第5話 ラスボスの名は

今日の獲物は上々だった。人気のない荒野を単独で移動するとは、襲ってくれと言わんばかりの行動だ。それも荷主は如何にも優男然として、ろくに抵抗も見せなかった。


正体不明だが、娘が降ってきたのも幸いした。あの優男は抗戦よりも娘の救出を優先した。

結果、大した労力もなく馬車を入手できた。


確認した積み荷が大量の魔法陣とあっては、いよいよツキが回ってきたというものだ。

驚くべきは枚数ばかりではない。魔法文字には詳しくないが、どれも一見して上質と分かる代物だった。恐らくは貴族お抱えの魔法書士だったに違いない。


オルトの馬車を奪取した盗賊は下卑た笑みを放つ。


「しばらくは食うに困らねえな」


荷台であぐらをかきながら、御者台で馬を操る二人へと同意を促す。


「全くだ」

「それどころか、女や武器だって買える」


二人も揃って下品な笑声を上げた。


次の街まで三十分もかからない。到着次第、馬車も魔法陣も売り捌く腹積もりだった。盗品であるとの情報が流れても面倒。さっさと換金してしまうのが賢い選択だ。


三人それぞれが今夜の晩餐について思いを巡らせていると、それらの思考を割くように、地鳴りのような音が背後から聞こえてきた。

はじめは気になるほどではなかった音が、どんどん近づいてくる。地鳴りだけではない。何か聞いたことのない、大型の獣の歯ぎしりのような音。


「……何だ?」


振り返った盗賊は、驚愕に目を見開いた。


「な、ななな何だああああああああッ!?」


鈍く煌めく全身を橙色に染め上げた、巨大な二本の角を戴くモンスターが、猛スピードで馬車を追いかけてきていたのだ。


  ◆


「くふふふふ、盗賊ども、二本角のモンスターだとか思ってそうですね」


馬車の背面を視界に収めた絢理は、運転席から不敵な笑みを浮かべた。

彼女の余裕の笑みに対して、オルトは不安に震えていた。小さな絢理に縋りつくように身を寄せながら、落ちないように何とか車体にしがみついている。


「ぼぼ、僕だってこんなのに出くわしたら泣いて逃げ出すよ!」

「だから危険はないって言ってるでしょうに」


絢理はハンドルを握りながら、横目でオルトを見やる。


彼女らが馬車を追いかけるために選んだ足――それは、フォークリフトだった。

オレンジ色に塗装された鋼鉄のボディは自動車としては小さい部類だが、この世界の住人にとっては未知の脅威に他ならない。


何より、荷物の運搬用に車体前部に備えられた二本の巨大な爪が、彼らの恐怖を誘う。


「おや、速度上げましたね。無駄なことを」


御者台の盗賊も気づいたらしい。鋭い鞭の音とともに、馬車が速度を上げる。

絢理は笑みを深めて、アクセルを深く踏み込む。力強いエンジン音と共にフォークリフトもスピードを上げる。


みるみるうちに彼我の距離は縮まっていく。


「す、すごい、もう少しだ……」


喜ぶオルトの顔はしかし、蒼白だった。初めての乗車で、しかも無理な姿勢でいるものだから、すっかり車酔いをしていた。嫌な汗が浮かんでいる。

一方、絢理のハンドル捌きは華麗だった。


「当然ですが肝心なことですよ。馬は疲れますが、リフトは疲れねーんです」


副工場長にあらゆる業務を押し付けられてきた絢理に死角はない。一年前まではビビっていたフォークリフトも、いまやすっかり相棒だ。


「さあ、チェックメイトです」


更に速度を上げたフォークリフトは馬車を追い越して急転――馬車の進路を塞いだ。


「うわああああああ!」


馬が嘶きを上げて急停止する。突然止まったものだから、荷台と御者台に座していた盗賊たちは慣性に従って外に投げ出された。

慌てて身を起こす盗賊たちを運転席から見下ろしながら、絢理は腕組みして言う。ちなみにオルトは車酔いで、もうそれどころではなかった。


「私も鬼ではありません。盗んだものを置いていけば、これ以上の手荒なことはしないと約束しましょう」


無愛想な顔に浮かぶ笑みは、すっかり悪役のそれだった。

絢理を見上げる盗賊たちは、ようやく二本角モンスターの御者が誰か気づいたらしい。


「てめえ、さっきの落下チビか……ッ!」

「妙なあだ名つけんなぶち殺しますよ」


絢理の眉が怒りにピクリと震えるが、盗賊たちは意に介することなく、それぞれに勝気な笑みを浮かべ始めた。懐から剣を取り出し、構える。


「舐めたマネしやがって。テメエこそぶち殺すぞ」


じりじりと距離を詰めてくる彼らの表情は、正体不明のモンスターへの恐怖から、小柄な少女への揶揄にすっかり変わっていた。


