36 誓約//憧憬

 ドアの外、背の高いデスクに伸び上がるようにして若い女性秘書と話し込んでいた少女たちが、雅樹の姿を見つけてパッと目を輝かせた。

 顔つきにはまだどことなく幼さが残るが、その割にはどこか達観した瞳の色を持つ女の子たちだった。

「よう、久しぶり」


 雅樹の呼びかけに二人は歓声を上げる。


「おじさん、生きてたの!」

「辻本さん、ホントに歩けるようになったのね!」


 自分と同世代の雅樹がおじさん呼ばわりされているのを耳にして、そばで秘書がクスリと笑う。


「ああ、ちゃんと生きてるぞ。足は……まあ、ないけどな」


 秘書の笑い声に耳を赤らめながら、雅樹は照れ臭そうに答えた。


「本当に心配したのよ。火星で倒れている辻本さんを見つけてから今日まで、何度お願いしても絶対に会わせてくれなかったんだもん」

「もしかしたら本当にあのまま死んじゃったんじゃないかって思ってた……」

「おいおい、だから勝手に人を殺すなって」


 雅樹は子犬のようにまとわり付いてくる二人を両わきに抱えながら秘書に小さく頭を下げ、総裁室を出た。

 情報管制の為に、雅樹達はお互いに隔離されていたのだ。数百人の人命が一時に失われたセンセーショナルな大事故の中、わずかな生存者がいたとなれば放っておいても世間の注目を集めずにはいられない。NaRDOは、マスコミから雅樹達を守る口実で彼らを外界からひたすらに隠し通し、その間に彼らが世界に向かって発言する格好のチャンスを潰した。


「でも、あの時は本当に助かったよ。君らが見つけてくれなかったら俺も今頃はあの星の……」


「もうその話はやめようよ」


 はしゃいでいた薫が急に立ち止まると、ぽつりとつぶやいた。


「秘書の人に聞いた。今度のことは全部が秘密で、本当のことは誰にも言っちゃいけないんだって……メイシャン先生の事も」


 かみしめた歯の隙間から出た言葉の端々に、隠しきれない悔しさがにじみ出ていた。

 NaRDO情報部が仕掛けた巧みな情報操作で、自分達がいつの間にか火星になど行かなかった事にされているのはもちろん、自分達のために命を落としたメイシャンの存在までもが記録から抹消され、忘れられていくのが許せなかったのだ。

 雅樹は薫のショートカットの髪をくしゃくしゃとかき回すと、彼女に向かって、というより、むしろ自分に向かって言い聞かせるようにつぶやいた。


「残念だが今の俺には何の力もない。悔しいけどね。でも、いつか必ず……」

「私、ネットメディアの記者になろうかな」


 薫はぽつりとつぶやいた。


「ジャーナリストになれば、自分の手で、本当のことをみんなに知らせる事ができるもん。私……」

「私は……できれば先生みたいな人になりたいかな」


 それまで黙っていた久美子が雅樹を見上げながら不意に口を開く。


「久美子、お前、図書館の司書になるって言ってなかったか?」

「それはやめたの。私も、先生や薫を見習って、もう少し外に出てみることにした」

「……ああ、それも悪くないかもな」


 雅樹は彼の顔を見上げる少女たち達のひたむきな表情を当分に見やりながらにっこり微笑み、大きくうなずいた。


「久美子も薫も……頑張れよ。あきらめなければ君たちの想いもいつかきっとかなうさ」


 雅樹は二人の肩に励ますようにぽんと手をのせた。


「あれ、お前ら、ずいぶん背が伸びたんじゃないか?」


 二人はその言葉に面映ゆそうに微笑んだ。


「来年には二人とも中学生だしね」

「へぇ! 飛び級スキップか!」

「うん……。できるだけ早く大人になりたいから……」


 久美子が遠くを見るような目でつぶやくように言う。


「で、おじさんの方はこれからどうするの?」


 二人は口を揃えて尋ねる。


「そうだな……」


 雅樹の手には、ついさっき無理やり渡された辞令がある。

 内容は今さら見るまでもなく判っていた。サンライズ5コロニー中央研究センター、テラフォーミング部主任技官。給与水準3B。ここ数年来ずっとあこがれていたポスト、それに、にわかには信じられないほどの高待遇だ。


(今回の口止め料もコミってことだろうな……)


 だが、不思議に心は晴れなかった。

 あれほど熱望していたポストなのに、今となってはそれがひどく色あせた、つまらないもののような気がして仕方なかった。


(俺は、本当はどうしたいんだ?)


