第23話 絶望


宮廷騎士は、あらゆる戦況に対して最適な戦略を構築する。

オーヴァンは山のように聳える眼前の怪異に対して、素早く魔法陣を掲げた。


「祈りをもって破砕せよ、キオノスティヴァス!」


雷撃が殺到する。

直撃すれば獅子でも絶命する威力だが、ドラゴンは意に介さない。

回避すらせず、オーヴァンへと爪牙を振るう。


巨体に似合わぬ俊敏な一撃。

左右の巨腕と、頭部を合わせての三点同時攻撃。

回避は間に合わない。そもそもが、一撃ごとの射程が長すぎるのだ。


「ぐう……ッ!」


一本ずつが一メートルを超える爪が、オーヴァンの重鎧を捉える。

剣戟さえも弾く鎧が容易に引き裂かれた。血しぶきが舞う。

オーヴァンは痛みを意識の隅に押しやり、唱える。


「接吻をもって大地に恵み成せ、エレーミアーッ!」


大地から盛り上がった石柱が、弾頭となってドラゴンを襲撃する。

だが、気をそらす程度の効果しかない。


オーヴァンは舌打ちする。


宮廷騎士は、あらゆる戦況に対して最適な戦略を構築する。

この戦況における最適解など明白だ。

逃走――それ以外には有り得ない。


数多存在する種族の中でも、ドラゴンの能力は他の追随を許さない。

人間の勇気も、エルフの知恵も、ミノタウロスの腕力も、ゴブリンの狡猾さも、ドラゴンの前には児戯に等しい。

まぎれもなく、地上最強の存在である。


本来ならば、こんな辺境の街に姿を現すような存在ではない。生物の踏み入れることのできない秘境に暮らし、一生のうちに一度もその姿を見ない者も多い。

大きな災害や戦争の際に、ドラゴンはそれを諫めるかの如く登場することが多い。

そしてひとたび現出すれば、その暴嵐の如き強靭さは伝説として語り継がれる。

宮廷騎士の先導で一個大隊を率いて、ようやく五分の勝負に持ち込めるかどうか。

オーヴァン単騎で、勝ちの目はない。


だがそれでも、彼は撤退を選択しなかった。剣を交え、少しでも長く時間を稼がねばならない。彼は瞬時にそう判断していた。

観衆のみならず、この街に暮らす領民を一人でも多く逃がさなくてはならない。

本来的に騎士とは、


「――誰かを守るための存在なのだから」


ドラゴンの巨腕を剣で受け流す。

殺しきれない勢いに後退を余儀なくされるが、踏みとどまる。

騎士が膝を折るなど、言語道断。


右脚を失くせば、左脚で立てばいい。

両脚を失くせば、剣を突き立てればいい。

剣が折れども、意志は折れない。

意志ある限り、敵に背を見せる理由はない。

その背に、主より拝命した勲章を宿す限り。


「君はどうかね」


口元に挑戦的な笑みを浮かべながら、オーヴァンは巨躯に問う。


「何を背負う」


無論、ドラゴンは答えない。

暴走するドラゴンは悲鳴のような咆哮を続け、がむしゃらな攻撃の手を休めない。確実にオーヴァンの身体を蝕んでいく。


孤児とは聞いていたが、その正体が竜人とは想像だにしなかった。

ドラゴンは擬態能力も持つというが、オーヴァンはそれを初めて目の当たりにした。

グーテンベルク王は彼女との婚姻を望んでいたが、あるいは――


「……気づいていたのかもしれんな」


ドラゴンを戦力に取り入れることができれば、ヨハネス王国の軍事力はより盤石となる。

他国への牽制材料にと考えていた可能性は、低くはないだろう。


彼女を王のもとへ連行することを目的としていたが、それは叶いそうにない。

剣は弾かれ、魔法は効かず、寧ろ抵抗は彼女の怒りを焚き付ける燃焼材にしかならない。


大木を思わせる巨腕の一撃を受け、オーヴァンは壁際まで吹き飛ばされた。

背中から全身を駆け抜ける衝撃に苦悶が漏れる。血交じりに胃の中のものをぶちまけ、荒く息をつく。

脳が揺さぶられ、意識がかき乱される。

視界がぼやけ、巨影が滲む。


「度し難いな……」


全力を尽くして尚、オーヴァンが稼ぐことのできた時間は五分足らずだった。

精鋭中の精鋭と謳われた騎士でさえ、手も足も出ない。

その様子を遠くで見守ることしか出来なかったオルトは、この無謀な戦いの決着が近いことを理解した。

焦燥も露わに、エルマの肩を掴む。


「……もう限界だ、ここを離れよう」

「お断りします!」


と、エルマは間髪入れずに否定した。


「私のせいであんなお姿になられたというのに、お嬢様を置いてはいけません!」


その悲痛と後悔は、オルトも痛感している。

タビタに魔導書を与えさえしなければ、これほどの惨状はなかった。

魔導書の支援がなければタビタは絶命していただろうが、自分たちがこの状況を作り出してしまった事もまた、代えがたい事実だ。


タビタの無分別な攻勢を見るに、彼女は自我を失っている。

一転して唯一の希望となったオーヴァンは、しかし満身創痍の様相。

相手を失くしたタビタはこの後、闘技場を離脱して街を蹂躙しかねない。

そうならば、


「ここにいても無駄死にするだけだ、少しでも遠くへ逃げないと……ッ!」

「ではオルト様だけお逃げください!」

「しかし――」

「お嬢様にッ!」


尚も言い募ろうとするオルトに、エルマは激高し、次の瞬間、つきものが落ちたかのように冷静さを取り戻した。

そして、穏やかに笑みさえ浮かべてこう言うのだ。


「元より、お嬢様に拾っていただいた命です。お嬢様に捧ぐのならば、本望ですとも」


咄嗟に、オルトは二の句が継げない。

目を丸くし、一瞬、逃げなければならないというこの絶望的な状況を忘れた。

それはエルマの言葉に感化されたから――ではなかった。


彼女の肩越しに、見慣れない、しかし見たことのある、待ち望んだ姿を見たからだった。


オレンジ色の鋼鉄の機械。

その運転席から身を乗り出した彼女は、あっけらかんと問うのだった。


「――やっば。何ですかあれ。どういう状況です、これ?」


相変わらずのへの字口で、戸叶絢理はそこにいた。


<続>

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