第13話 騎士との邂逅


翌日、再びエックホーフ邸前。

16時を過ぎて、間もなく日が沈もうという頃だった。


絢理とオルトの目の下には厚い雲のような隈ができていた。絢理は疲れから、オルトはサービス用の魔法陣を夜通し書いていたためだ。

御者台を降りながら、絢理は昨夜の顛末をオルトに聞かせていた。


「まさか僕が執筆に追われている間、そんな事がね」


眉間に皺を寄せ、奪還した魔導書を開くオルト。絢理の言葉を疑っている訳でもあるまいが、彼が魔導書に注ぐ視線は眉唾のそれである。


「そんなに凄い魔導書とは思えないんだけど……」

「どんな内容なんです?」

「これ一冊で一つの魔法になってるみたいだね」


本をぱらぱらと捲りながら言うオルトだが、その言葉に緊張感はない。


「50ページで一つの? 複雑に構成された魔法という事ですか?」

「そうなんだけど、効果は大したことないみたいだ。その人の持つ潜在能力を引き出すとか、そういう類のものかな」

「ドーピングみたいな?」

「どーぴんぐが何かは分からないけど――と」


パタンと本を閉じる。進行方向に目を向けると、昨日にオルトの往訪を断ったメイドが立っていた。


「ようこそ、お越しくださいました」


メイドが慇懃に礼をする。


「お客様方をご案内する前に、退去されるお方がいらっしゃいます。恐れ入りますが、どうぞ道をお譲りくださいませ」

「――先客?」


彼女の言葉に促されるようにして男が一人、門の向こうから姿を現した。

精悍な顔つきをした三十代後半と思しき男である。筋骨隆々とした体躯は、彼が戦士なのだと容易に想像させる。

華美なだけではない、上質な衣服を身に纏っている。

関節の要所に革製の甲を装着しており、軽装ながら戦うことを前提とした格好である。


男の襟口には、魔法陣を印章としたバッジが輝いていた。


「案内、ご苦労であった」


男が事務的な固い口調で、メイドへと労をねぎらう。


「いえ、仕事ですので」

「怪我でもしたのかね?」


指摘を受けたメイドが、包帯を巻いた手をサッと引っ込める。


「お恥ずかしい限りです、炊事の際に切ってしまいまして……」


男は懐から小さな瓶を取り出し、メイドに差し出した。


「使うといい。化膿を防ぐ薬だ」

「いえそんな、騎士様からいただくなどと……」

「私の心づけなど、受け取れないかね」


無骨な顔に似合わぬ、いたずらっぽい笑みが浮かぶ。

メイドもそう言われては断る術を持たなかった。


「……ありがとうございます」


メイドに薬を手渡した男が、こちらを一瞥する。

すると何かに気づいたように、目を眇めてその正体を見極めるような視線となる。

彼の関心はどうやらオルトに向けられているが、当の本人は気まずそうに目を背けていた。

男が数歩をこちらへと歩み寄りながら、誰何を問う。


「貴兄、ハウンドマン将軍の……?」


オルトが観念したように小さく嘆息し、八方美人用の気持ちの悪い笑みを返した。


「ええ。ご無沙汰しております騎士・オーヴァン。いつも父がお世話になっております」

「はは、お世話になっているのは私の方だよ」


相好を崩して、オルトの肩を叩くオーヴァン。オルトの華奢な肩では壊れてしまうのではないかというほど、彼の手は大きかった。

知り合いのようだが、絢理には訳が分からない。


「どうだね、貴兄もそろそろ騎士になられるのかね?」

「はあ、いやそれはその――」

「そのヒョロ兄さんが騎士になんてなれるわけないでしょうに」


ぼそりと呟いた声が、どうやらオーヴァンにも聞こえてしまったようだ。

絢理の方へと視線を転じて、不思議そうな眼をオルトへ向け直す。


「そちらは?」

「ええと――」


咄嗟の返答に窮していると、助けの手は意外なところから差し伸べられた。


「オルト・ハウンドマン!」


鈴なりの、しかし厳しさを伴った叫声は門の向こうから放たれていた。

絢理が視線を転じれば、そこには予想通りの顔があった。

昨夜散々世話になった金髪碧眼美少女が、両手を腰に当ててこちらに剣呑なまなざしを向けている。


「いつまで私を待たせる気なのです! 疾く、こちらへ来なさい!」


タビタ・エックホーフ。

やはり彼女がそうだったのだ。


オルトは微苦笑を浮かべながら、オーヴァンに軽く頭を下げた。


「すみません、すぐに伺わなくてはならなくて、こちらで」


騎士・オーヴァンもまた気勢をそがれ、別段、こちらを止める言葉も持たなかった。


「そのようだね。お転婆なお嬢様によろしく伝えてくれたまえ」


そう言ってオーヴァンはエックホーフ邸の外へと、オルトと絢理はタビタの待つ邸内へと、それぞれ足を向けた。

数歩分を離れたところで不意に、オーヴァンが振り返ることもなく言葉を空に投げた。


「ハウンドマン将軍は、貴兄のことを随分と心配なされていたよ」


絢理の耳にしっかりと届いた低音の声が、オルトに届いていないはずがない。

しかし彼は足を止めることなく、その言葉を霧散させた。

だいぶ苦い顔をしていたが、それは果たして背後のオーヴァンへ向けてのものか、前方のタビタへ向けてのものか――


「両方ですね」


ぼそりと呟いた絢理の言葉は、それこそ誰の耳に届くことなく空に溶けた。


<続>

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