花火大会に行きたいメイド【私】の物語。今北産業。

(このエピソードはKAC2020参加作を加筆修正しています。今後は第7章に移動します。) 


ねえ、花火大会に行こうよ。


 毎年7月最後の土曜日に行われる隅田川の花火大会。私は子どもの頃一度だけパパとママに電車で連れて行ってもらったことがある。金魚の柄の浴衣を着せてもらい、黒塗りで赤い鼻緒の桐下駄を履いて。あんなに大きな花火を見たことがなかったし、こんなに夜遅くまで起きていたこともなくてただただ昂奮していた。

 ただ最後は慣れない下駄の鼻緒が痛くてパパにおんぶしてもらって帰ったっけ。


 去年も友達に誘われていたけど、剣道部の夏合宿で行けなかった。そう、私は失われた青春を取り戻さなければならないのだ。


「い・や・だ。」

ところが奏のやつ、あっさりと断りやがった。なぜだ?明確に理由を説明なさい。手短ね。奏はモニターにかぶりつきでゲームをしている。顔もむけずに説明を始めた。


「では三行で説明してやる。疲れるのは嫌だ、人混みが嫌いだ、俺はゲームがしたい。以上だ。」

このインドア大魔王め。今だってゲームやってるじゃん。そんなもんいつだってできるでしょ?疲れるというなら、そんな戦争ゲームの方が見てるだけで疲れるわ。


奏はコントローラーを持ったまま、器用にジュースを飲む。

「あのさ、魔王ってのは魔王城の最奥の広間で勇者の挑戦をじっと待っているのが仕事なの。だから今の俺は遊んでいるわけじゃない。待機任務中なの。」

 じゃあ、今、勇者が来たらどうするんですか?

「それはもうちょっとだけ待ってもらうさ。区切りのいいとこまでね。俺は逃げも隠れもしないの。」


しかし、助け舟は画面モニターの向こう側から来た。

「ナデちゃん見っけ!こんなところに隠れてたか。いいじゃん。俺も花火行きたいな。」

「ナデちゃん、逃げ足はっや!俺も行きたい。」

プププ、ゲームじゃ逃げも隠れもしてるじゃん。しかもボイスチャットボイチャオンになってて聞かれてやんの。

「よう三橋ミッチーか?俺も行きたいんだけど!」

なんだよ。しかもいつものクラスメイトとやってんの?魔王のくせに世間狭いの?


「うっさいなぁ。アストリアの街の人たちとも仲が良いんだぞ。ほら、見てみ?こうやって転送魔法陣ゲートを開ければ今でも自由に魔王都オデッサへ行き来できんだからねっ!街の行きつけの居酒屋で常連のおっちゃんたちがいてさぁ。⋯⋯あっ、ちょっと待って。やばい、やばい。死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ⋯⋯。」


 ツンデレ拗らせているうちにゲームで死にそうになってやんの。元最強勇者のくせにね。あはは。


「わかったよ。セバに段取りはさせておくから、スマホ使って行きたい連中呼んどいて。あとジュースね。」


かしこまりました旦那様。それでは遠慮なく。

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