第4話 思いだす
翌日、拓海はまた自転車を倉庫から出してきた。
「拓海くん、今日も図書館? 熱中症には気を付けなさいね」
「はーい。いってきます」
いってらっしゃいと見送る祖母を背に、拓海は自転車をこいだ。結局、拓海は祖母に聞くはずだったことを思い出せずにいた。
強い日差しを背に自転車を走らせ、あの小さな橋に通りかかった。
「橋――、やっぱり、なんか忘れてるよな」
橋の上で、ふと視線をずらして、川の方を見た。赤いリボンの麦わら帽子が視界に映る。
あ、と拓海はブレーキをかけた。キキっと車輪が高い音を鳴らす。
「ねえ!」
橋の上から声をかけた。
少女は数秒おくれて拓海を見上げ、目を丸める。つい、勢いにまかせて声をかけてしまった。
昨日、拓海が祖母に話そうと思っていたのは、この少女のことだったと思い出す。何故かすっかり忘れていた。
どうしてすっかり忘れてしまっていたのだろう。そうは思ったが、思いだせたことにすっきりして晴れ晴れしく感じた。
「昨日、ちゃんと帰った?」
少女は拓海を見上げるばかりで何も答えなかった。
「そっち行くから、ちょっと待ってて」
自転車からおりて、橋を小走りで駆ける。
だが、河川敷までおりようとしたとき、先程までそこにいた少女は、昨日と同じく、またもやいなくなっていた。
周りを見渡しても少女の影はない。河川敷までおりてみたが、どこにもいなかった。隠れるような場所も周囲には見当たらない。いったいどこに消えたのか。
きょろきょろと周りを見渡していると、犬と散歩している女性が橋の上を通って、拓海を不思議そうに見た。目が合って、なんとなく気まずくて、小さく会釈をした。
拓海は一人でこんなところにいるのが突然恥ずかしくなった。いい歳をして、こんな場所で何をしているのかと周りに思われたくない。拓海はいそいそと橋まで戻って自転車にまたがってその場をあとにした。
坂をのぼり、図書館についた。タオルで汗を拭きながら、昨日と同じ席につく。相変わらず館内は涼しい。
河川敷にいるあの少女は何なんだろうか。図書館についてすぐはそんなことを考えていた。だが、論文を広げて読んでいるうちに、すっかり頭の中から少女の存在は消えていた。目の前の課題に没頭する。
数時間を図書館で過ごした。その帰り道。
また橋に通りかかると、例の少女がいた。そこにきて初めて、また自分は少女のことを忘れていたと気づく。何故かは分からないが、思考に
今度は声をかけずに少女に近付いた。
「ねえ」
じゅうぶん近づいてから声をかける。少女は振り向いて、驚いたように一歩のけぞった。
「ごめん。驚かせるつもりはないんだけど。俺、怪しい人じゃないからさ、怖がらないでほしいな。――、昨日ちゃんと帰れた? 自分の名前とか思いだせないって冗談なんだよね? ちょっと気になっちゃってさ」
「――名前は、わからない。家も」
「でも、昨日いつの間にかいなくなってたし、お家には帰ってるんだよね?」
「私はずっと、ここにいました」
拓海はどう反応すればいいのか分からなかった。やっとまともに会話ができたはずなのに、噛み合わない。
「昨日も、今日の朝も、目を離したすきにいなくなってたけど、どこにいたの?」
「私はずっとここにいました」
先程と同じ言葉。
困った、と拓海は思う。この少女とコミュニケーションをとる自信が一気に喪失しつつあった。
その時、ズボンのポケットに入れていたスマートフォンが数回震えた。ちょっとごめんねと少女に断って、ポケットから取り出した。大学の友だちから「レポートどんな感じ?」とメッセージが送られてきている。ムンクの叫びのようなスタンプがついていた。
返信するのが面倒で、スマートフォンはそのままポケットにしまった。どうせレポートの愚痴を聞かされるだけだ。返事をするだけ無駄である。
拓海は息を吐きながら少女に向き直ろうとした。
しかし、そこには誰もいない。
「またか」
この展開にも慣れてしまった。
拓海がスマートフォンの画面を眺めるたった数秒の間にどこに隠れられるというのか。おーいと呼びかけてみたが、返事もない。拓海はため息をついて、橋に戻った。これ以上探しても少女は見つからない気がした。
そうして、拓海は自転車をこいで祖父母の家に戻る間に、また少女のことを忘れていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます