37 新しい一歩

 床も壁も天井も、清潔なチタン合金で覆われた手術室のような立方体。

 中央には、まるで引き延ばされた巨大な卵のような白いカプセルが置かれ、カプセルの下部から生えた何十本ものケープルやチューブがのたうちながら部屋の壁に消えている。

 そんな異様な小部屋に、不意にまばゆいほどの明かりがともる。

 カプセルの側面にぐるりと幾何学的なブルーの光の筋が刻まれ、それはそのまま上下に広がってカプセルの分割線になった。

 持ち上がったカプセルの上半分は、まるでびっくり箱のふたのように一方に向かってはね上がる。

 そうして、残された下半分。それまでカプセルに包まれていた若い女性が、その裸身をあらわにした。


「う……うん」


 いまだ意識のない彼女は、小さなため息と共に小さく身じろぎをする。

 まるで人形のように整った目鼻立ち。起伏のあるしなやかな肢体。

 まだ若く美しい女性だが、右腕だけは、肘から先がまるで磁器のようにつややかな真っ白い人工素材で覆われていた。


『目覚めなさい。多くの友があなたの目覚めを待っている』


 部屋のどこかに仕込まれたスピーカから、心地の良いアルトの声が響く。


「だれ?」


 彼女はまだ半分夢うつつのまま、誰に問うともなしにかすれた声でつぶやいた。


『私の名はΘ《シータ》。この小さな星を統べる情報思念体。あなたの持つ語彙ごいに照らせば、AI《人工知能》と名乗るべきでしょうか』


 彼女はゆっくりと目を開き、ついで眩しそうに目を細めた。


「ここは? それに私は……」

『私がお答えするよりも、ご友人がお見えになっていますよ。お会いになりますか?』


 大きく目を見開いた彼女はしばらく躊躇ちゅうちょし、やがておずおずとうなずいた。

 すぐに部屋の壁の一部が長方形に凹み、やがて横にスライドして入口が生じた。彼女と同じくらいの年齢の女性が二人、ゆっくりとした足取りで部屋に入ってくる。最初に明るい茶色のショートカットをゆらした快活そうな女性が彼女にガウンを差し出した。


「随分お久しぶりです。私たちがわかりますか?」


 彼女はガウンを受け取るが、白い人工物で置き換えられた右手がまだ上手く動かせない。それに気づいたもう一人、黒髪をバレッタでアップにまとめた女性が彼女の上半身を抱き起こす。長身で細身だが、見た目よりはるかにシャープで力強い身のこなし。

