知らぬ間に奪われたもの
気づいた時から、
朱は孤児だ。赤ん坊の頃に、預り寺の前に捨てられていたのだという。
ここには何人かの子どもがいるが、赤ん坊の頃からいるのは朱ただ1人だ。
お坊さんや世話係のおばさんたちは、みんな優しかった。子どもたちも、年長者が下の子の面倒を見ていた。貧しかったが、それなりに平穏な日々を過ごしていた。
それは徐々に、なんの違和感も感じさせないように忍び寄ってきていた。
最初は少しの違和感だった。
視界が妙に暗く感じる。でもしばらくすれば治ったし、全く見えないというわけでもなかったから、とりわけ気にすることもなかった。だけど、そんなことが何度か続き、朱さえも気付かないうちに、見えるもの全てから色を奪っていった。
いつも通りに空を見上げても、空が青くない。まるで曇り空のように、濁って見える。
預り寺の敷地内に咲いている花々も、綺麗な色合いをしていたはずなのに、今じゃ色の濃淡しか分からない。あの綺麗な花々の色ではなくなってしまっていた。
お坊さんたちは、初めは真面目に取り合おうとはしてなかった。だけど、日が経つにつれて、何かおかしいと気づき始める。
見上げる空も、敷地に咲く花も、周りの人々の顔さえも、色というものが朱から去っていった。分かるのは、雲の白さと夜の暗さ、そして濃淡。朱の日常は、それが当たり前になっていった。
色を失ってから少しして、預り寺に流浪の薬師がやって来た。お坊さんはその人に朱のことを診てもらった。
「原因は分からんが……おそらくその子自身の問題だろうね」
日ノ国の外、外の世界の国々にはそういう心を問題とする分野の学問があるようだが、まだこの国には広まってないのだという。よその国の人たちは、あまりこういうところに来ることはない。こちらから訪ねたところで、診療代を払えるわけでもない。何らかの縁で、この寺に寄った時にしか、無料でみてもらえないのだ。
朱は、色がみえないことを諦め始めていた。見えないなりに、日常を過ごすうちにコツもつかんできていた。
今では本人が言わない限り、至って周りの子どもたちと何ら変わりないのだ。
だけど、時折、あの色鮮やかな景色を見たいと思う。もうほとんど色というものを忘れかけてはいるが、今よりもそれはそれは美しいものであったとは記憶している。
年月だけが過ぎていき、今ではこの預け寺の最年長は朱ひとりとなっていた。
小さき子たちの面倒をみながら、ただ平凡な日常を過ごしていく。その間にも、1年に1度くらいは、流れの医師や薬師が立ち寄った。だが、その者たちに診てもらっても、はっきりとした治療法は分からなかった。
朱は今日も、年少者たちの世話をしながら、雲ひとつない濁った色の空を見上げる。
そして、本当のその空の色に、静かに思いを馳せていた。
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