絢理は嘆息する。


「では交渉は決裂ということでよろしいですか?」

「交渉も何もねえよ。追ってこなけりゃあ痛い目見ずに済んだのによお!」

「そうですか。では結構です。いえ、実のところ私も、試してみたいと思ってたので」

「?」


言葉の意図が分からずに首をかしげる盗賊。

それを尻目に、絢理は運転席のレバーを操作した。するとモーター音と共に、リフトのフォークが軽快に上昇した。


見たことのない挙動に、盗賊たちがびくりと身構える。


フォークには一枚のパレットが積載されていた。そしてそのパレットには、クラフト紙で丁寧に梱包された一メートル四方の包みが一つ。


「では問題です。包みの中身は何でしょう?」


絢理は運転席から身を乗り出して、その包み紙に手をかけた。びりびりと破られた梱包から陽光のもとにさらされたのは、大量の上質紙だった。

盗賊たちが戦慄する。


「ま、待て……」

「おや、勘がいいですね。正解です。これは我らが快走印刷株式会社の誇るオフセット印刷機で印刷された、大量の魔法陣です」


絢理がそのうちの一枚を掲げて見せる。


「菊全判の五百通しを八裁してきました。端的に言えば、ここにある魔法陣は四千枚です」

「よん……ッ!?」


盗賊たちの声が裏返る。


「尚且つ、ここにある魔法陣は全て同じ内容です。まあ印刷なので当然ですが。同じ魔法陣であれば詠唱も同様――この意味が分かりますね?」

「や、やめ……ッ!」


悲鳴を上げる盗賊たちが逃げようとした刹那、絢理は紙束を思いきり蹴飛ばした。フォークの外に蹴りだされて宙を舞う四千の魔法陣に対し、絢理は告げる。


「――穿て、カリュオン」


詠唱に呼応して、全ての魔法陣が光を帯びる。ひとつひとつは僅かな光だが、数千ともなれば、それらは空を染め上げるほどの光量となる。


莫大な力を誇示するかのような光に導かれ、次の瞬間、大地から形成された四千のハンマーが盗賊たちを襲った。


四千の槌がもたらす密度に逃げ場はない。

荒れ狂う槌、稲妻のごとし。連続する打撃音、雷鳴の如し。


下された四千の裁きの槌は、盗賊たちを完膚なきまでに叩きのめした――若干、絢理が引くほどに。


「お、終わりましたね」


格好よく決めた絢理だったが、びびってしまい声が震える。

魔法が収束したころには、盗賊たちはすっかりボロ雑巾のようになっていた。そもそもがあまり強力な魔法ではなかったのだろう、まだ息があることに内心で安堵する。


「さ、彼らが目を覚まさないうちにずらかりましょう」


フォークから降りた絢理が振り返ると、顔面蒼白のオルトは目を白黒させていた。

ある意味カラフルだな、などと思っていた絢理の思考は、オルトの言葉を聞いた瞬間、真っ白になる。


「信じられない……まるで、グーテンベルクみたいだ……」

「例えが古すぎま――」


ツッコミを入れようとして、絶句する。

絢理は目を丸くする。急速に渇いていく口が、呆然と問う。


「……ちょっと待ってください。グーテンベルクって、あのグーテンベルクですか……?」

「ん? ああ、流石の君でも知ってたか。そう、まるでヨハネス・グーテンベルクだよ」


驚愕する絢理に対して、オルトはにべもなく肯定した。

納得ができない。絢理は問いを重ねる。


「いや、どうして貴方が知ってるんです……? だって、ここ、異世界ですよね……?」


ヨハネス・グーテンベルク。

15世紀にドイツで活躍した、活版印刷技術の発明者。

歴史の教科書には必ず掲載される偉人の名だ。

500年も前に実在した男の名を、なぜ異世界の住人であるオルトが、さも当たり前のように口にするのか。


顔を強張らせる絢理に、オルトは苦笑する。


「どうしてって、当たり前だろう?」


そして、この世界における決定的な事実を突きつける。


「――ヨハネス・グーテンベルク。ここヨハネス王国を治める王様じゃないか」


そうして戸叶絢理は理解する。

この世界に異世界転生したのは、自分だけではなかったのだと。


ヨハネス・グーテンベルク。


彼もまた、転生してきたのだ。それも絢理よりもずっと前に。そして活版印刷技術を用いて無双、とっくに王座を獲得していたのだ。


「何っですかそれ……」


すっかり力が抜けて、絢理はその場に崩れ落ちる。

この時はまだ想像もしていなかった――まさか自分が、グーテンベルクの宿敵となるなどと。


<第一話・完  第二話に続く>



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