 不思議そうに見上げる彼女に、女性はクールな表情をふっと緩めて微笑みかけると、ガウンを羽織らせ、胸の前でシッカリと合わせる。


「覚えていますか? 私は……」

「もしかして、薫ちゃん? それに、久美子ちゃん?」

「ええ」


 二人はそろって顔をほころばせると大きく頷いた。


「無事……だったのね。それに、すっかり大人になって……」

「あらためて、お久しぶりです。メイシャン先生」


 黒髪の長身女性はその場でかかとをカッと合わせて敬礼すると、


「愛宕久美子三等宙佐です」


と名乗り、照れくさそうに微笑んだ。


「私は茅野薫、今はフリージャーナリストをやってますっ!」

「二人とも……立派に……」


 メイシャンは口を開きかけ、不意に表情を曇らせると、何かを探すように部屋を見渡す。


「あの……辻本く……、いえ、辻本司令代理は……?」


 二人は顔を見合わせる。


「ほら、やっぱり。賭けは私の勝ち!」


 得意そうに笑う薫に、久美子は少しだけ不満そうに頬を膨らませる。二人のやりとりについて行けないメイシャンが不思議そうに声をかける。


「あの?」

「大丈夫です。〝おじさん〟もちゃーんと生きてますよ~」

「彼は多忙な身ですし、それにほら、いきなり男性との面会は差し障りがありましたので」

「……確かに」


 久美子はガウンの裾を直しながらかすかに頬を赤らめる彼女に笑顔を返し、すぐに表情を引き締めると部屋の角に鋭い視線を向けた。


「じゃあ、さっそく手配します。シータ!」

『お呼びですか? 三佐』

「ええ、司令は?」

『船長、魔女と三人でこちらに向かっています。あと一時間はかかる見込み』

「できるだけかして! 至急!」

『了解』


 会話を聞いていたメイシャンはさらに怪訝な表情になる。


「魔女?」

「ええ、小惑星トロイス。ここは魔女の住処すみか。私達にとってはこの太陽圏で最も安全な場所です」


 久美子はそう言って大きくうなずいた。


「とは言っても、この冷凍庫みたいな部屋で長話はちょっとないよね。シータ、どこか居心地のいい部屋を手配してくれないかな?」

『了解しました、薫。廊下のマーカーに沿って移動をお願いします。車椅子をすぐに向かわせます』




 無機質なチタンの小部屋キュービクルから、ホテルのスイートのような居心地のいい部屋に移動した三人は、部屋のオートフィーダーに供された紅茶を口にしてようやく一息ついた。


「ところで薫ちゃん、久美子ちゃん、状況を教えて。他の子たちも無事に助かったかしら?」

「……詳しくは後ほど司令から説明がありますが、先生と一緒に生き埋めになった子供達は、四年前までに一人を除いて蘇生しました」


 久美子は幾分表情をこわばらせながらそう報告した。


「……そう。やはり全員は無理だったのね」

「ただ、検視の結果その子の死因は衰弱死、でした。先生が決断される前に、すでに亡くなっていたものと思われます」


 それでも、メイシャンの顔色は晴れない。


「むしろ、先生が一番大変でした。凍結前に右手を失ってましたし、出血量があまりにも多すぎました。あまりにも長期の凍結で大脳シナプスの結合も緩んでましたし、そもそも遺伝子欠損率も高くて……蘇生が危ぶまれて最後まで後回しにされたんです」

「じゃあ、子供たちは?」


 そこに薫が口を挟んだ。


「身体が小さいのが逆に幸いして、凍結状態がかなり良かったんです。もうとっくに社会復帰してますよー。ほとんどは親元に、そうでない子も養子縁組して新しい親御さんと一緒に暮らしています。前に仕事で全員のその後を調べたんですが、みんなまあまあ幸せにやっています」

「そう……」

「それよりも先生、一体どうやって自分自身を氷漬けにしようなんて考えたんですか? 同じ遭難経験者として、ちょっと興味があるんですよね~」


 薫はすかさず胸ポケットからペンタイプのボイスレコーダーを取り出しながら、急に仕事モードになってインタビューを始める。


「薫! ちょっと!」

「いえ、構いません」


 メイシャンは作り物の右手を無意識にさすりながら、目を三角にする久美子をやんわりと抑える。


「あなたたちを上に逃がした後、二回目の地震がありましたよね」

「はい、よく覚えています」

「あれで縦穴が埋まって……おまけに私は倒れてきた金属のラックに右手を潰されてしまい、身動きが取れなくなりました」

「そういえば、私たちも同じような目にあったよね」


 薫は久美子を振り返りながら屈託なく言う。


「あらためて縦穴が貫通するまでは待てない……すでに子供達のほとんどが意識を失ってましたし、酸素も食料も限界でした。あの状態で助かる可能性はもうほとんどなかったんです。でも……」

「でも?」

「辻本君と進入路を探すときにさんざん基地の配置図は見てますから、ライブラリがメインコンピュータを取り巻くような配置になっていることは知ってました。コンピュータを冷やすための液体窒素の巨大なタンクが、壁のすぐ向こうにあることも。非常識な思いつきですが、あの時は、自分たちを生きたまま瞬間冷凍する以外に生還の可能性が思いつかなかったんです」


 メイシャンはそこで言葉を切り、カップを持ち上げて喉を湿す。


「幸い、隔壁を抜くための道具……テルミットゲルはまだ大量にありました。だから、それでまず自分の右手ごと身体を押さえ込んでいるラックを吹っ飛ばしました。後は壁に大穴を開けて、液体窒素の奔流に身を任せた。とまあ、そんなところです」

