第23話 絶望
◆
宮廷騎士は、あらゆる戦況に対して最適な戦略を構築する。
オーヴァンは山のように聳える眼前の怪異に対して、素早く魔法陣を掲げた。
「祈りをもって破砕せよ、キオノスティヴァス!」
雷撃が殺到する。
直撃すれば獅子でも絶命する威力だが、ドラゴンは意に介さない。
回避すらせず、オーヴァンへと爪牙を振るう。
巨体に似合わぬ俊敏な一撃。
左右の巨腕と、頭部を合わせての三点同時攻撃。
回避は間に合わない。そもそもが、一撃ごとの射程が長すぎるのだ。
「ぐう……ッ!」
一本ずつが一メートルを超える爪が、オーヴァンの重鎧を捉える。
剣戟さえも弾く鎧が容易に引き裂かれた。血しぶきが舞う。
オーヴァンは痛みを意識の隅に押しやり、唱える。
「接吻をもって大地に恵み成せ、エレーミアーッ!」
大地から盛り上がった石柱が、弾頭となってドラゴンを襲撃する。
だが、気をそらす程度の効果しかない。
オーヴァンは舌打ちする。
宮廷騎士は、あらゆる戦況に対して最適な戦略を構築する。
この戦況における最適解など明白だ。
逃走――それ以外には有り得ない。
数多存在する種族の中でも、ドラゴンの能力は他の追随を許さない。
人間の勇気も、エルフの知恵も、ミノタウロスの腕力も、ゴブリンの狡猾さも、ドラゴンの前には児戯に等しい。
まぎれもなく、地上最強の存在である。
本来ならば、こんな辺境の街に姿を現すような存在ではない。生物の踏み入れることのできない秘境に暮らし、一生のうちに一度もその姿を見ない者も多い。
大きな災害や戦争の際に、ドラゴンはそれを諫めるかの如く登場することが多い。
そしてひとたび現出すれば、その暴嵐の如き強靭さは伝説として語り継がれる。
宮廷騎士の先導で一個大隊を率いて、ようやく五分の勝負に持ち込めるかどうか。
オーヴァン単騎で、勝ちの目はない。
だがそれでも、彼は撤退を選択しなかった。剣を交え、少しでも長く時間を稼がねばならない。彼は瞬時にそう判断していた。
観衆のみならず、この街に暮らす領民を一人でも多く逃がさなくてはならない。
本来的に騎士とは、
「――誰かを守るための存在なのだから」
ドラゴンの巨腕を剣で受け流す。
殺しきれない勢いに後退を余儀なくされるが、踏みとどまる。
騎士が膝を折るなど、言語道断。
右脚を失くせば、左脚で立てばいい。
両脚を失くせば、剣を突き立てればいい。
剣が折れども、意志は折れない。
意志ある限り、敵に背を見せる理由はない。
その背に、主より拝命した勲章を宿す限り。
「君はどうかね」
口元に挑戦的な笑みを浮かべながら、オーヴァンは巨躯に問う。
「何を背負う」
無論、ドラゴンは答えない。
暴走するドラゴンは悲鳴のような咆哮を続け、がむしゃらな攻撃の手を休めない。確実にオーヴァンの身体を蝕んでいく。
孤児とは聞いていたが、その正体が竜人とは想像だにしなかった。
ドラゴンは擬態能力も持つというが、オーヴァンはそれを初めて目の当たりにした。
グーテンベルク王は彼女との婚姻を望んでいたが、あるいは――
「……気づいていたのかもしれんな」
ドラゴンを戦力に取り入れることができれば、ヨハネス王国の軍事力はより盤石となる。
他国への牽制材料にと考えていた可能性は、低くはないだろう。
彼女を王のもとへ連行することを目的としていたが、それは叶いそうにない。
剣は弾かれ、魔法は効かず、寧ろ抵抗は彼女の怒りを焚き付ける燃焼材にしかならない。
大木を思わせる巨腕の一撃を受け、オーヴァンは壁際まで吹き飛ばされた。
背中から全身を駆け抜ける衝撃に苦悶が漏れる。血交じりに胃の中のものをぶちまけ、荒く息をつく。
脳が揺さぶられ、意識がかき乱される。
視界がぼやけ、巨影が滲む。
「度し難いな……」
全力を尽くして尚、オーヴァンが稼ぐことのできた時間は五分足らずだった。
精鋭中の精鋭と謳われた騎士でさえ、手も足も出ない。
その様子を遠くで見守ることしか出来なかったオルトは、この無謀な戦いの決着が近いことを理解した。
焦燥も露わに、エルマの肩を掴む。
「……もう限界だ、ここを離れよう」
「お断りします!」
と、エルマは間髪入れずに否定した。
「私のせいであんなお姿になられたというのに、お嬢様を置いてはいけません!」
その悲痛と後悔は、オルトも痛感している。
タビタに魔導書を与えさえしなければ、これほどの惨状はなかった。
魔導書の支援がなければタビタは絶命していただろうが、自分たちがこの状況を作り出してしまった事もまた、代えがたい事実だ。
タビタの無分別な攻勢を見るに、彼女は自我を失っている。
一転して唯一の希望となったオーヴァンは、しかし満身創痍の様相。
相手を失くしたタビタはこの後、闘技場を離脱して街を蹂躙しかねない。
そうならば、
「ここにいても無駄死にするだけだ、少しでも遠くへ逃げないと……ッ!」
「ではオルト様だけお逃げください!」
「しかし――」
「お嬢様にッ!」
尚も言い募ろうとするオルトに、エルマは激高し、次の瞬間、つきものが落ちたかのように冷静さを取り戻した。
そして、穏やかに笑みさえ浮かべてこう言うのだ。
「元より、お嬢様に拾っていただいた命です。お嬢様に捧ぐのならば、本望ですとも」
咄嗟に、オルトは二の句が継げない。
目を丸くし、一瞬、逃げなければならないというこの絶望的な状況を忘れた。
それはエルマの言葉に感化されたから――ではなかった。
彼女の肩越しに、見慣れない、しかし見たことのある、待ち望んだ姿を見たからだった。
オレンジ色の鋼鉄の機械。
その運転席から身を乗り出した彼女は、あっけらかんと問うのだった。
「――やっば。何ですかあれ。どういう状況です、これ?」
相変わらずのへの字口で、戸叶絢理はそこにいた。
<続>
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