第14話 チーレム……!
◆
オルトの様子は、まるで蛇に睨まれた蛙だった。
応接間に通されたオルトと絢理は、豪奢なテーブルを挟んでタビタと対峙している。
腕組みして冷たい眼差しを向けてくる少女は、昨晩の様子とは似ても似つかない。否、あるいは窃盗犯を追い詰めた時の顔に近いものがあるかもしれないが――それにしても業者に向ける視線としては、あまりに冷酷に過ぎるような気がした。
絢理でさえ緊張して、口を一文字に引き結んでいる。
その絢理に、タビタは一瞥もくれない。
昨夜はあんなに友好的であったのに、まるで別人のようだ。否、本当に別人なのだろうか。
誰も言葉を発しない張り詰めた空気の中、メイドが紅茶を注ぐ音だけが、やけに大きく聞こえる。
全員にカップが行き渡ったところで、メイドは応接間の入口へと辞し、慇懃に礼をした。
「それでは、失礼いたします」
「ええ、ありがとうエルマ」
応接間の扉が丁寧に、音もなく閉められる。
その瞬間を待ち構えていたのは、誰あろう眼前の金髪美少女だった。
「ぷはーっ、息が詰まるったらないわね」
張り詰めていた空気が一気に瓦解した。
タビタは伸ばしていた背筋を背もたれに預けて、足を組んだ。張りをほぐすように首と肩を揉みながら言う事には、
「貴族ぶるのも大変よねー。ねえオルト?」
水を向けられたオルトは苦笑しながら、紅茶で渇いた咽喉を潤した。
「相変わらずだね、正真正銘の貴族令嬢だろうに君は」
「毅然としてるなんてキャラじゃないのよ。昔からそう言ってるのに、そう振る舞わないといけない場面は増える一方で、嫌になっちゃう」
人目の有無によって、タビタの態度は極端に豹変した。様子を見るに、こちらが素なのだろう。
相好を崩したタビタが、気安げに絢理へと視線を転じた。
「貴女、オルトの知り合いだったのね」
「ええ、昨日は大変お世話になりました」
やはり昨晩の金髪美少女はタビタ・エックホーフで間違いなかった。
オルトが疑問符を浮かべながら二人を交互に見てきたため、かいつまんで説明をする。
絢理も紅茶に口をつけながら、いろいろと表出してきた疑問をぶつけた。
「お二人とも、随分と親しいのですね」
「あら。あら何? 妬けちゃう?」
「なわけないでしょう頭湧いてるんですか?」
途端に下世話な笑みを浮かべるタビタを、絢理はへの字口で一蹴した。
絢理の暴言にも貴族令嬢は気を悪くした様子もない。寧ろ面白がるように身を乗り出してきた。
「腐れ縁っていうのかしら。家ぐるみの交流が長くてね」
「家ですか?」
オウム返しに尋ねる絢理に、本当に知らないの? という顔でタビタは目を丸くする。
「エックホーフ家とハウンドマン家といったら、そこそこ有名よ?」
絢理が懐疑的な眼差しをオルトに向ける。
「……貴方、貴族だったんですか?」
「まあ、僕は落ちこぼれだけどね」
「それなら納得です」
「酷い……」
落ち込むオルトを尻目に、勝手に得心する絢理。
フォローを入れたのはタビタだった。
「落ちこぼれなんてことはないわよ。魔法書士としての腕は一流なんだから」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、それにしても今回の発注数は尋常じゃなかった」
肩を落としていたオルトが居住まいを正す。一転して、探るような口調で問うた。
「――何かあったのかい?」
これまでにもオルトは魔法陣の納品を行ってきた。一度や二度ではない。
常連上得意となっていたタビタだったが、今回の発注枚数は通常の三倍にも上った。
それも、日常生活に使用するものではなく、どれも戦闘に特化した魔法陣だ。
その発注の背景には、異常事態があるに違いない。
しかしタビタは嘆息し、つまらなそうに頬杖をついた。
「別に。戦うことになったから必要になっただけ」
「戦う? 誰と?」
「さっき貴方たちもすれ違ったでしょ? ――騎士・オーヴァンとよ」
「何だって!?」
驚愕と共に、思わずオルトは立ち上がる。膝をぶつけてティーセットが甲高い音を立てた。彼の表情には焦燥の色が濃い。しかしその困惑を、タビタは却って冷静に受け止めていた。
それは既に、ある種の覚悟を固めた者の貌だった。
「どうしてそんな事に……?」
「グーテンベルク王からの求婚を断ったのよ」
「な……ッ」
オルトは絶句し、
「何てことを……」
力を失ったようにふらふらと椅子に腰を落ち着けた。
一方で、にべもなく答えたタビタは、ふてくされたように視線を逸らす。
重い沈黙が周囲を包み込む。タビタはへそを曲げ、オルトは頭を抱えている。事情を呑み込めていないのは、絢理だけだった。
「話が見えないのでご教示願いますノッポさん」
オルトだ……とやはり力なく訂正してから、彼は訥々と話し始めた。
「ヨハネス・グーテンベルク王は、有力な貴族を何人も妻に迎えているんだ」
「重婚――というよりもそれは」
絢理の脳裏に閃く単語があった。
異世界転生して印刷技術というチートを用いて無双、そして妻を複数娶るとなればその状況はまさに、
「チーレム……ッ!」
歴史上の人物がチーレムを築くとは何事か。
戦慄する絢理をよそに、オルトは続けた。
「王の求婚は勅令に相当する。断る権利なんてない」
「それはまた、随分とやりたい放題ですね」
「そうやって彼は、この国における自分の地位を絶対的なものにしてきた」
「でもそれが、どうして戦いになるんです?」
「勅令に背いた場合、決闘をしなければならないんだ」
「決闘?」
オウム返しに尋ねる絢理に応えたのは、タビタだった。
「ヨハネス王の派遣した宮廷騎士と戦い、見事勝つことができれば命令に背く権利を獲得できる。敗北すれば命令を受け入れるしかない――そういうルールなのよ」
「成程。それで先程の人との決闘となるわけですね」
絢理の脳裏で、様々な出来事が繋がっていく。
昨日に納品ができなかった急用とは、まさに派遣されてきた騎士・オーヴァンとの面会か何かだったのだろう。
友好的な面会ではないだろうから、アポイントの設定もろくにしないままに往訪したのだろう。
そして昨夜、タビタが疲れを癒したくなった理由もオーヴァンに起因する。
勅令に反する意志の確認と、それに伴う決闘の実施が決められたに違いない。
「検問が厳しかった理由もそれだろうね」
絢理の思考を読んだように、オルトが捕捉する。
成程。王都からの宮廷騎士の来訪――そのために、警備が厳重だったのか。
日本でも海外から要人が来日する際には大使館回りが騒がしくなるものだ。
「しかしその宮廷騎士というのは、どんだけ強いんです?」
昨夜、絢理を救ってくれたタビタも相当に腕が立つ。確か闘技大会でも優勝経験があるとオルトも言っていた。
充分に勝機はあるのではないか。そう思ったが、オルトの表情は苦いままだ。
「国中の精鋭という精鋭を集めているのが宮廷騎士団だ。剣も魔法も一級品の腕前だからね、正直、タビタでも勝つのは難しいと思うよ」
「だからオルト、貴方に魔法陣をこれだけ書いてもらったのよ」
弱気な発言を打ち消すように、タビタは毅然と言い放った。
「――負ける気ないから、私」
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