第二章 エックホーフ編

第6話 エックホーフ領へ

「本当にありがとう、助かったよ。それじゃあ僕はこれで」

「いやいやちょっと待ってください」


挨拶もそこそこに踵を返したオルトは、絢理に襟首を掴まれた。

ぐえっと蛙のような呻き声を上げて振り返る。頭一つ分以上小さな彼女に抗議の視線を向けるが、絢理もまた憮然とした表情である。


「こんなところに独りにされても困ります」

「そんなこと言われても僕も困るんだけど」


首をさすりながら、オルトも抗弁する。


「いいですか。私は異世界人で、この世界に転生してきたばかりなんです。自慢ではありませんが私の生活力はゼロに等しいと言えます」


本当に自慢にならないことを言いながら、ない胸を張る絢理。

異世界とか転生とか、彼女の言葉の端々がオルトには理解できなかった。

オルトにとって絢理は、あまり深く関わり合いたくない手合いだった。いくらなんでも怪しすぎる。

およそ一般常識というものが欠如している一方で、未知の施設を駆使して魔法陣を大量生産するという芸当を成し遂げた。それも尋常でない速度で。


謎に満ちた怪しい存在が、尚も言い募る。


「貴方には私に借りがあるはずです」

「え、君を助けた貸しが今返ってきたものだと思ってたんだけど」

「借りが、あるはずです」


力説する絢理を、オルトは半眼で見下ろす。律儀なことに、貸借のバランスについて考える。

しばらくの沈黙があった。

荒野を風が吹き抜ける。

先に折れたのは絢理だった。


「お願いします右も左も分からないんです見捨てないでくださいさっきの魔法陣追い刷りして何千枚でも差し上げますから独りにしないでください」


オルトの襟首を両手でがくがくと揺すりながら懇願する絢理。目尻に涙を浮かべる様子に、オルトは嘆息した。


「分かった、分かったから手を放してくれ酔いが悪化する」


実際、少し悪化した。

解放されたオルトはくらくらする頭を押さえながら、親指で馬車を示した。


「でも本当に急いでるんだ。せっかく取り戻した荷物を納品しないといけないからね」

「えくほふ、とか言ってましたね」

「そう、エックホーフ領。だからひとまず、そこまでついてくるかい?」

「助かります」


への字口で表情が見えにくいが、絢理は安堵の息をついた。

中身が怪人でも、年端もいかない少女を見捨てるのはオルトも気が引けた。もちろん、数千枚の魔法陣という条件を魅力に感じてもいたが。


それにエックホーフ領まで案内すれば、彼女の進路も決まるだろう。何せビルケナウ州の中心地だ。選ばなければ仕事も見つかるはずだ。


「では私は後ろからフォークで追いかけるので馬車を出してください」

「いやいや待って待って」


感謝もそこそこに踵を返す絢理の襟首を、オルトは反射的に掴んだ。

ぐえっと蛙のような呻き声を上げた絢理が、抗議の視線を向けてくる。


「いたいけな乙女に何をするんですか」

「君がいたいけかどうかは棚上げするとしても、その乗り物は駄目だ」

「何が駄目なものですか私の相棒は全判用紙を連単位で持ち上げますよ」

「何を言っているかはまるで分らないんだけど、そんな悪目立ちする未知の乗り物じゃ街に入る前に検問で引っかかる」

「検問?」

「街に入る前に砦があって、そこの守衛が検問してる」

「とはいえここに放置するわけには……」


確かに彼女の懸念ももっともだ。往来の少ない道とは言え、このフォークリフトというらしい怪物を放置すれば注目を集める。

最悪の場合、破壊や盗難の危険もある。


「それなら――」


オルトは一計を案じ、馬車の中から一枚の魔法陣を取り出した。

それをフォークリフトの方に掲げる。


「何をするんです」

「悪いようにはしないよ――色を成せ、バトラコス」


魔法陣が光を帯び、効果を発揮する。

