第17話 くそったれ……!

副工場長はいつもそうだった。

どれだけ努力して結果を残しても、彼が絢理を認めたことなど一度もなかった。出来て当然、出来なければ無能。


徹夜に耐え切れずに、寝てしまったことがある。

その時も、罵声によって起こされた。

身体を乱暴に揺らされて、耳元で大喝された。


そう、こんな風に――


「絢理君! 絢理君!」


唐突に、意識が覚醒する。

絢理は弾かれるように身を起こした。それがいけなかった。安否を気遣ってこちらを覗きこんでいたオルトの額と派手にぶつかった。


「っぁあー……っ」


額を押さえてうずくまる。じんじんと痛むのを涙目で堪えながら、同様に痛がっているオルトを振り返る。


「……次からはもう少し優しく起こしてください」

「こんな機会がそう何度もあるのは、ごめんだけどね」


それについては完全に同意です、と返しながら、絢理は周囲を見渡す。

車輪が破損し、横転した馬車。投げ出された荷物。そして自らを顧みれば、土埃で汚れてぼろぼろの衣服。


寝ぼけている場合ではない。絢理は襲撃を受けたことをはっきりと思い出し、苦虫を噛み潰す。


「……油断しましたね」

「ああ、すまない。僕の警戒が足りなかった」

「いえ、私も浅はかでした」


宿に侵入してまで魔導書を盗もうとしたのだ。人目につかない夜の荒野など、リベンジにはもってこいだ。

しかしこれで一つ明確になった。


「敵は、最初から魔導書を狙ってきたんですね」


敵は場当たり的な空き巣ではなく、明確に絢理の魔導書を狙っていた。

ただの空き巣の可能性も決して低くはなかった。とはいえ、だから油断したというのは、言い訳としても不出来だろう。

思わず舌打ちする。


「昨日と同一犯かい?」

「でしょうね。チラっと見えましたが、黒づくめでしたし」

「それはまた、随分とご執心だね」


魔導書が狙われた理由は判然としない。

オルトの見解によれば、潜在能力を引き出す類の魔法だというから、垂涎の品という事もないらしい。

精査したわけではないから、何か強力な効果を見落としているのかもしれない。

否、恐らくそうなのだろう。でなければ、二度の襲撃というリスクを冒す必要がそもそもないのだから。


「僕ら、どれくらい気を失ってたんだ?」


オルトの問いに呼応して、絢理は腕時計に目を落とし、眉をしかめた。


「二時間経過。かなり無駄な時間を使いましたね……間に合うかな」

「馬車も壊れたし、追いかけるのも骨が折れそうだ」


頬を掻いて憂えるオルト。その言葉に、絢理は引っ掛かりを覚えた。


「――追いかけるというのは?」

「いや実はね、盗難防止にと思って例の魔導書に魔法を施しておいたんだ」


憂慮の口調のまま、オルトは懐から魔法陣を取り出して続ける。


「指し示せ、ネウロン」


詠唱と同時、オルトの持つ魔法陣が光を帯びる。その優しい朧げな光が紙片から浮き上がり、やがて一つの方向を指し示す鏃(やじり)のような形を成した。

光の矢は、静かにエックホーフ領の方角を示している。


「この矢は魔導書の位置を示してるんだ。どうやら犯人はエックホーフ領に戻ったらしい」

「愛想笑いが特技ですみたいな顔してるのに凄いじゃないですか」


素直に感心する。言葉は素直ではなかったが。


「ただこの魔法の効力はそう長くない。もってあと数時間だね」


どうする、とオルトは絢理に訊ねてくる。


「別に惜しいって程の品物でもない。正直、危険を冒さずに盗人に献上してしまうのもアリかなとも思ってる」

「いえ、犯人を追ってください」


絢理はきっぱりと言い放った。


「こうまで執拗に狙われると、犯人の正体や魔導書の価値が気になってきちゃいますし。何より、印刷中は別にいてもらっても役に立ちませんしね」

「身もふたもない……」


肩を落とすオルトだったが、了解だと肯定してくれた。

オルトは犯人の追跡、絢理は印刷工場へ、それぞれの進路へと足を向ける。


ふと、絢理は思い至る。

あれだけ派手に馬車から転げ落ちたというのに、自由に身体が動く。

怪我の一つもしていないのだ。受け身の能力が覚醒したとは思えないから、


「魔法で治療してくれました?」


背中を向けながら、首だけで振り返り訊ねる。

肯定が返ってくるかと思いきや、オルトは煮え切らない口調で否定した。


「いや、治されたのは事実なんだと思うけど、やったのは僕じゃないんだ」

「違う? では誰が」

「誰かが通りがかって治癒だけして去っていったか――」


オルトの推測に、しかし絢理は納得できない。助け起こしもせず、声もかけず、ただ治療だけを施して放置する酔狂な輩がいるものだろうか。


「――あるいは、犯人自身が治療したか」

「それこそ酔狂ってもんでしょう」


絢理は言下に否定する。

あくまで魔導書の入手が目的なのであって、怪我をさせたのは申し訳ないから治療をした?

そんな親切な悪漢などいるものだろうか。既に言葉が破綻している。


頭上の疑問符は増えるばかりだったが、こうしている間にも納期は迫ってくる。

答えの出ない疑問を払拭するように絢理は前を見た。


「まあいいです。捕まえれば分かることですし。じゃあ、頼みましたよ」

「了解。君も気を付けて」


今度こそ、二人は背中を向け合いながらそれぞれの方向へと走り始めた。多くの謎をひとまずは頭の隅に追いやる。いまは、仕事の時間だ。


そして、絢理は致命的なミスに気付く。


オルトと別れてから一時間。

夜闇の中を歩き続けてようやく発見した丘。

自然に構成されたものではない。昨日、フォークリフトを隠すために形成したものだ。


幸いなのは、荒らされた形跡がないこと。

どうやら誰も、この不自然に盛り上がった丘を不思議には思わなかったらしい。


そして致命的に不幸だったのは、丘を解除する魔法陣をオルトから借り受けていたのに、その詠唱呪文を訊くのを忘れたことだ。襲撃のごたごたで、すっかり失念してしまっていた。

当然、絢理に魔法陣の解読はできない。それではただの紙切れだ。


「スマホもない、ノッポさんの行先もわからない……」


丘に手を付きながら、絶望を確認するように呟く。


「そもそも今から戻ってたら、もう明日の決闘には間に合わない……」


大量の紙を運ぶにも、街に戻るにも、絶対にフォークリフトの力が必要だ。

この丘から、掘り出さなければならない。


絢理は岩塊を見据える。

固く冷やりとした感触。

五指に力を籠めて、土肌をなぞるように削る。

ほんの僅かに指の軌跡が丘に刻まれ、手指には土がつく。


全く歯が立たない――わけではない。


絢理は自分の身長よりも大きな丘を見上げる。


涓滴岩を穿つ――僅かな雫も、絶えず落ち続ければやがては岩に穴を開ける。


決意する。

奥歯を噛み締める。

再び五指に力を、意志を籠める。


「くそったれ……ッ!」


   ◆


オルトは魔法が示す標を辿る。エックホーフ領に戻ってきてからは特に反応が強くなった。

急ぎ足で追跡するうちに、オルトはその道順に違和感を得た。

違和感というよりも、既視感。


この道はまさか――


その疑念は痕跡の最終地点、つまり犯人の居場所を突き止めたことで、確信へと変わった。


「どういうことだ……?」


思わず、オルトは疑問を口にする。

視界に広がる、エックホーフ邸を見上げながら。


<続>

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