第21話 告白
◆
昨夜、魔導書の痕跡を追っていたオルトは、最終的にエックホーフ邸に至った。
「どういうことだ……?」
犯人はエックホーフ邸に出入りしている人間――それどころか、こんな夜更けにこの家に戻るなど、それこそ家人でなければ有り得ない。
となると犯人は自然と絞られるが、では、何の動機で。
「確かめるにしても、この時間はなあ」
行動を決めかねて、オルトは頬を掻く。
邸内に入れば疑問は解消するが、夜分の往訪にしたって非常識な時間だろう。
往訪していいものかを考えあぐねているうちに、一つの音が夜陰を割った。
門が開く音だ。
まるでこちらの意を汲んだようなタイミングで開いていくなと、オルトは思う。
否、まるでという表現は克明ではない。
実際、その門はオルトを出迎えるために開いたのだ。
門の向こうから姿を現した人影を見て、オルトは肩をすくめた。
「ちょうど会いたいと思ってたんだ、まさか君から出てきてくれるとはね」
「……どうして、分かったのですか?」
疑問を投げてきたのは、使用人のエルマだった。
その表情には警戒と焦燥の色が濃い。
何よりその姿は仕事着のエプロンドレスでもなければ寝間着でもない。
顔こそ明るみにしているが、先程オルトと絢理を襲撃した、黒装束そのものだったのだ。
「顔を隠さずに出て来たっていうことは、敵意はないと思っていいのかな?」
苦笑しながら問うオルトに、エルマはためらいがちに頷きを返す。
「……はい」
「まあ、僕らを治癒した時点で随分お人好しな強盗だとは思ったけど」
言いながら、オルトは追跡の魔法陣をポケットから取り出して見せた。
「種明かしをすれば、魔導書には仕掛けがあってね。追跡できたんだよ」
「そう、でしたか……」
犯行が看破されたエルマは意気消沈する。
いまにも泣きそうな顔をされては、どうにも責めにくい。こちらが悪者のようだ。
「どうしてこんなことを?」
嘆息を乗せつつの問いかけに、エルマはしばらくの間沈黙した。
伏し目がちで、小さく自らの肩を抱く彼女の言葉を、オルトは待つ。
しばらくして言葉の整理がついたのか、訥々と語り始めた。
「私は、身寄りのない孤児でした……ビルケナウ州でも治安の悪い地域に生まれ、盗みと物乞いだけで飢えを凌ぐだけの日々を過ごしていました。ある日、私はいつものように掏摸を行いました。ちょうどお金を持っていそうな貴族を見かけたので、その娘を狙いました」
「それがタビタだったと」
「はい……。お嬢様は当時まだ九歳でした。にもかかわらず、窃盗犯である私に臆することなく、どころか全力で追いかけてきたんです」
「それは何て言うか、相変わらずだね」
想像に容易い。タビタは幼少の頃から今に至るまで、その本質は全く変わっていない。
「お嬢様は見事に私を捕まえました。処罰もできたでしょうに、犯人が私のような同年代の少女であると知るや、あろうことか私を従者に迎えると宣言されたのです」
「それも彼女らしいね」
「はい、タビタお嬢様は本当に尊敬すべきお方です。以来、私は八年間、ここで働かせていただいています。ですから――」
エルマは、悲壮な思いに揺れる瞳をオルトへと向けた。
「ですから私は、タビタお嬢様を失いたくないのです」
「……成程。魔導書はタビタへの加勢のつもりだったんだね」
オルトは彼女の犯行の動機に得心した。
「ここでオルト様と絢理様が魔導書についてお話されているのを聞いてしまったもので……。その後、魔導書を持って街を離れていこうとするお二人を見て、いてもたってもいられなくなってしまった私は……」
馬車を襲撃し、魔導書を奪い取るという凶行に走った。
だがそれこそ彼女の誤解で、絢理とオルトはタビタへの加勢のために街を一旦離れたのだ。
だが、それを指摘するのは酷というものだろう。
チーレム撲滅委員会の件は密室で交わされた決め事だし、エルマに知る余地はなかった。
主人を想うがこその行動だと思うと、どうにも責める気にはなれなかった。
「まあ、理由は分かったよ。その魔法陣も君にあげよう」
「いいのですかッ?」
エルマが弾かれたように顔を上げる。
「うん。まあ正確には僕のじゃないんだけど、事情が事情だしね。絢理君だってまさかダメとは言わないさ。但し、現時点ではそれをタビタに使わせるのは反対だ」
「何故、ですか……?」
オルトの忠言に、エルマは一転して表情を曇らせる。
メイドとしての沈着冷静な彼女との落差が激しい。
だが、ころころと表情を変える様子は年相応の少女そのもので、本来はこちらが素なのだろう。
オルトは腕組みして、噛んで含めるように言った。
「あの魔導書には解読できていない部分が多いからね。どんな効果をもたらすか、もっと読み解いておかないと。これから読ませてもらってもいいかい?」
「は、はい! もちろんです!」
そうして、エルマの先導でオルトはエックホーフ邸へと進んでいった。
魔導書が切り札となるのなら、オルトも協力は惜しまない。
彼は夜通し解読に努めたが、その作業は想像以上に困難を極めた。
魔法は一般的に、自然現象に干渉するよりも、人体に影響を及ぼす魔法の方が高難度で知られる。
まして、怪我の治療などといった外因への干渉ではなく、潜在能力の解放という眉唾的な効果効能とあっては――オルトは何度も頭を掻きむしった。
書いてある文字は読める。だが、それらの文章が何を意味するのかが分からない。
音読はできても意訳ができないというイメージに近い。
結局のところ、魔法陣の完全な解読には至らないまま、今に至る。
だからできれば使いたくはなかった。
使用したところで、それが状況を好転させるとは限らない。
だが、芳しくない。
荒く息をつくタビタは壁際に追い詰められ、全身傷だらけだ。
対して、オーヴァンはほぼ無傷で、呼吸も乱れていない。
このままでは敗北は必至。
ならば賭けてみるしかない――難読魔導書の、秘められし力に。
「お嬢様……ッ!」
オルトの視線の先、エルマによって投じられた魔導書は放物線を描いて、タビタの足元に落ちた。
「エルマ……?」
おずおずと、タビタは足元の魔導書を拾い上げる。疑問の視線がエルマに向けられる。
「しおりをご覧くださいッ! 早くッ!」
両手を口元に添えて、エルマが心底から叫ぶ。
怪訝に思ったのはタビタばかりではない。
当然、エルマの奇行はオーヴァンにも筒抜けだ。
タビタの従者であることも知られているのだ。
投じられたそれがタビタへの支援であることは、彼の目に明白だった。
オーヴァンがホルスターから魔導書を取り出すのと、タビタが魔導書を広げるのとは、ほぼ同時だった。
「これ、魔導書……?」
広げたページに挟まれた紙片に目を走らせる。
一枚のしおり。そこには短い文章が記されていた。
視界の端で、オーヴァンが魔法を詠唱する。炎の矢。容赦のない速度で放たれる。
タビタの喉元を捉えるまでに、一秒とかからない。
だがその一秒は、タビタにとって十分な時間だった。
詠唱するのに、十分な時間だった。
視線に力を宿し、鈴なりの声音で確実に唱える。
「――泥炭より出でよ、レフコクリソス」
<続>
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