「怖くなかったですか?」


 その質問に、メイシャンはどこか遠くを見るような目つきになると、気持ちを確かめるように静かに答えた。


「……不思議に怖くはなかった。やれるだけのことはやった。そう思ってたし、私のことはともかく、小さい子供たちを彼が見捨てるとは小指の先ほども思いませんでしたから」

 

 久美子が小さくため息をつく。


「それに私、小さい頃からずっとぼっちだったんです」

「は?」


 意味を図りかねて目を丸くする二人に、メイシャンは苦笑気味に微笑む。


「だから独りは慣れてました。たとえこのまま何十年待つことになろうと、いえ、たとえ待ち人が永遠に現れなくても、きっと我慢できる。そう、思えたんです」


 薫は気まずげな表情でボイスレコーダーを止め、久美子を見やる。だが、わずかにうつむき気味の彼女の表情は、長い付き合いの薫にも、はっきり読み解くことはできなかった。


『皆さん、アルディオーネがまもなく到着します。窓からご覧になれますよ』


 まるで空気を読んだように、人工知性体シータが不意に言葉を発した。窓の耐爆ブラインドが自動的に開かれ、まるで海棲生物のようなデザインの白っぽい小型宇宙機が間近まで接近しているのが見えた。


「なんだかもの凄いデザインね。あの頃はもっと無骨な船しかなかったわ……」

「いえいえ、あれはちょっと特別です。それに、驚くことはもっとあります。私たちもおじさんも結構頑張ったんですよ」


 薫はそう言って胸を張る。その間にも、有機的なデザインの宇宙機はどんどん接近し、やがて窓をかすめるようにして視界の外に消えた。


「おじさんは、先生を取り戻すために文字通り人生を賭け――」

『アルディオーネ到着しました。司令がそちらに向かわれます』

 薫の言葉を遮るように、シータの声が大きく響いた。




 一分もしないうちに扉が開き、かすかに足を引きずり気味の壮年男性が部屋に飛び込んできた。相当急いで来たらしく、まだ息が弾んでいる。


「メイシャン先生!」

「辻本く……司令代理!?」

「……ああ」


 雅樹は苦笑いとも照れ笑いとも取れる表情を浮かべ、


「もう、ずいぶん前に〝代理〟の文字は取れたんだ」


 と続けながらベッドサイドの椅子に腰を下ろした。

 きょとんとするメイシャンに、雅樹は居住まいを正し、緊張気味の微笑みを返す。


「これでも今は、アズプールを含むNaRDO外惑星基地全体の総司令を務めているんだよ」

「え、本当ですか? それにしても……ずいぶん老け……いえ、ダンディなおじさまになりましたね」

「あれからざっと四半世紀だからね。まったく、無駄に歳は取りたくないもんだよ。君とは親子ほども離れてしまった」


 自嘲交じりのセリフを吐きながら苦笑する雅樹に、メイシャンは目を細めてやわらかく微笑んだ。


「いえ、あの頃よりずっと頼もしく見えますよ」


 メイシャンは左手を持ち上げ、雅樹の頬におずおずと触れる。


「そんなことより、あなたが生きて……いてくれて、本当によかった」


 雅樹は自分の頬に触れた彼女の小さな手を両手でしっかりと包み込むと、首を横に振る。


「それは俺のセリフだよ。君が生きていてくれて、本当に……」


 言葉を切り、ズズズッとみっともなく鼻をすする。


「……あの日以来、ずっと心に穴が明いたようで……ずっと独りだと思って……でも、この子たちや、みんなが助けてくれて……」


 何を考えているのかわからないと評され、いつも飄々と人を喰ったような表情を崩さないことで有名な、喰えない〝オジサン〟こと辻本雅樹NaRDO副総裁、兼、外惑星方面総司令。

 だが、彼は今、ポロポロと涙をこぼし、わななくように小刻みに震える唇から、


「……お帰り、メイシャン」


ようやくその一言だけを絞り出した。


―― 終 ――


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