瞬く間にフォークリフトの周囲の土が盛り上がり、リフトをすっかり埋めた。多少不自然ではあるが、傍目には丘にしか見えない。


「これで良し」

「良し、じゃねーです。出すときどーするんですか」

「解除用の魔法陣があるから大丈夫だよ」

「むう」


それでも彼女は土埃を被ってしまうことを憂えていたが、そのくらいは我慢してほしい。

納品時間が迫っていることを改めて伝えて、オルトは早々と馬車に絢理を乗せた。


  ◆


二人で並ぶようにして、絢理とオルトは馬車の御者台に座した。

オルトは馬車に乗るなり、羊皮紙とペンを手に魔法陣の執筆を始めた。横から覗き込むと、その手つきに迷いはなく、複雑な文様がすらすらと出来上がっていく。

絢理が覗いていることに気づいたか、オルトはペンを走らせながら言った。


「さっき消費した魔法陣、納品用だったんだよ。だからいま書き増し中」

「成程。それはすみませんでした」

「気にしないでいいよ。一枚くらいなら着く前に書き上がるからね」

「えくほふへはどれくらいで?」

「三十分もかからないよ」


答えてから、オルトは問いを向けてきた。


「そういえば、君の言う異世界っていうのは何だい? わからない言葉は他にもたくさんあったけど、文脈的にそこが一番肝要な気がする」


頭いいなこいつ。

絢理は彼の聡明さに胸中で感心しつつ、説明の言葉を宙に探した。

そんな説明をしたことがないから、自然と噛んで含めるような言い方になる。


「異なる文化文明、常識、ルールのもとで構築された、文字通りこことは異なる世界、とでも言いましょうか。私はそこの出身なのですが、遺憾にも死んでしまいまして。そうしたら何の因果か、こちらの世界へ迷い込み、再び生を受けました」


オルトが手を止めて、絢理へと懐疑的な眼差しを向けた。


「……それは君の世界では良くあることなのか?」

「んなわけないでしょう頭湧いてるんですか?」


そう言下に否定した絢理だったが、しかし口ごもる。


「いえ、仕事柄、物語の設定としては嫌というほど見てきました。ですが、まさか本当に起こるとは考えたことも」


想定してさえいれば、転生先に仕事を持っていくなどという世迷言を言うこともなかっただろうに。普段からのリスク管理が肝要なのだと、絢理は肝に銘じた。


「君みたいな女の子がね……。そちらの世界は随分と過酷なんだね」

「全くです。二十三歳の若さで殉職するとは思いもしませんでした」

「え」


どういうわけか、オルトはじろじろと絢理を睥睨した後に慌てて目を逸らした。


「何です?」

「ああいや、僕と二つしか違わないのかと思って」


オルトは咳払い一つ。


「とにかく、君の奇怪ぶりの理由はこれで分かった」

「誰が怪人ですか誰が」

「君は、この世界で生きていくのか?」

「……どうなんでしょうね」


他人事のような回答は、溜息とともに大気に霧散する。


絢理自身、まだその答えを持っていなかった。

唐突に異世界転生を果たしてしまい、右も左もわからない状況だ。元の世界では死亡している以上、戻るという選択肢が取り得るのかどうか。

それよりも印刷機を上手く活用して異世界ライフを楽しむのが良策なのかもしれない。


唯一手掛かりがあるとすれば、ヨハネス・グーテンベルクだ。

彼もまた、どうやら異世界転生を果たしている。

会って話がしてみたい。

助力を請いたいというのも去ることながら、歴史上の偉人に会えるチャンスなど滅多にない。


しばらくの間、馬車に揺られていた。


オルトは魔法陣を書き、絢理は空想に耽りながら前方を見つめ――その視界が、唐突に遮られた。


「やいやい! お前さんか! 考えなしのポンポコピーは!」

「……?」



<続>

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