 雅樹は改めて自問した。

 入院中、身動きのならないベッドの上で、焦燥感に駆られながら何度も何度も自分に問いかけたのと同じ質問だ。答えはとうに見えている。

 後は、決断すればいいだけなのだ。

 雅樹は立ち止まり、右手の封筒を封を切らぬまま二つに引き裂き、さらに細かくちぎると壁のダストシュートに放り込む。

 もう後悔はなかった。

 目を丸くして見つめる少女たちに向かって、彼は両手を打ち合わせ、ニヤリと笑う。


「俺は……やっぱり火星に戻るよ。あそこには大事な人が眠っているから」


「辻本さん……」

「おじさん……」


 言葉をなくす子供たちに、彼は晴れ晴れとした顔で宣言した。


「総裁は言ってた。この先の戦いは長くなるってね。だったら、いずれ力尽き、倒れる時、できるだけあの人のそばにいられるように」


「それって、まるで結婚式の誓いの言葉みたいだ」


 そう言って茶化す薫の言葉に、雅樹は照れ笑いを浮かべ、久美子は少し困ったような顔で曖昧に微笑んだ。


 




「総裁、彼にお伝えしなくても良かったんですか?」


 雅樹が退出した後、決裁書類を片手に総裁室を訪れた中年の秘書室長が尋ねる。


「何をだね?」

彼女ねむりひめのことですよ」


 総裁は途端に悩ましい顔つきになる。


「ずいぶん迷ったよ。だが、もしも彼がそのことを知ったら、絶対に火星に戻ると言い出すだろう?」

「もちろんそうでしょうね」

「言葉を交わすことも、触れあうこともできず、共に老いることすら叶わない彼女をいつまでも守り続ける……それは、まるで墓守のようじゃないか」

「……確かに」

「前途ある若者に対してそれを任じるのは、余りにも酷すぎる話だとは思わないかね?」

「でも、彼にとってそれはむしろ希望にはなりませんか?」

「……さて、それはどうだろう?」


 総裁は席を立つと、秘書に背中を向けて背後の窓から外を見る。


「しかし、まさか、彼女が土壇場であんな賭けに出るなんて、予想だにしなかったよ」

「とっさに信じたんじゃないんですか? 彼と、彼が創るであろう未来を」

「うむ」


 窓の外には漆黒の宇宙。そして、ビーチボールほどの大きさの青い星、地球が輝いている。

 総裁は無言のままその姿に見入り、やがて自分に言い聞かせるようにゆっくりと言葉を吐いた。


「そう遠くない将来、脳科学や冷凍睡眠の技術がもう少し進めば、あるいは可能性も出てくるだろう。だが、現時点、彼女は動かすことも、もちろんうかつに触れることもできん。液体窒素を満たし、厳重に封印されたマイナス百九十六度の地下墓所ライブラリで、ただ、来たるべきその日を待つしかない」

「王子様のキスは?」


 そう問う秘書に、彼は後ろ向きのままフンと鼻をならす。


「バカなこと言うな!」


 しばらくの無言の後、それだけでは言葉が足りないと思ったのか、総裁は向き直って秘書にぎこちなく微笑む。


「二度目の地震の後、コンピュータ格納部から溢れ出した液体窒素が凍らせたものが、生きたままの彼女だったのか、それとも死後だったのか。前者だと思われる証拠はいくらでもあるが、百パーセントの確信は持てんのだ。蘇生には慎重の上に慎重を期す必要がある。うかつに手は出せん」

「でも、私は……」


 女性秘書室長は言葉を切ると、両手の指をまるで神に祈るように互い違いに組み合わせた。


「将来、彼女が目覚めるその時、その場にいるのはやはり彼のような気がするんですけど」

「……多分、そうだろうな」


 総裁は再び窓に向き直り、眼前の地球を見つめながら、ゆっくりと言葉を吐き出した。


「それは、わしも同感だ」

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