無垢なる世界に慄く【巨匠】の記憶。

「トニー、君はホラーは苦手かい?」


 俺は工房を訪れた異世界の神の使いに不意に問われた。綺麗な女の子が無惨な目に遭うことが許せないだけかな。美しい女性はすべからく大切にされなければならないからね。オッサンはどうでもいい。


「ああ、それで君は何度も人外の娘で死にかけてきたわけだ。」

うるさいな。恋に生きていいのは恋で死ぬ覚悟があるやつだけの特権さ。そう言うと彼は大笑いする。


「トニー、『殴っていいのは』みたいな言い方はやめてくれたまえ。」

笑い過ぎだ。


 俺は錬成術師として生きている。それは思わぬ世界を俺の前に開いた。それは神々との取り引きである。 

 ダンジョンの宝箱に収める魔道具。勇者たちに与えられる聖剣や魔法の杖。俺の作品は名品、銘品と謳われ、やがて多くの神々に求められるようになった。


 「まあいい。これはだれも肉体的には傷つけられはしない。精神的なホラーだよ。それを見てもらえないか?」


「 精神病的なサイコパス」ってことか?ヤンデレもサドっ娘も喰わず嫌いはしない性向たちでね。俺は軽い気持ちで神の使いが伸ばした手のひらにある水晶に手を触れた。


 ドクン、という心臓の拍動のような音ともに俺の精神はその世界へと飛ばされていた。地球にしか見えない現代世界だ。町並みはイタリアに似てるだろうか。ただ家は大きな家が多く経済的にも恵まれているのか。


 情報収集と言えばとりあえず「酒場」だろう。しかし、アルコールを提供する店が見当たらない。酒屋があったのでどこか勧めてもらおうか尋ねると酒は家でしか飲めないようだ。酒をわけてもらおうかと思ったが配達専門で登録者以外のには販売できないという。とりあえずタバコを買える店を聞くとタバコという存在そのものを知らないようだ。


 夜の街は驚くほど静かだ。人がいないということじゃない。お行儀がいいのだ。酔っ払いも客引きもまったくいない。


 情報収集がてら本屋に寄ってみる。店頭を飾るのは宗教書の数々。ここは中世か?大人しか読めないようなエッチな本は一冊もない。


 第一次世界大戦前の倫理観だろうか。いや、もっと昔の清教徒か。正直言って俺は絶対こんな世界では生きられん。しかも周りにはこちらを監視するような人々の目。


確かにこれはやばい。


 俺は嫌になってログアウトする。目を上げると神の使いがにやけていた。

「トニー、どうだった?とは聞かないよ。お前のその真っ青な顔を見てれば分かるさ。あれが『完全なる清浄の世界』だ。」


 娯楽も性的、暴力的な表現は一切ないのだという。薬物や賭博も存在しない世界。確かに、「無垢なる魂」以外は生きていけないだろう。しかし、犯罪はどうやって対処するんだ?


 「徹底的な監視社会だからね。キミも感じただろう?あの見られている感じ。女神は自分の定めた法を破ったものを『転生体験』させるんだよ。


 転生体験?


「そう、古からその体験はこう呼ばれていたよ。『煉獄』とね。」

煉獄とは天国への直行便に乗れるほど善良じゃない魂が焼かれて純化される場所。いわゆるプチ地獄だ。


 なるほど、転生の女神だけあって刑務所代わりに転生を使っちゃうわけだ。

「そう、古典的な手法だけどね。効果は抜群さ。」


 昔からの宗教のやり方は変わらない。「死後の命」で生前の行動を縛る。宗教のいかんにかかわらず、天国(極楽)と地獄の教理を持つ教団の常套じょうとう手段だ。ただ、転生の女神が自らやっているだけに本当に洒落にならないのだ。


 「トニー、この世界の人々は自分の気持ちを押し殺して生きている。そのシステムを破壊して欲しい。」


 確かにこれは酷い。世界全体を「修道院」にしてしまったかのようだ。

「しかし、俺に神が作った世界をどうこうする権利はないぞ。」

そう、それは造物主クリエイターの自由だ。俺だって自分の作品に勝手に手を加えて欲しいとは思わない。


「キミの仲間がそこにいたとしてもかい?」

仲間?

「マーヤだよ。あの女神はああいう純粋な魂の持ち主がお好みでね。方々の世界から狩り集めているのだよ。マーヤを殺して魂を奪った黒幕は彼女なのさ。そういう迷惑行為をキミはどう思うかい?次の標的はキミの愛する女性パートナーかもしれない。」


 だから俺はたった一人という存在は作らないつもりだからな。そう言って俺はこの依頼を断った。


 ただ、残ったものは「後味の悪さ」だ。俺はマーヤが死んだ後、奏が心配になりジャスティンに頼んで様子を覗いたことがあった。あんなに絶望した顔を見たことがなかった。恐らく彼はあの時本当に死にたいほど辛かったはずだ。


 俺は工房のドアを開けると神の使いはそこで俺を待っていたのだ。

「やってくれるかい?」


ああ、あんな酒が不味くなりそうな顔を見るのはもうごめんだ。


 

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