第24話 徹夜明けの社畜の咆哮


エックホーフ領へ到着した絢理が道に迷うことはなかった。

闘技場の場所を知らない絢理だったが、群衆が蜘蛛の子を散らすように全力疾走していて、何から逃げているのかと思えば、遠目でもドラゴンの姿がはっきりと見て取れた。


何かが起きたに違いないと、絢理は判断するなりフォークリフトの爪先をドラゴンのいる場所――即ち闘技場へと真っ直ぐに向けたのだった。

ドラゴンを目印に到着してみれば、オルトとメイドが言い争っている。


だが、タビタの姿がないのはどうしたことか。


流石に巨大なドラゴンを横目に若干びびりながら、絢理はオルトへ尋ねた。


「――やっば。何ですかあれ。どういう状況です、これ?」

「お……お……」

「お? 何かの鳴きまねですかね、オットセイとか?」


様々な感情に翻弄されているのか、オルトはなかなか言葉を発せない。

絢理が見当はずれな疑問を口にするのとほぼ同時、オルトはようやく言い放った。


「遅かったじゃないかっ!」


絢理へと足早に歩み寄り、両肩を掴んでがくがくと揺らしてきた。


「どこで道草食ってたんだ! 本当ならとっくに到着してるはずだったのに! おかげで試合は大変なことになってるんだぞ!」

「ややややや」

「ふざけてないで説明を――ぐふっ!」


激情に任せるがまま絢理の身体を揺すっていたオルトが、急に勢いを失くしてうずくまる。

絢理の正拳が見事に彼のみぞおちを捉えていた。


「やめろと言ってるんですセクハラで訴えますよ」


膝をつくオルトを見下ろす絢理の瞳は、底冷えするほどに冷淡だった。


「そもそも貴方が呪文を教えてくれてなかったから、こんなことになったんですよ。私がどれだけ苦労したと思ってるんですか。見てくださいほらこの両手。痛そうでしょう? ええ痛いですよ。フォーク掘り起こしたんですよ? 素手で。この小さい手で。星明りしかない夜の荒野で。たったひとりで。爪は折れるわ皮は剥けるわ傷はつくわ血出るわ土まみれになるわ汗まみれになるわで!」


絢理は全身泥だらけだった。

一昨晩せっかく湯に浸かったというのに、もはやその記憶ごと泥に塗れているといっても過言ではない。

頭髪も顔も土埃を被り、何というか、とても残念な様相を呈している。


絢理の愚痴は、留まることを知らない。


「やっとの思いで掘り出したフォークに乗って工場に戻った頃には夜明けも近い頃合いですよ。分かりますか? 一晩中掘り返してたんですよ? そのまま休む暇もなく工場回したんですよ。汗まみれで咽喉もカラカラででも自販機もないから水分も取れずに頭くらくらで。そのうえ魔法陣のために血も流したから貧血で頭くらくら倍率ドン! 全紙をあれだけ重いと感じたのは入社以来でしたよ……! 何度睡魔に身を委ねそうになったか。何度貴方をぶち殺してやろうと思ったか。それでもタビタさんクライアントのためならと社畜根性全開で印刷してきたんです!」


荒く息をついた絢理の相貌はまさに幽鬼のごとし。

青白い肌はボロボロ、目の下の隈は筆で描いたようにはっきりと。

眼は充血し、瞳は徹夜明けのテンションで爛々と鈍く輝いている。


オルトは平身低頭、いまの絢理に抗弁出来ようはずもなく。


「何というか……ごめん、そんなに大変な目に遭ってたとは知らず」

「いえ、ひとまず許しましょう――どうせ後でぶち殺すので」


吐き捨てる絢理。


「あれ? ひょっとして許すの意味って異世界だと違う?」


オルトがおずおずと確認してくるが、無視した。

烈火の如き文句をぶつけ終わって、ところで、と絢理は周囲に目を向ける。


「で? タビタさんはどこです?」

「そ、そうだ! 反省してる場合じゃないんだ!」

「いやそこは反省しろよ」


という絢理のツッコミを今度はオルトが無視する。

絢理の登場に気を緩めていたが、いまは一刻を争う。

立ち上がったオルトが、闘技場中央に凝然と立つドラゴンを指さす。


「彼女を止めるんだ! 今すぐに!」

「……あのドラゴン雌なんですか?」


半眼でドラゴンを観察するが、性別を区別できるような特徴は見当たらなかった。

悠長に構える絢理とは対照的に、オルトは狼狽しながら早口で訴える。


「あのドラゴンはタビタだ! 自我を失くして暴走してる! このままじゃ――」


突拍子のない叫びに絢理は眉をしかめるが、


「――彼女は、人を殺してしまう!」


その一言で、スイッチを切り替えた。


「そういう大事なことは早く言ってくださいよ!」


絢理はドラゴンを一瞥する。

どうしても、眼前の巨大な怪異とタビタの笑顔とは結びつかない。

面影のない変容だが、オルトが虚言を弄するはずもない。


よく見れば、ドラゴンと対峙する人影が見えた。

壁際に追い詰められて膝をつくのは、オーヴァンと呼ばれていた騎士だ。

成程、と絢理は状況を推測する。


劣勢に立たされたタビタが逆転の一手としてドラゴンへと変身。

狙い通り優位には立ったが暴走、勝利するどころか、殺しつつある――そんなところだろうか。


「ドラゴンに変身とか流石は異世界、スケールが違いますね……!」


言いながら絢理はフォークの運転席へと駆け戻る。

操作レバーを掴み、フォークの爪を稼働させる。

爪には一枚のパレットが載り、その上には大きな包みが二つ、積載していた。

運転席の眼前まで用紙の束を上昇させた絢理は、身を乗り出して一段目の包みを乱暴に破る。

ドラゴンに視線を向けながら、問いはオルトへ鋭く。


「フォーク隠し解除用の魔法陣も刷ってきたんですが、役に立ちますかッ?」

「そんなのこの状況には――」


即座に否定しようとしたオルトだったが、何かに思い至ったように口をつぐむ。

僅かに考える所作を挟んでから、オルトは頭を振った。


「いや、案外いけるかもしれない……」

「唱えてください! 今すぐッ!」


まさにドラゴンが牙を剥き、オーヴァンへと迫ろうとしていた。

包みを解いた魔法陣を、絢理は逸る気持ちそのままに全力で蹴飛ばす。


「全判一〇〇〇通し八裁・計八〇〇〇枚同時発動――」

「――解き解せ、エーピオス!」


魔法書士の詠唱に応じて、8,000枚の魔法陣が一斉に光を放った。



<続>


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