
そんな時、あら、拓海くん、と橋の上から祖母の声がした。拓海は驚いて顔を上げる。
「ばあちゃん、どうしたの」
「お買い物にね、行こうと思って」
橋を渡って、図書館に続く坂の横にある道。そこを進むと小さな八百屋がある。祖母はそこに向かうらしかった。
「ごめん、自転車使っちゃってて。買い物手伝おうか」
「いいのよ、これから図書館行くんでしょう? お勉強、頑張ってね。――、それにしても、拓海くん、こんなところで一人で何をしていたの? 子どもの頃みたいに川遊び?」
「一人?」
拓海は横をみた。少女はまだそこにいて、じっと橋の上を見つめていた。
「川遊びもいいけれど、気を付けてね。昔、ここで女の子が事故で亡くなってるのよ。そうそう、そのときは暫く、この橋に女の子の幽霊が出る、なんて噂もあったかしらね。危ないんだから、気を付けてね」
「――うん、分かった」
祖母は手を振って歩いて行った。拓海はその後ろ姿を眺めた。
「女の子の幽霊が出るんだって」
「そうだね、出るね」
「君、妖精じゃなくて幽霊だったんだな」
「うん。拓海さん、怖がらないんだね」
「だって君、怖くないし」
「そっか」
少女は笑って、そして拓海の目の前から消えた。
「そっかー、幽霊か。なんか納得した」
拓海はもう慣れたもので、自転車に乗って図書館に向かった。そうして少女のことを忘れて、また橋に戻る。
「こんばんは、幽霊さん」
「こんばんは、拓海さん。お勉強おつかれさま」
少女はふふっと笑った。
「私ね、もうすぐ消えるのよ」
少女は遠くを見つめる。
「幽霊ってね、現世との繋がりがあるうちだけ、この世にとどまっていられるみたいなの。繋がりが強いうちは、生きている人にも見えやすいんですって」
「繋がりって?」
「生きている人が、私たちを覚えてくれている間は、私たちはここに幽霊として生きていられるの。生きている人の記憶だけが、私たちをここに生かしてくれる」
「幽霊として生きるって、おかしな感じだね」
「でもそういうものなの。私はここに、幽霊として生きている。でもね、もう駄目みたい。もうすぐ私は消えるのよ。生きている人がみんな、もう私のことを忘れてしまうみたい。私の存在がどんどん薄くなっていくのが自分でも分かるの」
少女は麦わら帽子を手でいじった。
「昔はね、もっと色んな人が私のことを見てくれたの。それこそ『橋に幽霊がでる』って怖がられててね、あの時は私、この辺りでぶいぶい言わせてたんだよ」
でももう少女を見ることができる人間は少ない。拓海は数少ない、そのうちの一人だった。
それでも拓海は少女の記憶をすぐになくしてしまう。それに、みえていたと思った次の瞬間にみえなくなることもある。
「私は不確かな存在だから。拓海さんにとっては、すぐに消えてしまうほど、あやふやなものなの」
少女の存在は希薄で、そこにいるのにいない。
「私ね、昔は自分のこともしっかり覚えていたの。名前も家も家族のことも。でも今はもう覚えてない。ぼんやりとしか分からない。私はきっと、もうすぐ消えるのよ」
そう言って、少女は見えなくなった。
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